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それぞれの「夢」と「幸せ」 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第13話感想

みんなの夢を叶える場所

はじめに、スクールアイドルフェスティバル(以下「SIF」)とはどのような大会なのか?を振り返ってみましょう。

スクールアイドルフェスティバルはスクールアイドルが夢を叶える場であると同時に、応援する人たちがそのフェスに協力するようにやりたいことも叶える場ではないか...
(中略)
だからこそ、ライブ会場も「ひとつ」に決めるのではなくて、それぞれの人が「好き」を表現するために、皆の夢を集めてその全てを叶えるために、 街全体を会場としてお祭りのようにフェスを実行しようと考えたのです。

『Dream with...?』より

つまり、SIFとは(タイトルの通り)『みんなの夢を叶える場所』です。

ところでアバン(オープニング前のプロローグシーン)では、以前に侑が歩夢に対して伝えた「音楽をやってみたい」という夢を、歩夢以外のメンバーにも打ち明けます。


高2の2学期に転科を決断するのは当然「思い切った」行為なわけですが、その決断に至るまでには『きっかけ』をくれた歩夢との関係、そして、『勇気』をくれたスクールアイドル同好会メンバーとの出逢いがありました。

どうして虹ヶ咲や僕がを大きな話題にしているのかと言えば、(3話の記事でも書きましたが)虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はラブライブを目指さないからです。

「ラブライブ」という順位をつける全国大会を目標とし、9人でそれに向かって進んでいくのが、μ'sでありAqoursでした。
もちろん、それも大きな『夢』と言えますが、虹ヶ咲の場合はその方向性が全く違います。

虹ヶ咲は、9人それぞれがそれぞれのやりたいようにスクールアイドル活動をし、10人目たる侑は9人を陰から支える、いわば『マネージャー的な存在』なのです。
だからこそ、『虹ヶ咲アニメ』の文脈において語る上では必然的に、夢は『チームとして』語るものというよりも、個人個人にフォーカスしたものになります。

例えば実際、侑も一人の個人として、「音楽、やってみたい」という自分なりの夢を見つけました。

スクールアイドルを頑張っている皆を見てたらね、本当にやってみたいことはとにかくやってみようって思ったんだ!

話は戻りますが、アバンで侑がメンバーに夢を打ち明けたシーン。
もしも侑が同好会に加入しなければ、侑は夢を見つけられなかったかもしれないし、歩夢もまた、成長することは出来なかったのかもしれません。

また、『侑の夢を(尊重しつつ)応援しよう』とメンバーそれぞれが考えた上で各々の想いを侑に伝えている部分もポイントで、それぞれがそれぞれのやりたいようにスクールアイドルをしていく中で、個人の意志を尊重することがごく当たり前に描かれています


このような場面は虹ヶ咲ならではですし、個人的には名シーンの一つだと感じましたね。

そして、それぞれにフォーカスした上でそれぞれが個性を発揮することの出来る場所として、SIFが存在するわけです。

加えて、SIFはスクールアイドルだけが楽しめるお祭りではありません。
虹ヶ咲にはスクールアイドル同好会以外にも「焼き菓子同好会」や「コッペパン同好会」、果てには「流しそうめん同好会」と言った、本当に多様な部活動が存在しています。
そういった様々な部活動もまた、自分たちの強みや個性を活かす場所として、SIFというお祭りに携わっているのです。

(極端かもしれませんが)そう考えれば、まさしくSIFというのは『みんなの夢を叶える場所』と言っても過言ではないと、僕は思います。

「好き」から始まる物語

ただ、フェスを行う人だけが楽しいのではありません。
侑がそうであったように、たまたまそこに行った人、たまたま「好き」に触れた人が、その人の中の「好き」を生み出し、ときめき、新たな道が開けてくる。
ともすれば、(中略)誰かに道を照らされ、誰かの道をも照らしたいと願うようになる
そのように広がる世界を目指した大会こそが、スクールアイドルフェスティバルなのだと考えられます。

『Dream with...?』より

先程、SIFは『みんなの夢を叶える場所』と書きましたが、加えて『世界を広げる』場所でもあると改めて感じました。

例えば、「スクールアイドルをやってみたい」と考えていた子に果林が話しかけるシーン。
『スクールアイドルという自分の「好き」なことは出来たけれど、自分には無理なのではないか...』と考えていた子に、

何言ってるの?やりたいと思った時から、きっともう始まってるのよ。

と、優しく語りかけます。


個人的にこれは、侑にとっての『音楽科に転向すること』への想いともリンクするように感じました。
なぜなら、侑が「音楽をやってみたい」と思った時には既に侑の中でそれは『始まって』いて、それを貫こうとする過程の中に"転科"が入っていた。
同様に、この子が「スクールアイドルをやってみたい」と思った時には、(果林が語ったように)既にその子の中では始まっているのです

今回に関して言えば、スクールアイドルが彼女たちに対して直接的に「スクールアイドルをやりたい」と思わせる"きっかけ"を与えたのかどうかは描かれていませんが、少なくともエマのステージに目を輝かせていたところを見ると、彼女たちがスクールアイドルを貫こうとするその過程の中に、SIFが入ってくることは間違いなさそうです。

また、子供たちの存在も印象的でした。
まだ具体的な夢というものが存在しない可能性のある子供たちがSIFに訪れて、スクールアイドルのステージを見て心を動かされたり、そうでなくても、かすみ、しずく、せつ菜らによる寸劇を見て喜んだりするシーンが描かれていました。


ニジガクはスクールアイドルがテーマのアニメではありますが、全員が全員スクールアイドルを目指さずとも、SIFに訪れた人それぞれの道が、SIFによって何らかの形で照らされる可能性があることを考えれば、SIFというのは"単なるスクールアイドルの祭典だけではない"ことの裏付けにもなるでしょう。

そして、スクールアイドル自体に興味はなくとも、かつての侑のように、たまたまそこに居合わせたり、行ったりすることもあるでしょう。
今回で言えば、偶然でも必然でも、SIFに訪れることで、誰かが自分の中に『好き』を生み出し、「やってみたい」と思ったのならばその時、その人にとっての道は開けるし、その道を貫いてみたいとさえ思えるのかもしれません。

背中を押して

侑にとってSIFとは、『みんなの夢を叶える場所』であると同時に、『背中を押してくれる場所』ではないでしょうか。

もちろん、せつ菜と企画書を作成したり、他校の生徒とやりとりを交わしたという事実から、『SIFというお祭りを成功に導きたい』と考えているのは間違いありませんし、(後で述べますが)それも大変重要なことです。
その一方で、「自信が欲しい」と語っていたように、『SIFの成功』という、ある意味では困難な目標を達成することは、侑にとっては『転科試験の合格』という、困難な目標を達成することとも重なるのです。

侑はSIFのために、純粋にステージを観たいという『自分に向けた行動』よりも、チラシ配りのように『自分以外に向けた行動』を優先させました。
SIFでのチラシ配りのような雑務に限らず、自分以外の為に行動するのはスクールアイドル同好会のマネージャー的存在であれば当然と言えば当然ですし、それらを通じて他者と関わりを持っていく中で、感化されるなどして彼女の中でやってみたいことが芽生えたのも事実でしょう。
しかし、それは『虹ヶ咲学園』というある種の閉鎖的な空間の話ですが、SIFというのは全くの逆……
いわば、多くの人に開放された空間です。

そんなSIFは、自分たちで頑張って作り上げたものだからこそ、侑にとってのSIFの成功とは『たくさんの人に観てもらう』ことなのだと思います。
たくさんの人に観てもらえれば、その分だけ多くの人の道をスクールアイドルという光で照らせるかもしれない。
つまり侑は、かつてスクールアイドル同好会のメンバーに光を照らされたからこそ、今度は自分自身が、スクールアイドルに興味のない人にまでも光を照らす為の一助となりたかったのではないでしょうか。
そして、SIFというお祭りをやり切ることで、その事実は"新しいことに挑戦する"という困難な目標に向かう背中を押してくれる
そういったことを思わせる意味でも、侑にとってのSIFは非常に大切なイベントであることは間違いないと思います。

ありがとう

天王寺璃奈推しとして、最高な場面がありました。
侑が機材トラブルの応援の為に向かったテントの中でパソコンに向かって修復作業をしていた人…
璃奈でした。

そこで僕は、璃奈回についての感想記事を思い出したのです。

全13話の中で、璃奈と愛の関係性については侑と歩夢ほど深く描かれることはなかったように感じます。
しかし、上の記事によれば、璃奈にとっては自分を全て肯定してくれる一番の友達が愛だったわけですから、描かれていない部分においても相当に友情が深まったことは想像に難くありません。

もしかしたら、今、初めて愛さんの役に立てた…?


そんな中での、この一言。

璃奈回で、1番重要だったことは何か。

思い返してみれば、『成長』でした。

その成長というのは、単純に出来ることを増やすだけではなく、出来ないことを「今は出来ない」と理解し受け入れ、それをも武器に変えていく...

これが璃奈にとっての成長だ、と書きました。

自分が変われること、それは璃奈にとって間違いなく成長です。
しかし、変わるために今、何が必要なのかを選び取ることが出来るのも、成長です。

『「成長」とは何なのか』より


そしてその成長の裏側には、得意なことと不得意なことが存在します。
璃奈にとっての得意なこととは、機械をいじったりゲームをしたりなどの"一人で出来る遊び"です。
その得意なことが、機材トラブルという不測の事態において大きな役割を果たしました。
だからこそ、愛に直接「ありがとう、りなりー!」と感謝された。


そこに僕は、璃奈の新しい『成長』が感じられたような気がするのです。

特に璃奈回での成長は、『表情を作る』という不得意であり出来ないことを、自分を使って出来るようにするのではなく、『自分自身以外を用いた方法で』出来るようにすることでした。
しかしながら、その『出来ないことを出来るようにする過程』において、璃奈以外の人間が特別に関与したわけではありません。
つまり、璃奈の問題を解決したのは、他ならぬ璃奈自身だったわけです。

しかし今回、璃奈は初めて『愛の役に立つ』という行動をした
これは、「かつて自身に降り掛かった問題をどうやって解決したのか?」と照らし合わせて考えてみれば、人の役に立つことで璃奈自身がまた一つ成長できたと言っても良いのではないでしょうか。
もちろん、機械を操作するのは璃奈にとっては得意な分野ですから、それを機材トラブルの解決に役立てるのは造作もないことだと思います。
ただ、璃奈のある種の窮地を救った存在が愛であったことを考えれば、愛の役に立つという行為は、ただの人助け以上の意味があるのではないかと感じるのです。

人見知りな璃奈が、(初めて心を開いた存在であると言っていい)愛の役に立つこと、それは誰かに感謝されることで自己を肯定し、その体験が自分自身の『出来ること』のスキルアップにも繋がり、加えて心のコミュニケーションを交わすことで、繋がりに新たな感覚をもたらすのではないでしょうか。
それは、璃奈自身の「もっと皆と繋がりたい」という願いとともに、「もっと皆の役に立ちたい」、更には「もっと誰かを照らしたい」という願いにも繋がるのではないか...と思うのです。

そんな璃奈にとっての愛からの「ありがとう」は、僕にとってはただの「ありがとう」以上に、心に迫ってくるものがありました
それはきっと、璃奈にとっての『幸せ』が増えた瞬間だったようにも感じました。

そして璃奈に限らず、それぞれのメンバーは一人でスクールアイドルとして活動をしているからこそ、それぞれの壁にぶつかるわけです。
その度に支えてくれる誰かがいるからこそ、一見虹ヶ咲はバラバラであるように見えても、実はそうではない、というのが何度も確認できるのです。

虹を架ける雨

虹は、雨の後にあがるものです。
裏を返せば、虹を架けるには雨が必要です。

ところで、ハレとケの概念は誰しもが聞いたことがあると思いますが、ストーリーの展開を、これと繋げて少しお話したいと思います。
ハレとケは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつです。

ハレというのは「晴れ舞台」や「晴れ着」に代表されるように、非日常という節目を指す言葉です。
一方、ケというのは普段の『日常』を指す言葉です。

話を戻しますが、SIFが順調に進んでいた最中、雨が降り出します。
今回で言えば、SIFというのは晴れ舞台、つまり非日常でありハレです。
しかし、雨が降るというシーンは、ハレの反対の『日常』であり、ケと言えます。

SIFはスクールアイドルだけではなくて、『好き』を広げるために、世界を広げるために、色々な人が個性を発揮していくものです。
それぞれの場所、それぞれのステージでそれぞれの「大好き」を表現していくSIFでしたが、雨が降ってくるケが起きました。
開催時期や天気予報を考えれば夕立でしょうが、ステージが使えるのが19:00までであることから、この雨はSIFのプログラム組み直しを余儀なくされてしまうものでした。

侑が不安に満ちた顔で「どうしよう...」と呟いたのは、SIFがスクールアイドルにとってもそれ以外にとっても大きなお祭りだったこともそうですが、前述したように、SIFとは自分たちで頑張って作り上げたものであると同時に、侑にとってのSIFの成功は『たくさんの人に観てもらう』ことだったからだと思います。
そしてそれをやり切ることが、新しい夢に挑戦する自分の背中を押してもらうことにもなる。

しかし、そのハレであるSIFがやり切れない可能性が出てくることは、そのお祭り自体が中止になってしまうこともそうですが、侑の視点から考えれば、他人が考える以上に痛恨の極みであるわけです。

ですが、ハレとケは表裏一体であることを忘れてはなりません。

夢がここからはじまるよ

結局雨はあがるわけですが、19:05とステージの時間は既に終了していました。
このままではやり切れない...と侑が思った時に救いの手を差し伸べたのが、歩夢です。

終わりじゃないよ。これで終わりになんて、出来ない。まだ、伝えたいことがあるから。

この発言は個人的には結構胸に来たというか、ライブは『伝えたいことを伝える場』であることを再確認させられました。
ただ曲を人前で歌って踊るものではなく、そこに込められた言葉に出来ない想いを伝える場であると。
誰かを照らす光になるためには、スクールアイドルたるもの、想いをどうにかしてファンに伝えなければなりません。
だからこそ、終わりには出来ない。

加えて、これはSIFというお祭りをやり切りたいと願った侑に対しての恩返し的な面もあるように感じました。
侑という10人目は、スクールアイドルではありません。
スクールアイドルではないからこそ、スクールアイドルたる虹ヶ咲のメンバーを救った場面は間違いなくあると思います。
そして、SIFは何より虹ヶ咲が主催な訳ですから、虹ヶ咲のスクールアイドルはじめ生徒たちが中心となって運営していくものです。
もちろん、自分たちがやりたいように表現できないという理由もあるでしょうが、考えてみれば一連の場面は侑以外だけが知っているような事情である描写にも見えましたし、侑に支えられた過去があるからこそ新しい夢に向かって挑戦する侑を支えてあげたいという気持ちが虹ヶ咲のスクールアイドルのどこかにあって、それが他の生徒たちにも波及していった可能性もあるのではないか?と考えました。

そしてそれは侑から「みんな」に話を広げて、最後のステージ上でのメッセージにも表れているように感じられました。

その最後のワンステージ、侑には客席で観ていて欲しいとわざわざ歩夢が頼んだシーンがありましたが、これも、その恩返しの意味があるのかもしれません。
侑は裏方としてSIFに携わっていたのを歩夢は知っていて、そしてステージを満足に観られなかったことも知っていた。
だからこそ、侑には最後に直接ステージを見て欲しかったのではないでしょうか。

また、副会長が学校側に掛け合って最後にワンステージだけ実現させたという点も見逃せません。
副会長は当初スクールアイドルには興味がなかったわけですが、やがてスクールアイドルに興味を示すようになりました。
何より会長はステージの上で踊っていたわけですから、表立って掛け合うというのは難しかったのでしょう。
(というか、ここで会長が出てこないと言うことは、もうせつ菜=奈々であることが生徒会にもバレているような気がしますね)
副会長がスクールアイドルを好きになっていたからこそ躊躇なく学校側に掛け合えたのだろうと考えると、好きを広めることの大切さはこういうところにも表れるのかもしれないなあと感じました。

求めたのは「幸せ」

ところで、ノートについて。


侑にバレないように侑以外で回して書いていたノートですが、あれにどんなことが書いてあったのか、それはとうとう最後まで明らかにされませんでした。
2期があるかどうか不明ですが、もしあるのなら、最初にそのノートについて触れる必要があると思います。
もしくは、視聴者の想像に任せるという形なのかもしれません。
いずれにしても、かけがえのない想いが詰まっているものなのでしょう。

(追記:2期が決定しました。ノートについては一体どうなるのか分かりませんが、何かしらの形で是非触れてほしいですね。)

では、そろそろ終わりにしたいと思います。

僕は、第3話の記事でこう書きました。

結局、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会というアニメは、輝きでも奇跡でも、ましてや優勝を求める話でもなく、個人の「幸せ」を求める話ではないでしょうか。
(中略)
「自分のやりたいことを叶えること」、それはその人にとっての「幸せ」そのものです。
そのためなら、互いの感情を汲み取りながらも、今まであったある種の既成概念を打ち壊すことすら厭わない。
それは、虹ヶ咲にしか出来ない物語の紡ぎ方に他なりません。
また、「多様性」がキーワードとなっている昨今では、個人個人について考えること、スポットライトを当てること、それに伴ってそれぞれの事情や想いを汲み取ることは、以前より重要になってきています。
そう考えれば、このアニメは社会に対するある種のメッセージが隠されているようにも感じます。

『求めたのは「幸せ」』より

今見返してみて、改めてその通りだと思いました。

虹ヶ咲は、それぞれがそれぞれの個性を十分に発揮する物語です
だからこそ、個人個人がそれぞれの『幸せ』に向かって突き進む物語でもあるのです。
その上で、一人一人が独立しているからといって、互いに干渉しない…のではなく、それぞれの事情や想いを汲み取っていくことで、結果的に個人個人は成長することができるし、世界は広がっていくのです。

それでは、最後にまとめです。

何事も最初から上手くいくわけではないし、むしろ後悔の方が多いだろう。
けれど、それでも「始めて良かった」と思える日はいつか来る。
そう信じて、どのような形であれ、自分の内なる『夢』を何よりも大切にし、それに従うことで自分だけの世界は間違いなく広がっていく。
だからこそ、支えてくれる人に感謝をしながら、自分だけの人生を、挑戦を恐れずに進んでいくことが大切である。
それがいつの日か、その人にとっての『幸せ」になる。

これが、僕が「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第1期」を通して受け取った全てです。




最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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それでは、またいつか。

さよなら、さよなら、さよなら。

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