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-想いはひとつ- 『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第12話』感想

こんにちは。
Ingです。

ちょっと最初に反省。

改めて読み直した第11話のブログで、私はこんなことを書いていました。

「愛が恐れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。」
(中略)
歩夢にとっての愛は侑だけのもの。
しかし、侑にとっての愛は歩夢だけのものでは最早なくなったのです。
その変化を、歩夢は恐れていた。

(↑是非、お読みください!)

私がnoteでこの記事を書くに当たり、12話終了後に色々な方のブログやツイートを読ませて頂いていたのですが、やはりというか、皆さんが一様に「歩夢自身の変化」に言及していました。

...確かにその通りでしたね。

私が11話の記事の中で結構大きな声で述べていたのは侑にとっての愛が変わっていくことに対する歩夢の恐れだったんですが、言われてみれば歩夢自身も当然人間である以上、気持ちは変わっていくし周囲の環境も変わっていくよな、と。
もちろん、先ほど述べたような侑にとっての愛が変化していくことに対する歩夢の暴走が心理的にも描写的にもインパクトとしては大きいので、それが作品を鑑賞していく中で一番に語りたいことであるのは、視聴者サイドからすれば当然といえば当然なんだと思います。

しかし鑑賞していく中で、その裏の歩夢自身の変化に僕自身は気づけていなかったというか、いやそういうシーンだってもしかしたら結構あったのかもしれないんですけれど、多分12話でいきなりその視点が出てきたんじゃなくて、歩夢についての小さな描写の積み重ねがあったと思うんです。
基本的な段階のはずだったんですけど、当然そういう面も考慮しなければならなかったというか、読み取れなかったのが個人的には反省点でした。

でも皆さんそこには驚いていたようだったので、見方としては決して誤りではなかったかなと思いますし、脚本的にも「どうやって『ゆうぽむ』を終わらせるか」を考えた時に、ある種当たり前ながらも見落としがちな歩夢自身の変化という視点を徐々に入れ込むことによって、作品としての落ちどころを、13話という限られた話数に対して明確に出来たんじゃないかな、と思います。

さて、そんな歩夢自身の変化に特に注目しつつ、本題に入りましょう!

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、第12話です。

告白

私、侑ちゃんだけのスクールアイドルでいたい。だから、私だけの侑ちゃんでいて……?

歩夢から侑へ「告白」した場面。
この告白は、侑への愛を伝えるシーンであることも事実ですが、自分自身について確かめる行為でもあると思います。

「試し行動」という言葉をご存知でしょうか。

子供が親・里親・教師などの保護者に対して、自分をどの程度まで受けとめてくれるのかを探るために、わざと困らせるような行動をとること。

歩夢の告白は、まさしく試し行動だった−−というのが、僕の見解です。

というのも、「私だけのスクールアイドルでいて?」という問いは、上原歩夢という存在を高咲侑がどの程度まで受け止めてくれるのかを探る行動、すなわち「侑は今なお自分をどれくらい愛してくれているのか?」を探る行動だったのではないでしょうか。

なぜなら歩夢にとって侑は特別な存在であって、侑なしに歩夢のスクールアイドルは始まらなかったからです。
歩夢にとってのスクールアイドルの原点は紛れもなく侑であって、スクールアイドルを続ける理由もまた、侑が傍で見ていてくれたからです。
だからこそ歩夢は侑といつまでも同じ夢を追いかけていたいし、何より愛して欲しいのです。
そして、恋人のように腕を回しながら「離れたくなんてない」とつぶやいたのではないでしょうか。

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しかし、侑は侑の道を歩み始めていた。
せつ菜との関係性、ピアノの存在...
それが歩夢にとってある種、自分自身の存在がぼやけていくことだったのだと思います。
歩夢という存在を形作る役割を果たしていた大部分が侑だったわけですが、二人の周りの環境が変わっていってしまった今なお、侑が歩夢をどれだけ愛してくれているのかを試すことにより、自分という得体の知れないぼやけた存在に輪郭を与えてほしかったのではないでしょうか。
それこそがまさに自分自身について確かめる行為だと思います。

一方の侑はどうだったかというと、歩夢を愛していることには変わりがないわけです。
歩夢以外にも大切な存在ができて、自分自身の夢も見つかった。
そんな最中の歩夢の告白には戸惑ったでしょうし、どうしていいかわからなかったのではないだろうか、と考えました。

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遠ざかる「距離」

前日の夜に告白された侑。
翌朝、歩夢にそのことを話しかけると

ごめんね、変なこと言って。

と返事。
文字通り受け取るなら、歩夢にとっての告白は「変なこと」だったわけです。
なぜそう思ったのか?ですが、あの告白は「自分という存在は全く明確ではない、何者か分からない」という告白でもあったからではないか...と思います。
アイデンティティがない状態というのは確かに「変なこと」です。
なぜそんな状態に陥ってしまったのでしょうか。

それを紐解く鍵が歩夢自身の変化にあると考えました。

変わっていく侑vs変わらない歩夢という対比構造が明確かつ痛烈だったために多くの人に衝撃を与えたのではないかと推測しますが、実は歩夢自身も変化していたのです。
それを象徴する出来事が、今日子たちとの一場面。
「他のスクールアイドルにも歩夢の良さをアピールできるものにしたい」という発言を受けて、「スクールアイドルとファンが一緒になって、どんどん世界が広がってる」と、自分自身の変化を実感していました。
その世界というのは決して侑と歩夢の二人で作り上げるものではなく、その他大勢の人物によっても作り上げられています。
それなのに、歩夢はどこかで侑だけを求め続けていた。

歩夢も侑も、変化しているのです。
変化しているからこそ、距離が遠ざかったように感じてしまう。
遠ざかったように感じるからこそ、ここで侑を繋ぎ止めておかないと二度と近づけなくなってしまうのではないか...
そういう危惧や現実と理想のギャップが歩夢を苦しめ、思い返して「変なことをしてしまった、恥ずかしいことをしてしまった」と感じてしまったのではないでしょうか。

スクールアイドルフェスティバル

歩夢のそういった変化に気づくきっかけを与えたのは、間違いなくスクールアイドルフェスティバルでした。

ただ、フェスを行う人だけが楽しいのではありません。
侑がそうであったように、たまたまそこに行った人、たまたま「好き」に触れた人が、その人の中の「好き」を生み出し、ときめき、新たな道が開けてくる。
ともすれば、先ほど述べたように誰かに道を照らされ、誰かの道をも照らしたいと願うようになる。
そのように広がる世界を目指した大会こそが、スクールアイドルフェスティバルなのだと考えられます。

『Dream with..?』より

スクールアイドルだけではなくて、「好き」を広げるために、世界を広げるために、色々な人が個性を発揮していくのがスクールアイドルフェスティバルです。
そのスクールアイドルフェスティバルを作り上げる行為は、必然的に色々な人との交流を増やさなければ出来ません。

今日子にしてもそうですが、歩夢にとっての大切な人が増えていくにつれて、自分では気づかない自分を発見してくれる人が現れる可能性が高まる。  

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つまり、自分自身の見方を色々な角度から提示され、それについて考えることで、アイデンティティは形作られていくのです。

ところで、侑とせつ菜は共にスクールアイドルフェスティバルの企画書を製作する仲間ですが、侑も歩夢の告白に対してモヤモヤした気持ちを抱いていました。
そこでせつ菜は侑と歩夢に何かあったのかも知れないと察知するのですが、侑はそれについての話題を避けます。

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なぜか?なんですが、あくまで侑と歩夢の当事者同士で解決すべき問題だったのと、せつ菜は侑にとってはときめきを与えた恩人みたいな存在なわけですから、迷惑をかけたくなかったのではないかと思います。
喧嘩とは言いませんが、二人のすれ違いは当然二人にしか分からない問題で、そこに第三者、それもせつ菜を介入させてしまうのは侑にとって本意ではないことは容易に想像ができます。

想い

そこに通りすがった歩夢に、侑はすれ違いをきちんと解決させようと話かけるのですが、歩夢はそれを拒否します。

なぜかはもう言うまでもないでしょうが、あの夜の出来事は歩夢にとっては「変なこと」だったからですね。
歩夢のアイデンティティについての問題は歩夢自身が解決しなければならない問題であって、先程の繰り返しのようになってしまいますが、今度は侑に対して迷惑をかけたくなかったのでしょう。

その後、侑が伝えたかったことを歩夢に伝えるのですが、これについては前回のブログで僕が書いていました。

だからこそ、侑がやるべきことはまず「歩夢の誤解を解くこと」、「ピアノを始めた理由を話すこと」、そして「歩夢をどう思っているのかを伝えること」です。

『Dream with...?』より

歩夢にとっては侑が自分自身の写し鏡みたいなものですから、ここで侑の夢を知ったとしても、それは先程述べたように「距離が遠ざかったように感じてしまう」ことと同義です。
当然、「私と一緒じゃなくなるってことでしょう!?」に繋がるわけですね。
(個人的には気持ちはとてもよくわかるのですが、侑的には歩夢に対して間違ったことをした覚えはないし、自分自身の夢を見つけること自体に何の疑問もなかったわけですから、そこまで言わなくても...とも思いました)

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ともかく、歩夢の夢は始まったばかりで、侑がいないと歩夢は前に進めない。
極端に言えば、歩夢からすれば「侑が夢を持つのはまだ早い」と感じていたのかもしれません。
その場で侑はそれ以上の議論を避けるわけですが、個人的には大正解ですね。
もはや歩夢の夢を応援するだけが侑の全てではないのですが、それを歩夢にここで伝えても埒が明かないでしょう。
そこでグッと踏みとどまれるのは、ひとえに歩夢と侑が互いをよく理解しているからだと思います。

侑というのは「そのキャラクターが1番幸せになるにはどうすればいいのか」を考える天才でもあります。
例えばせつ菜に語った時のように、何かがその人にとって足枷となってしまっているのなら、周りを巻き込んで迄その足枷を引きずって生きるのではなく、その足枷を壊してしまえばいいと考えるのです。
その方が確実にその人にとって「幸せ」だからです。

今回で言えば歩夢にとっての「足枷」は侑だったわけですが、逆に言えば侑は歩夢にとっての足枷であって、それを壊そうと思うと侑自身の夢を否定しなければならず、それは侑がスクールアイドルを通して受け取った、好きを貫くという哲学に反してしまっているように感じます。
侑は歩夢と自分の関係性や自分の哲学をよく理解しているからこそ、ここで突っ込んで話してしまうと、自分自身を否定する可能性も出てくる。
だからこそ、ヒートアップせずに引く選択肢を選ぶことができる。
そういう意味では、「天才」かもしれません。

自立

歩夢の夢は侑がいないと進まない、と先程書きましたが、侑の夢をもしも尊重するならば、歩夢は自立しないといけません


僕は、自立というのは依存の反対ではないと思っています。
つまり、誰かと一緒になるのを諦めることではなくて、その誰かとの関係性を保ちながらも自分なりに歩を進めていくことではないか...と。
今回でいえば、その誰かというのは侑です。
そのことに気づけるかどうかが、歩夢の成長にかかっていると言っても過言ではないでしょう。


せつ菜とのやりとりの中で歩夢は「見て欲しかったのはたった一人だけだった」と言いました。
これは当然侑のことなのですが、僕からすると、歩夢は侑を求めすぎるがあまり、逆に侑という概念(存在ではありません)に縛られ続けていたように感じます。
その想いと侑以外の愛すべき相手が増えた事実の間で、葛藤に苛まれ、足枷を自らはめてしまっていたのではないでしょうか。

しかし、今回「足枷」を壊したのは侑ではなくて、せつ菜でした。
侑を大切にするならば、それ以外を我慢しなければならない。
それ以外を大切にするならば、侑を我慢しなければならない。
ある種「大切はトレードオフでしかない」という歩夢にとっての足枷、その足枷にかつて悩まされたせつ菜だからこそ、歩夢に理解を示すことができた。

親の期待と自分の想い、さらにラブライブ出場を切望するファン...
それらの板挟みにあったからこその葛藤があり、その中で誰かを傷つけてしまった。
そうなれば、
「優木せつ菜はもういない」
「自分にとってスクールアイドルなど必要ない」
「せつ菜にとっての大好きは自分本位のワガママに過ぎず、スクールアイドルを目指すこと自体が間違っていた」
と考えるのは当然です。

『求めたのは「幸せ」』より


そして、それを壊すことができた。

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「始まったのなら、貫くのみです!!!!!」

と。

侑に対する想いも、上原歩夢というスクールアイドルを愛してくれる侑以外に対する想いも、どちらも尊重すべき想いだし、諦める必要もない。
それに気づけたのが、この瞬間でした。

歩夢のステージを完成させたのは侑であり、侑以外の仲間達です。
花言葉も、これまでの話を象徴しています。
黄色いガーベラの「愛」、そして侑が手渡した「変わらぬ想い」

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11話の記事でも書きましたが、歩夢にとっての愛すべき存在が増えていったことは事実です。
その中で侑が遠かっていくように思えても、決してそんなことはなく、侑の歩夢への想いは永遠に変わらず、隣に寄り添っていく。

それこそまさに、歩夢にとって想いが花ひらいた瞬間ではないでしょうか。

想いはひとつ

侑と歩夢は雪解けを果たしたわけですが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はラブライブを目指さない物語です。
9人がラブライブを目指していくのではなく、それぞれの場所、それぞれのステージでそれぞれの「大好き」を表現していきます。
しかし、スクールアイドルとファンが一体となって作り上げるスクールアイドルフェスティバルにおいて、想いはひとつです。

歩夢が初めて侑のためだけに見せたステージの下で、侑は自らの夢を打ち明けます。

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「音楽、やってみたいんだ」


自分の哲学に反するようなことはすまいと口から引っ込めたあの時の夢を、今この瞬間なら、いやこの瞬間だからこそ、堂々と打ち明けられるのです

音楽は、無限の可能性を持っています
キャラクター個人個人に語らせることをこのアニメの強みだと3話の記事で書いたのですが、言葉で語れない想いを伝えられるのが音楽です。
言葉にできない想い、それを伝えることで色んな人を幸せにできる。
スクールアイドルも、音楽があってこそです。
そう考えれば、侑にとっての夢が音楽になることは不思議ではありませんし、むしろピッタリではないかとすら感じます。

しかし、高2の2学期という大切な時期に音楽科への転科を決定するのは並大抵の決断力ではなし得ません。
それを決断せしめたのは、紛れもなく歩夢がいたからこそです。
そして歩夢もその決断を、今だからこそ笑顔をもって受け止められる。
歩夢もまた「みんなのために歌う」と決断できたからです。
それを決断せしめたのは、紛れもなく侑がいたからこそです。

夢の為に寄り添い、夢の為にすれ違い、夢の為に自立する。

「今までありがとう、これからもよろしくね」


という言葉には、二人の過去も現在も未来も詰まっています。
全てはそれぞれが叶うべき「夢」のため...

そう感じました。


おわりに

12話は、歩夢と侑の間で動いていた友情の総決算ではないかと感じました。
歩夢は変化をするし、侑も変化をしていく。
それぞれの人生を歩んでいくならば、誰かの人生を応援するだけではない人生も存在するはずです。
二人が二人の変化を互いに受け入れたからこそ、それぞれの夢、それぞれの場所、それぞれのステージへと進むことが出来たのではないでしょうか。

また、今回僕が特に歩夢のアイデンティティについて文字数を割いたのは、思春期特有の「アイデンティティ」という命題の描き方として、12話が衝撃的だったからです。
しかし、スクールアイドルとしての活動を中心に話を展開していくという点ではある種ラブライブらしいというか、その年代だからこそ抱える悩みや葛藤を鮮やかに描き切れたのではないか、と感じました。

そして、歩夢の成長も感じられました。

「前に進むって、大切なものが増えていくことなのかな?」

それに気づけたからこそ、だと思います。
大切なものが増えていくことは、決して1番が遠ざかるのではない。
大切なものが増えれば増えるほど、自分自身の夢に近づける。
なぜなら、夢のために必要なことを色々な人から受け取れるからではないでしょうか。

スクールアイドルフェスティバル、それは「みんなの夢を叶える場所」です。
スクールアイドルが夢を叶える場であると同時に、応援する人たちがそのフェスに協力するようにやりたいことも叶える場でもあります。
それぞれがそれぞれなりに個性を発揮する。
多様性がキーワードとなっている現代において、どのようにその集大成を見せてくれるのか。

期待は、高まるばかりです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

是非、右の❤️を押していただけると嬉しいです。

さよなら、さよなら、さよなら。

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