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地涌の菩薩・四大菩薩・本法・資料類聚

抜苦与楽のうえに振る舞えの意味も含まれている
極善性・仏性法性・因行果徳倶時の一法・種智・妙法蓮華経
元初の一念一法界・仏法界・一切種智・南無妙法蓮華経
"

涌出品一箇の大事
第一 唱導之師の事
 御義口伝に云く涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり、本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり此れをと云うなりとは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり、末法の導師とは本化に限ると云うを師と云うなり、此の四大菩薩の事を釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云く「経に四導師有りとは今四徳を表す上行を表し無辺行を表し浄行を表し安立行を表す、有る時には一人に此の四義二死の表に出づる上行と名け断常の際を踰ゆる無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり、又云く物を焼くを以てとし物を浄むるを以てとし塵垢を払うを以てとし大地草木を長ずるを以てとするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり、此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底玄宗之極地」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く「下方とは生公の云く住して理に在るなり」と云云、此の理の住処より顕れ出づると云うなり、又云く千草万木地涌の菩薩に非ずと云う事なし、されば地涌の菩薩本化と云えりとは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず、此の本法の体より用を出して止観と弘め一念三千と云う、惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり、此の本法受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云。
御義口伝巻上
   弘安元年戊寅正月一日     執筆 日興

”第十四 時我及衆僧倶出霊鷲山の事
又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊及は菩薩衆僧は二乗倶とは六道なり出とは霊山浄土に列出するなり
霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。
脱の五大尊の本迹 他受用応仏は本普賢文殊弥勒薬王は迹なり。
本門五大尊の本迹 
久遠本果の自受用報身如来は本なり、上行等の四菩薩は迹なり。

像法の中末に観音薬王南岳天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。
 
今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す

”一大和合僧団創価学会””地涌の義=唱え伝うる義=折伏勤行指導順縁広布大願成就仏道修行広宣流布立正安国の人材育成成就唱題御祈念”
”第十一於四衆中説法心無所畏の事

 御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり
説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類
南無妙法蓮華経呼ばわる所の折伏なり云云
”〜此れは信謗彼此決定成菩提南無妙法蓮華経と唱えかく”
”第廿八究竟即礼拝住処の事
 
御義口伝に云く凡有所見の見は仏知見なり、仏知見を以て上慢の四衆を礼拝する間究竟即を礼拝の住処と定むるなり云云。
”神力品八箇の大事
第八畢竟住一乗O是人於仏道決定無有疑の事 
御義口伝に云く畢竟とは広宣流布なり、住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住す可きなり是人とは名字即の凡夫なり仏道とは究竟即なり疑とは根本疑惑の無明を指すなり、末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云。

法華行者逢難事 
文永十一年正月 五十三歳御作            与富木常忍
河野辺殿等中
大和阿闍梨御房御中
一切我弟子等中
   三郎佐衛門尉殿
謹上             日蓮
   富木殿
 追て申す、竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊四菩薩戒壇南無妙法蓮華経の五字を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相には青鳥客人の来相には〜

”四菩薩造立抄  弘安二年五月  五十八歳御作

 白小袖一薄墨染衣一同色の袈裟一帖鵞目一貫文給び候、今に始めざる御志言を以て宣べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧を申し披や。
 一御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと云云、夫れ仏世を去らせ給いて二千余年に成りぬ、其の間月氏漢土日本国一閻浮提の内に仏法の流布する事僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し、然るにいまだ本門の教主釈尊並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し三朝の間に未だ聞かず、日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主脇士を造るべき事を知らず上宮太子仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等四天王を造り副えたり、伝教大師延暦寺を立て給うに中堂には東方の鵞王の相貌を造りて本尊として久成の教主脇士をば建立し給はず、南京七大寺の中にも此の事を未だ聞かず田舎の寺寺以て爾なり、かたがた不審なりし間法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり、末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明なり、正像に出世せし論師人師の造らざりしは仏の禁を重んずる故なり、若し正法像法の中に久成の教主釈尊並びに脇士を造るならば夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし、末法に入つて始めの五百年に上行菩薩の出でさせ給いて造り給うべき故に正法像法の四依の論師人師は言にも出させ給はず、竜樹天親こそ知らせ給いたりしかども口より外へ出させ給はず、天台智者大師も知らせ給いたりしかども迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出させ給いたりしかども其の実義をば宣べ出させ給はず、但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如くにして夢のさめて止ぬるやうに弘め給い候ぬ、夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給う事なし、此等の論師人師は霊山にして迹化の衆は末法に入らざらん正像二千年の論師人師は本門久成の教主釈尊並に久成の脇士地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。
 今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時なり、当時は其の時に相当れば地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん、先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし尤も今は然るべき時なりと云云、されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾わんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給う、日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師伝教大師等も及び給うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云、問うて云く四菩薩を造立すべき証文之れ有りや、答えて云く涌出品に云く「四の導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く」等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。
 一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由其の聞え候と是は以ての外の謬なり、御得意候へ本迹二門の浅深勝劣与奪傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり、仏滅後正法の始の五百年は一向小乗後の五百年は権大乗像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時爾前迹門は正法像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり、今の時は正には本門傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。
 一日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦多宝十方の諸仏霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきらしからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。
  弘安二年五月十七日              日蓮花押
  富木殿御返事

”椎地四郎殿御書 弘長元年四月 四十歳御作
 先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候いし処仰せ候いしが如く少しもちがはず候いき、これにつけてもいよいよはげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳離婁が眼のやうに聞見させ給へ、末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ、天台の云く「衆流海に入り薪火を熾んにす」と云云、法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし、経に云く「亦不聞正法如是人難度」と云云、此の文の意は正法とは法華経なり、此の経をきかざる人は度しがたしと云う文なり、法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり、貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし、妙楽大師云く「一句も神に染ぬれば咸く彼岸を資く、思惟修習永く舟航に用たり」と云云、生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。
 抑法華経の如渡得船の船と申す事は教主大覚世尊巧智無辺の番匠として四味八教の材木を取り集め正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ醍醐一実のくぎを丁とうつて生死の大海へをしうかべ中道一実のほばしら界如三千の帆をあげ諸法実相のおひてをえ以信得入の一切衆生を取りのせ釈迦如来はかぢを取り多宝如来はつなでを取り給へば上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子檀那等なり、能く能く信じさせ給へ、四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。
 四月二十八日 日蓮花押
  椎地四郎殿え

問う一念三千の正しき証文如何、
答う次に出し申す可し此に於て二種有り、
方便品に云く「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云、
底下の凡夫理性所具の一念三千か、
寿量品に云く「然我実成仏已来無量無辺」等云云、
大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり、
日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり
予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等〜
”一念三千は抜苦与楽なり。”
”大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめん
が為に一大秘法を留め置きたもう
、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもう儀式は華厳寂場の華蔵世界にも勝れ真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁せしむ、金色世界の文殊師利兜史多宮の弥勒菩薩宝浄世界の智積菩薩補陀落山の観世音菩薩等頭陀第一の大迦葉智慧第一の舎利弗等三千世界を統領する無量の梵天須弥の頂に居住する無辺の帝釈一四天下を照耀せる阿僧祗の日月十方の仏法を護持する恒沙の四天王大地微塵の諸の竜王等我にも我にも此の経を付嘱せられよと競い望みしかども世尊都て之を許したまわず、爾の時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出したもう、所謂上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩なり、此の大菩薩各各六万恒河沙の眷属を具足す形貌威儀言を以て宣べ難く心を以て量るべからず、初成道の法慧功徳林金剛幢金剛蔵等の四菩薩各各十恒河沙の眷属を具足し仏会を荘厳せしも大集経の欲色二界の中間大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も此の四大菩薩に比挍すれば猶帝釈と猿猴と華山と妙高との如し、弥勒菩薩衆の疑を挙げて云く「乃一人をも識らず」等云云、天台大師云く「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず限る可からずと雖も我れ補処の智力を以て悉く見悉く知る而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云、妙楽云く「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」云云、例せば漢王の四将の張良樊噲陳平周勃の四人を商山の四皓綺里枳角里先生東園公夏黄公等の四賢に比するが如し天地雲泥なり、四皓が為体頭には白雪を頂き額には四海の波を畳み眉には半月を移し腰には多羅枝を張り恵帝の左右に侍して世を治められたる事尭舜の古を移し一天安穏なりし事神農の昔にも異ならず、此の四大菩薩も亦復是くの如し法華の会に出現三仏を荘厳謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従うが如く提婆が仏を打ちしも舌を出して掌を合せ瞿伽梨が無実を構えしも地に臥して失を悔ゆ、文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出さず舎利弗等の小聖は智を失して頭を低る、
爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨ててを取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云、涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云、法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云、七子の中に上の六子は且らく之を置く第七の病子は一闡提の人五逆謗法の者末代悪世の日本国の一切衆生なり、正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ、後の五百年には他方来の菩薩大体本土に還り向い了んぬ、像法に入つての一千年には文殊観音薬王弥勒等南岳天台と誕生し傅大士行基伝教等と示現して衆生を利益す。
 今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ、其の外、閻浮守護の天神地祗も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し、例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し大苦忍び難きが故なり、而るに地涌千界の大菩薩一には娑婆世界に住すること多塵劫なり二には釈尊に随つて久遠より已来初発心の弟子なり三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方
便
諸大菩薩に超過せり。
(中略)
乃至是の菩薩衆の中に四たり導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く其の衆の中に於て最も為上首唱導の師なり」等云云、天台云く「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」云云、妙楽云く「子父の法を弘む」云云道暹云く「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し、天台云く「猶百川の海に潮すべきが如し縁に牽れて応生するも亦復是くの如し」云云。
 慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん釈尊然後正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し右の手を以て文殊観音梵帝日月四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり、其の後涅槃経の会に至つて重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて文殊等の諸大菩薩に授与したもう、此等は捃拾遺嘱なり〜

”呵責謗法滅罪抄
〜妙楽大師の釈に云く[記七]「故に知んぬ末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云、又云く[弘二]「運像末に在つて此の真文を矚る宿に妙因を殖うるに非ざれば実に値い難しと為す」等云云。
 妙法蓮華経の五字をば四十余年此れを秘し給ふのみにあらず迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説き顕し給ふ、此の五字をば仏文殊普賢弥勒薬王等にも付属せさせ給はず、地涌の上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して此れを付属し給ふ、儀式ただ事ならず宝浄世界の多宝如来大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ、三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土浄め高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道に殖え並べて宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ十方分身の仏尽く来り坐し給ふ、又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並び給ふ、譬えば青天に日月の並べるが如し帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し、此の界の文殊等他方の観音等十方の虚空に雲集せる事星の虚空に充満するが如し、此の時此の土には華厳経の七処八会十方世界の台上の盧舎那仏の弟子法慧功徳林金剛幢金剛蔵等の十方刹土塵点数の大菩薩雲集せり、方等の大宝坊雲集の仏菩薩般若経の千仏須菩提帝釈等大日経の八葉九尊の四仏四菩薩金剛頂経の三十七尊等涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給いし十方法界の仏菩薩をば文殊弥勒等互に見知りて御物語り是ありしかば此等の大菩薩は出仕に物狎れたりと見え候、今此の四菩薩出でさせ給うて後釈迦如来には九代の本師三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処とののしらせ給うふ弥勒等も此の菩薩に値いぬれば物とも見えさせ給はず、譬えば山かつが月卿に交り猨猴が師子の座に列るが如し、此の人人を召して妙法蓮華経の五字を付属せさせ給いき、付属も只ならず十神力を現じ給ふ、釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば諸仏も亦復是くの如く四百万億那由佗の国土の虚空に諸仏の御舌赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかばおびただしかりし事なり、是くの如く不思議の十神力を現じて結要付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して其の後又一つの神力を現じて文殊等の自界他方の菩薩二乗天人竜神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり、本より影の身に随つて候様につかせ給ひたりし迦葉舎利弗等にも此の五字を譲り給はず此れはさてをきぬ、文殊弥勒等には争か惜み給うべき器量なくとも嫌い給うべからず、方方不審なるを或は他方の菩薩は此の土に縁少しと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給う程に、四十余年並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし、此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候、天台の云く「但下方の発誓を見る」等云云、又云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」等云云、妙楽の云く「子父の法を弘む」等云云、道暹云く「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。〜
〜釈迦如来は後五百歳と記し給ひ正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等と書き給いて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ、さればをしはかるに地涌千界の大菩薩は釈迦多宝十方の諸仏の御譲り御約束を空く黙止てはてさせ給うべきか。
 外典の賢人すら時を待つ郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る、此の大菩薩も末法に出ずべしと見えて候、いかんと候べきぞ瑞相と申す事は内典外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり、〜
末法の始に妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり、例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し、下賎の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや、一切世間多怨難信の経文是なり〜
〜国主万民を憚からず大音声を出して二十余年が間よばはりつるは竜逢と比干との直臣にも劣るべきや、大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たるか、火の中の数子を父母が一時に取り出さんと思ふに手少なければ慈悲前後有るに似たり、故に千手万手億手ある父母にて在すなり、爾前の経経は一手二手等に似たり法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」無数手の菩薩是なり、日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり、高けれども耳とければ聞かせ給うらん厚けれども眼早ければ御覧あるらん天地既に知し食しぬ〜
是を以て計るに法華経を釈迦多宝十方の諸仏大菩薩供養恭敬せさせ給へば此の仏菩薩は各各の慈父慈母に日日夜夜十二時にこそ告げさせ給はめ〜

”神力品八箇の大事

第一妙法蓮華経如来神力の事
 文句の十に云く神は不測に名け力は幹用に名く不測は即ち天然の体深く幹用は則ち転変の力大なり、此の中深法を付属せんが為に十種の大力を現ず故に神力品と名くと。
 御義口伝に云く此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、
惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事宝塔品の時事起り寿量品の時事顕れ神力属累の時事竟るなり、如来とは上の寿量品の如来なり神力とは十種の神力なり所詮妙法蓮華経の五字は神と力となり、神力とは上の寿量品の時の如来秘密神通之力の文と同じきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る所の題目なり此の十種の神力は在世滅後に亘るなり然りと雖も十種共に滅後に限ると心得可きなり、又云く妙法蓮華経如来と神との力の品と心得可きなり云云、如来とは一切衆生なり寿量品の如し、仍つて釈にも如来とは上に釈し畢ぬと云えり此の神とは山王七社等なり此の旨之を案ず可きなり云云。

”妙法曼陀羅供養事   文永十年 五十二歳御作
 与千日尼
 妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ、此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり天には日月の如し地には須弥山の如し生死海の船なり成仏得道の導師なり。
 此の大曼陀羅は仏滅後二千二百二十余年の間一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず、病によりて薬あり軽病には凡薬をほどこし重病には仙薬をあたうべし、仏滅後より今までは二千二百二十余年の間は人の煩悩と罪業の病軽かりしかば智者と申す医師たちつづき出でさせ給いて病に随つて薬をあたえ給いき、所謂倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗真言宗華厳宗天台宗浄土宗禅宗等なり、彼の宗宗に一一に薬あり、所謂華厳の六相十玄三論の八不中道法相の唯識観律宗の二百五十戒浄土宗の弥陀の名号禅宗の見性成仏真言宗の五輪観天台宗の一念三千等なり。
 今の世は既に末法にのぞみて諸宗の機にあらざる上、日本国一同に一闡提大謗法の者となる、又物に譬うれば父母を殺す罪謀叛ををこせる科出仏身血等の重罪等にも過ぎたり、三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く十方世界の堂塔を焼きはらへるよりも超えたる大罪を一人して作れる程の衆生日本国に充満せり、されば天は日日に眼をいからして日本国をにらめ、地神は忿りを作して時時に身をふるうなり、然るに我が朝の一切衆生は皆我が身に科なしと思ひ必ず往生すべし成仏をとげんと思へり、赫赫たる日輪をも目無き者は見ず知らず、譬えばたいこの如くなる地震をもねぶれる者の心にはおぼえず、日本国の一切衆生も是くの如し女人よりも男子の科はををく男子よりも尼のとがは重し尼よりも僧の科はををく破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し、持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし、此等は癩病の中の白癩病白癩病の中の大白癩病なり
 末代の一切衆生はいかなる大医いかなる良薬を以てか治す可きとかんがへ候へば大日如来の智拳の印並びに大日の真言阿弥陀如来の四十八願薬師如来の十二大願衆病悉除の誓も此の薬には及ぶべからず、つやつや病消滅せざる上いよいよ倍増すべし、此等の末法の時のために教主釈尊多宝如来十方分身の諸仏を集めさせ給うて一の仙薬をとどめ給へり所謂妙法蓮華経の五の文字なり、此の文字をば法慧功徳林金剛薩埵普賢文殊薬王観音等にもあつらへさせ給はず、何に況や迦葉舎利弗等をや、上行菩薩等と申して四人の大菩薩まします、此の菩薩は釈迦如来五百塵点劫よりこのかた御弟子とならせ給いて一念も仏をわすれずまします大菩薩を召し出して授けさせ給へり、されば此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩前後左右に立そひて此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へばかげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し、此の四大菩薩南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人をはなるるならば釈迦多宝十方分身の諸仏の御勘気を此の菩薩の身に蒙らせ給うべし、提婆よりも罪深く瞿迦利よりも大妄語のものたるべしとをぼしめすべし、あら悦ばしやあら悦ばしや、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
                             日蓮花押

〜至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり
抜苦与楽のうえに振る舞えの意味も含まれている因行果徳倶時不思議の一法

常不軽品三十箇の大事
第一常不軽の事
 御義口伝に云く常の字は三世の不軽の事なり、不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云云

”安楽行品五箇の大事
第三 有所難問不以小乗法答等の事
 
御義口伝に云く対治の時は権教を以て会通す可からず。
 一切種智とは南無妙法蓮華経なり一切万物なり種智万物の種なり妙法蓮華経是なり、又云く一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり之を思う可し。

”化城喩品
       
三千塵点
      観彼久遠 猶如今日
        在世
 此の文は元初の一念一法界より外に更に六道四聖とて有る可からざるなり所謂南無妙法蓮華経三世一念なり今日とは末法を指して今日と云うなり。

釈尊の因行果徳の二法は 妙法蓮華経 の五字に具足す。
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳譲り与え給う”

〜答えて曰く末法に於ては大小権実顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云、仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字授与せんこと当世異義有る可からず〜


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