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御活躍を見通された文証等(弟子旦那等)随時更新

様々な時代状況の変化等に対応する知恵等が、仏教の歴史と世間の歴史等を引用されて、仏法の極理から世間の道理についても御教示されている御本仏日蓮大聖人の大経典・日蓮大聖人御書全集に、鎌倉時代の弟子旦那等の後身等が現代社会明治大正昭和平成令和時代等に生まれて仏教上の大事業・御本仏の御構想を実現へ活躍する事を予見させる部分も掲載されている。

引用はじめ"
陰徳陽報御書

 いよいよかない候べし、いかにわなくともきかぬやうにてをはすべし、此の事をみ候に申すやうにだにふれまわせ給うならばなをも所領もかさなり人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候、さきざき申し候いしやうに陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ主もいかんぞをぼせしかどもわどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ、又此の法門の一行いかなる本意なき事ありともみずきかずいわずしてむつばせ給へ、大人にはいのりなしまいらせ候べし、上に申す事私の事にはあらず外典三千内典五千の肝心の心をぬきてかきて候、あなかしこあなかしこ恐恐謹言。
卯月二十三日        日蓮在御判  御返事
"引用おわり
御本仏日蓮大聖人所有の本眷属日蓮正宗創価学会等信力行力の南無妙法蓮華経如来の常住仏性並びに衆生本有の慈悲心が世間の事法改善の本来機能発揮する事を御本仏法宝に御祈念申し上げる事も陰徳陽報御書の実践になる。

引用はじめ"
崇峻天皇御書 建治三年九月 五十六歳御作 与四条金吾
 白小袖一領銭一ゆひ又富木殿の御文のみなによりもかきなしなまひじきひるひじきやうやうの物うけ取りしなじな御使にたび候いぬ、さてはなによりも上の御いたはりなげき入つて候、たとひ上は御信用なき様に候へどもとの其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへいきをえてさかうる事に候。
 此れも(四条金吾殿と江間氏の関係も)かくのごとし、阿闍世王は仏の御かたきなれども其の内にありし耆婆大臣仏に志ありて常に供養ありしかば其の功大王に帰すとこそ見へて候へ、仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には「我深く汝等を敬う」涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり〜
 〜されば王位の身なれども思う事をばたやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかにきこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。
 一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品(三十箇の大事)にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。

  建治三年丁丑九月十一日        日蓮花押  四条左衛門尉殿御返事

"引用おわり

引用はじめ"
富木殿御返事   文永九年四月 五十一歳御作   於佐渡一の谷
 御返事
   日蓮が臨終一分も疑無く頭を刎ねらるる時は殊に喜悦有るべし、
   大賊に値うて大毒を宝珠に易ゆと思う可きか。
   鵞目員数の如く給び候い畢んぬ御志申し送り難く候、
         
法門の事先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ
其の書能く能く御覧有る可し、
 粗経文を勘え見るに日蓮法華経の行者為る事疑無きか
但し今に天の加護を蒙らざるは
 一には諸天善神此の悪国を去る故か、
二には善神法味を味わざる故に威光勢力無きか、
 三には大悪鬼三類の心中に入り梵天帝釈も力及ばざるか等、
 一一の証文道理追て進せしむ可く候、
 但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し
 諸の悪人は又善知識なり、摂受折伏の二義仏説に依る、
 敢て私曲に非ず万事霊山浄土を期す、恐恐謹言。
 卯月十日          日蓮花押  土木殿
"引用おわり

引用はじめ"
 辧殿御消息 文永九年七月 五十一歳御作 
不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべし。
此の書は随分の秘書なり、已前の学文の時もいまだ存ぜられざる事粗之を載す他人の御聴聞なからん已前に御存知有るべし
総じてはこれよりぐしていたらん人にはよりて法門御聴聞有るべし
互に師弟と為らんか、恐恐謹言。
 七月二十六日        日蓮花押  辧殿大進阿闍梨御房三位殿
"引用おわり

引用はじめ"
辧殿尼御前御書   文永十年九月      五十二歳御作       与日昭母妙一
  しげければとどむ、辧殿に申す大師講ををこなうべし大師とてまいらせて候、三郎左衛門尉殿に候、御文のなかに涅槃経の後分二巻文句五の本末授決集の抄の上巻等御随身あるべし。貞当は十二年にやぶれぬ将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりといえども弟子等檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、尼ごぜんの一文不通の小心にいままでしりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつかうべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦多宝十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。
  九月十九日      日蓮花押    辧殿尼御前に申させ給へ 
"引用おわり

引用はじめ"
弥源太入道殿御消息
 一日の御帰路をぼつかなく候つる処に御使悦び入つて候、御用事の御事共は伯耆殿の御文に書かせて候、然るに道隆の死して身の舎利となる由の事、是は何とも人知らず用いまじく候へば兎角申して詮は候はず、但し仏の以前に九十五種の外道ありき各各是を信じて仏に成ると申す、又皆人も一同に思いて候し程に仏世に出でさせ給いて九十五種は皆地獄に堕ちたりと説かせ給いしかば五天竺の国王大臣等は仏は所詮なき人なりと申す、又外道の弟子どもも我が師の上を云れて悪心をかき候、竹杖外道と申す外道の目連尊者を殺せし事是なり、苦得外道と申せし者を仏記して云く七日の内に死して食吐鬼と成るべしと説かせ給いしかば外道瞋りをなす、七日の内に食吐鬼と成りたりしかば其を押し隠して得道の人の御舎利買うべしと云いき、其より外に不思議なる事数を知らず。但し道隆が事は見ぬ事にて候へば如何様に候やらん、但し弘通するところの説法は共に本権教より起りて候しを
 今は教外別伝と申して物にくるひて我と外道の法と云うか、其の上建長寺は現に眼前に見へて候、日本国の山寺の敵とも謂いつべき様なれども事を御威によせぬれば皆人恐れて云わず、是は今生を重くして後生は軽くする故なりされば現身に彼の寺の故に亡国すべき事当りぬ、日蓮は度度知つて日本国の道俗の科を申せば是は今生の禍後生の福なり、但し道隆の振舞は日本国の道俗知りて候へども上を畏れてこそ尊み申せ又内心は皆うとみて候らん、仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも世間の事は眼前なれば知りぬらん、又一は用いずとも人の骨の舎利と成る事は易く知れ候事にて候、仏の舎利は火にやけず水にぬれず金剛のかなづちにてうてども摧けず、一くだきして見よかしあらやすしあらやすし、建長寺は所領を取られてまどひたる男どもの入道に成りて四十五十六十なんどの時走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、云うに甲斐なく死ぬれば不思議にて候をかくして暫くもすぎき。
 又は日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたばかりて候らめ、あまりの事どもなれば誑惑顕われなんとす、但しばらくねうじて御覧ぜよ、根露れぬれば枝かれ源渇けば流尽くると申す事あり、恐恐謹言。
 弘安元年戊寅八月十一日      日蓮花押 弥源太入道殿
  

"引用おわり

引用はじめ"
遠藤左衛門尉御書
 日蓮此の度赦免を被むり鎌倉へ登るにて候、如我昔所願今者已満足此の年に当るか、遠藤殿御育み無くんば命永らう可しや亦赦免にも預かる可しや、日蓮一代の行功は偏に左衛門殿等遊し候処なり、御経に「天諸童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害すること能はず」と候得ば有難き御経なるかな、然ば左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山(霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云)に於て日蓮日蓮と呼び給え、
其の時御迎えに罷り出ず可く候、猶又鎌倉より申し進す可く候なり。
文永十一年甲戌三月十二日       日蓮 遠藤左衛門尉殿 
"引用おわり

引用はじめ"  
五大の許御書
 □□りげなくなに事もかくの事□不沙汰あるか○す御尋ねあるべし
 は或は前後し或は落経にても候はず。
 □ものくるわしきとはこれなり法門もかしこきやうにて候へばわるかるべし。
追申
 五大のもとへは三伊房も申して候
 他所に於いて之を聞かしめ将又事に依り子細有るべきか、
 伯耆阿闍梨事(御書全集御編纂59世日亭上人の事)は但(日蓮大聖人御書全集の)祖なるやうなるべし、
設ひ件の人見参為と雖も其の義を存じて候へ。
"引用おわり

引用はじめ"
  三世諸仏総勘文教相廃立 弘安二年十月 五十八歳御作 日蓮之を撰す
 夫れ一代聖教とは総べて五十年の説教なり是を一切経とは言うなり、此れを分ちて二と為す一には化他二には自行なり、一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり此れをば権教と云い亦は(能通)方便と名く〜 
五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物経経の異説なり内典外典名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中五仏性五智の如来種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり是を十如是と云う此を唯仏与仏乃能究尽と云う
不退の菩薩と極果の二乗と少分も知らざる法門なり然るを円頓の凡夫は初心より之を知る故に即身成仏するなり金剛不壊の体なり〜

〜 釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめし即座に悟を開き給いき〜
天地水火風は是れ五智の如来なり一切衆生の身心の中に住在して片時も離るること無きが故に世間と出世と和合して心中に有つて心外には全く別の法無きなり故に之を聞く時立所に速かに仏果を成ずること滞り無き道理至極なり〜

"引用おわり

引用はじめ"
第三 有所難問不以小乗法答等の事
 御義口伝に云く対治の時は権教を以て会通す可からず。
一切種智とは南無妙法蓮華経なり
一切万物なり
種智万物の種なり
妙法蓮華経是なり、
又云く一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり之を思う可し。

"引用おわり

引用はじめ"
第廿六 寿量品の対告衆の事
 御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「為彼除悪即是彼親」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。
"引用おわり

正本堂建立時の大石寺管長66世の最後の御書講義義浄房御書であった事に意味があった。
引用はじめ"
義浄房御書
 御法門の事委しく承はり候い畢んぬ、法華経の功徳と申すは唯仏与仏の境界十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり、されば天台大師も妙の一字をば妙とは妙は不可思議と名くと釈し給いて候なるぞ前前御存知の如し、然れども此の経に於て重重の修行分れたり天台妙楽伝教等計りしらせ給う法門なり、就中く伝教大師は天台の後身にて渡らせ給へども人の不審を晴さんとや思し食しけん大唐へ決をつかはし給ふ事多し、されば今経の所詮は十界互具百界千如一念三千と云ふ事こそゆゆしき大事にては候なれ、此の法門は摩訶止観と申す文にしるされて候、次に寿量品の法門は日蓮が身に取つてたのみあることぞかし、天台伝教等も粗しらせ給へども言に出して宣べ給はず竜樹天親等も亦是くの如し、寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり秘す可し秘す可し、叡山の大師渡唐して此の文の点を相伝し給う処なり、一とは一道清浄の義心とは諸法なり、されば天台大師心の字を釈して云く「一月三星心果清浄」云云、日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹迦葉にも勝れたり、相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり、
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
 文永十年五月二十八日    日蓮花押  義浄房御返事
"引用おわり

引用はじめ"
 華果成就御書   弘安元年四月 五十七歳御作                            与浄顕房義浄房 於身延
 其の後なに事もうちたへ申し承わらず候、さては建治の比故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候、たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎかくればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず、日蓮法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房日蓮房とうたはるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや、日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、一名上行乃至四名安立行菩薩云云、末法には上行出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか、さればいねは華果成就すれども必ず米の精大地にをさまる、故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり、日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候、常にかたりあわせ出離生死して同心霊山浄土にてうなづきかたり給へ、経に云く「衆に三毒有ることを示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」云云。
前前申す如く御心得あるべく候、穴賢穴賢。
弘安元年戊寅卯 月 日       日蓮花押 浄顕房 義浄房

"引用おわり

引用はじめ"
報恩抄送文
 御状給り候畢ぬ、親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ、御本尊図して進候此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後正法よりも像法像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば日本国に是より外に法華経の行者なしこれを皆人存じ候ぬべし、道善御房の御死去の由去る月粗承わり候、自身早早と参上し此の御房をもやがてつかはすべきにて候しが自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へばなにとなく此の山を出でず候、此の御房は又内内人の申し候しは宗論やあらんずらんと申せしゆへに十方にわかて経論等を尋ねしゆへに国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に此の御房はするがの国へつかはして当時こそ来て候へ、又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ詮なからん人人にきかせなばあしかりぬべく候、又設いさなくともあまたになり候はばほかさまにもきこえ候なば御ため又このため安穏ならず候はんか、御まへと義成房と二人此の御房をよみてとして嵩がもりの頂にて二三遍又故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては此の御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ、たびたびになり候ならば心づかせ給う事候なむ、恐恐謹言。 七月二十六日               日蓮花押
 清澄御房

"引用おわり

引用はじめ"
報恩抄          日蓮之を撰す
 夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、譬へば衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや、仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母師匠等の心に随うべからず、この義は諸人をもはく顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣孝人なるやうもみえたり、内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。
 かくのごとく存して父母師匠等に随わずして仏法をうかがひし程に
 一代聖教をさとるべき明鏡十あり〜
 
 〜日本国には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたりていでさせ給い天台の御釈を見て欽明より已来二百六十余年が間の六宗をせめ給いしかば在世の外道漢土の道士日本に出現せりと謗ぜし上仏滅後一千八百年が間月氏漢土日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、西国の観音寺の戒壇東国下野の小野寺の戒壇中国大和の国東大寺の戒壇は同く小乗臭糞の戒なり瓦石のごとし、其を持つ法師等は野干猿猴等のごとしとありしかばあら不思議や法師ににたる大蝗虫国に出現せり仏教の苗一時にうせなん、殷の紂夏の桀法師となりて日本に生まれたり、後周の宇文唐の武宗二たび世に出現せり仏法も但今失せぬべし国もほろびなんと大乗小乗の二類の法師出現せば修羅と帝釈と項羽と高祖と一国に並べるなるべしと、諸人手をたたき舌をふるふ、在世には仏と提婆が二の戒壇ありてそこばくの人人死にき、されば他宗にはそむくべし我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立つべしという不思議さよあらおそろしおそろしとののしりあえりき、されども経文分明にありしかば叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給いぬ、されば内証は同じけれども法の流布は迦葉阿難よりも馬鳴竜樹等はすぐれ馬鳴等よりも天台はすぐれ天台よりも伝教は超えさせ給いたり、世末になれば人の智はあさく仏教はふかくなる事なり、例せば軽病は凡薬重病には仙薬弱人には強きかたうど有りて扶くるこれなり。
 問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、
末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、
答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に(法華経文底独一)本門(本因妙)の教主釈尊(仏力法力の分身散体本地の御本仏日蓮大聖人御一身の御当体)を本尊とすべし、所謂宝塔の内の(法華経守護の)釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱う(無作の三身の所作を現ずる)べし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしというこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり、日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教天台にも超へ竜樹迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏はあたたかに冬はつめたし時のしからしむるに有らずや。

「我滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無けん」等云云、此の経文若しむなしくなるならば舎利弗は華光如来とならじ迦葉尊者は光明如来とならじ目�は多摩羅跋栴檀香仏とならじ阿難は山海慧自在通王仏とならじ摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ耶輸陀羅比丘尼は具足千万光相仏とならじ、三千塵点も戯論となり五百塵点も妄語となりて恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち多宝仏は阿鼻の炎にむせび十方の諸仏は八大地獄を栖とし一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべしいかでかその義候べき、其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり、されば花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
 建治二年[太歳丙子]七月二十一日   之を記す
  甲州波木井郷身延山より安房の国東条の郡清澄山浄顕房義成房の許に奉送す

"引用おわり

仏力法力の南無妙法蓮華経如来御本仏日蓮大聖人御一身の御当体
仏力法力の分身散体本地の御本仏日蓮大聖人即法(根)本尊(崇)法宝
そうじて信力行力の南無妙法蓮華経如来〜一切衆生
別して(事実の上で行ずる)信力行力の南無妙法蓮華経如来
〜日蓮の弟子檀那等
=御本仏日蓮大聖人所有の日蓮正宗創価学会と今本時の娑婆世界の本化国主法華経守護の三世の菩薩の慈天法華経守護の虚空蔵菩薩
引用はじめ"
御義口伝巻下   日蓮所立自寿量品至開結二経
      寿量品廿七箇の大事

第一 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事 文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量なり、十方三世二仏三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。
 御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。
"引用おわり

2023年11月15日に後生善処への変化(呼吸心臓停止)始められた
創価学会インターナショナル会長池田大作先生の後身は
2024年に誕生後青年になるのに20年くらいかかる、本部幹部になるには
早くても大学卒業後の22歳以後2046年頃に本部幹部になるかも知れない
その間、戸田城聖先生の後身は、現在本部幹部副会長をやっている(昭和34年2月11日生まれの人なので、2023年12月に64歳)人が創価学会を、世間の事法改善の本来機能発揮する方へ(医療詐欺薬接種処方現病製造医療殺戮廃絶へ)改善指導するべきと、思う。今回は如説修行抄の如く長生の術を得て、120歳のギネス級の長生きをして、曾谷入道殿許御書の商山の四皓綺里枳角里先生東園公夏黄公等の四賢の比喩蓮華の如き指導者を行ずるべき"兵頭信二副会長"。
引用はじめ" 
破良観等御書
     〜
此れをもんてをもうに故弥四郎殿は設い大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず、何に況や(67世を二祖三祖の誉め言葉で誉めすぎた程度の)
小罪なり法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。
"引用おわり

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