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青年訓(戸田城聖創価学会会長昭和26年11月1日:巻頭言より)

日本に聖誕の救世主(三世常恒の御利益主師親三徳大慈大悲)御本仏日蓮大聖人の教え信仰し最高唯一の宗教の力によって、人間革命を行い人世の苦を救って各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本(注釈:常寂光の世界地球社会・常寂光の地球天体及び常寂光の今此三界仏国)を現出せしめん事を願う者である”

引用はじめ
新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。

 吾人らは、政治を論じ、教育を勘うる者ではないが、世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教の力によって、人間革命を行い人世の苦を救って個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめん事を願う者である。

 この事業は、過去においては釈迦の教団が実行し、近くは日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。 釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、皆若き学徒であった。 日蓮大聖人の門下も、また、皆若き学徒によって、固められていたのである。 日興上人は、大聖人より24歳も若く、日朗もまた、21歳の年の開きを持っていた。 西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。

 吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に没在せる東洋の浄土化を、弘宣せんとする者である。

 諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と、同じ目的、同じ道程にある事を自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。 霊鷲山会に、共々座を同じうした時、『末法の青年は、だらしがないな』と、舎利弗尊者や大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣く事を知らなくてはならない。

 奮起せよ! 青年諸氏よ。

 闘おうではないか! 青年諸氏よ。

 しからば、誰人と、如何なる戦を、吾人らは、為すものであろうか。

 第一は、無智の者に永遠の生命を教え、(注釈:御本仏日蓮大聖人所有の本眷属((一大妙法受持勤行仏道修行広宣流布者の集い:一大和合僧団:弟子旦那等俗弟子等))日蓮正宗創価学会の崇め奉る、仏力法力の分身散体の御本仏)仏力法力の南無妙法蓮華経の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を着、慈悲の利剣を引っさげて戦うのである。

 第二は、邪智邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗邪義は一切この世の中の不幸の原因であり、それが為に、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世は皆乱るるなりと教え、邪智邪宗を飜えす様、智慧の鎧を身に纏い、彼らが執着の片意地を、精進勇気の利剣を持って、断ち切るの戦いである。

 第三に、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。 しかるに青年は、親をも愛さぬ様な者も多いのに、どうして他人を愛せようか。 その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲(大抜苦大与楽)の境地(一切衆生の異の苦と同一苦の抜苦の大抜苦と万行万善万戒の功徳を納功徳聚法華の当体妙法の当体蓮華証得の大きな楽しみ譲り与えの大与楽のために唱題する境地)を会得する、人間革命の戦いである。

 思考して、吾人は更に、諸兄らの行動について、望む処を持つ者である。

 第一に、絶対的確信に満ちたる信仰の境地に立脚し、信行において微動だにする事なく唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、(仏力法力の分身散体本地の御本仏)日蓮大聖人と共に居ますの有難さに溢れ、地涌の菩薩の後身を確信する事である。

 第二には、行学に励み御書を心肝に染め大聖人の仏法に通達して迷いなく、今は如何なる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし日興上人ご遺誡我が命として、努むべきである。

 第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず理を尽くして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべき事である。

 第四には、部隊長及び班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たる事を、自覚せられたき事である。

 しかも、広宣流布の時は近く、創価学会の御本尊流布の機は、今まさにこの時である。 故に、三類の強敵は、当に現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗邪義に憎まれ、内には誹謗の声漸く高し、驚く事勿れ、この世相を。 こは、これ、聖師の金言なり。

 されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御覚えに愛でたからんと願うべきである。 愚人に褒むらるるは、智者の恥辱なり。 大聖に褒むらるるは、一生の名誉なり。 心して御本尊の馬前(比喩蓮華・御本仏の御宝前)に屍を晒さん事を。(昭和26年11月1日)”引用おわり

今梵天帝釈日月四天天照太神八幡大菩薩日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎ
過去の輪陀王のごとし
白馬
日蓮なり
白鳥我らが一門なり
白馬のなく我等が南無妙法蓮華経のこえなり、
此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし

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