It Hurts Me Too

1.
 律子は階下のリビングのTVから流れ出てくる古めかしいロックミュージックを耳にして、チョットうんざりな気分になった。月曜の遅めの朝の情報番組の特集コーナーから流れてくるそのロックバンドの曲は、先週からやたらとTVで特番が組まれていて、毎日毎日同じようにしょっちゅう流れ出てくるのだ。なので、「ローリングストーンズなんてなくなったって別に今の音楽に何の影響があるの?」という気分だ。第一、律子にとって最近TVでながされるローリングストーンズの曲なんてどれも同じ曲に聞こえる。単純なギターのリフの繰り返しと、何を言っているかよくわからないヴォーカル。
 「まあしょうがないか、、、、最後の一人が先週天国へ行っちゃったんだったら、TVだって近頃たいした事件やネタがない中、やっと出てきたネタだしね。」とまあ皮肉めいた独り言を言ったのか、心のなかで呟いたのかというところだ。呟きついでに言うと「私はローリングストーンズより、ビートルズの方が好きかな。まあ、ビートルズの方はとっくの昔にもう誰一人この世からいなくなったけどね。」
 
 まあ律子は年齢の割に同世代よりは多少音楽には詳しい方だ。高校では軽音楽部でギターを担当しているので、いわゆる今のポピュラーミュージックに関しては割と詳しい。友達から今の旬のアーチスト、シンガーなどのことを教えてと良く聞かれる。最近は日本のポピュラーミュージックのアーチスト、シンガーはある程度網羅したので外国のアーチストにアンテナを張っていて、色々とチェックしている。なので、ビートルズやローリングストーンズという大昔のロックバンドの名前も曲も少しはかじったのだ。でもやはり今の最先端を走っているアーチストのサウンドと比べると何か物足りない感じがして、それほどのめり込むことなく、今のトップランナーとも言える海外アーチストを漏らすことなくチェックしている感じだ。
 もともと小さなころから音楽は好きな方だったので、高校にはいったら、ダンス部にするか、吹奏楽部にするか、軽音楽部にするか、それともコーラス部にするか?と悩んでいた。結局、どういう経緯だったか忘れたが、軽音楽部に入ってギターを担当することになった。それでまあ随分先の話なのだが、文化祭で軽音楽部と吹奏楽部でコラボしてなにか数曲やらないかと軽音楽部の顧問の教師と吹奏楽部の顧問の教師が意気投合したらしく、軽音・吹奏両部のパイプ役として律子が軽音楽部サイドの窓口担当に選ばれてしまった。吹奏楽部からも一人パイプ役の窓口担当の生徒が選ばれているはずで、近々顔合わせというかミーティングみたいなものをしなければいけないことになっている。
 根が真面目というか、研究熱心、別の言い方をすれば多少オタク気質なのかもしれないが、吹奏楽部とコラボなら管楽器の入ってるポピュラーミュージックを少しは聴いておこうと思い、古いジャズみたいな音源をYouTubeで聴こうとスマホにイヤホンジャックをさし、そしてイヤホンを耳に当てて、再生をオンにしてみた。

曲名:T-Bone Shuffle by T-Bone Walker

 我慢して通して聴いてみた。三分に満たない短い曲だった。
 「哲っちゃん、変なの教えたな!」確かに管楽器は入っているけどギターの音はペケペケしているし全然カッコよくない。カッコよくなくても良いのでせめて管楽器がゴージャスなサウンドを彩ってくれているようなのを期待したのに、、、  折角平日月曜の学校が休みの日で得した気分だったのに、こんな変な気の抜けた炭酸飲料みたいなリズムの曲を聴いたら、上げ調子の気持ちが腑抜けにされた気になってしまった。
 「こんなの紹介してぇ、、、、哲っちゃんに文句言ってやる。それでもっといいやつ、管楽器が目だった素敵な曲を紹介するように文句言いに行ってやろう。」そう思い立って身支度をはじめた。

2.
 階下のダイニングルームでは母の美津子が遅めの朝食というか早めの昼食ともとれる物をテーブルに並べておいてくれた。ハムエッグ、サラダ、そしてスープかみそ汁はインスタントなので好きな方を選んでお湯を注いでセルフサービス、それに準じてパンをトーストするか、冷凍ご飯をレンジでチンという具合だ。身支度が済んでダイニングルームで席についてその朝食というか昼食を食べていると、洗濯物バスケットを抱えて美津子がキッチン横のランドリースペースから出てきた。
 今時乾燥機能付き洗濯機を使ってないのはうち位なのだが、洗濯物を庭に干すために水分を含んだ重たい洗濯物を入れたバスケットを抱えて母が「よっこらせ!」と言いながらふざけて年寄りぶって出てきた。一応言っておくが、乾燥機能付き洗濯機を買う余裕が無いわけではない。むしろ買おうと思えば近所の家電量販店へ行って、特に値引きなどしてもらわなくてもすぐ購入することは出来るくらいには裕福である。父はそこそこ大きな会社に勤めているし、年相応には役職についている。出世街道まっしぐらというほどでは無いが、何十人もいる同期入社の中では、出世街道一本やりの同期の次のポジション位にはいるようだ。母美津子とは職場恋愛で結婚したそうだ。
 その母は、「折角郊外に庭の広い一戸建てを建てたのだから、お庭に洗濯物をば~と干したいのよ!」と言って洗濯物をいつも庭で広げている。母は結婚するまで実家暮らしだったのだが、実家はマンションでバルコニーはあるがTVCMで良くある、広い庭に真っ白なシーツや可愛い(女の子の)洋服の洗濯物を干す、というシチュエーションに憧れていたようで、というか今だそうすることが楽しいようで、晴れた日には洗濯物をば~と広げている。
 「あら、今日は割と早く起きてきたのね。」と美津子は律子に一言。
 「うん、食べたらチョット哲っちゃんとこ行ってくるね。また例の部活関係のことで色々教えてもらおうかと思っているんだけど、、、、  でも哲っちゃんも万能では無いかもね。この前教えてもらったジャズの、、、えーと、タイトルが、ティー、、、、ティー、、ティー・ボーン、、、、ステーキとかいう奴!全然面白くなくってさ。」
 「あなた学校お休みだけど、一応世の中は平日の月曜日なんだから、哲っちゃんだって忙しいかもしれないのよ。忙しそうにしてたらすぐ戻ってらっしゃい。というか、ホントは行っちゃダメよと言わないといけないかしら?」とまあ、本当に行っちゃだめよというニュアンスは微塵もなく、一応形だけの引き止めのセリフを美津子は述べた。
 「ああ、それにもしかして事務のパートの千里さんもいるかもしれないし。」と追加でもう一言。
 「わかってるよ、でも哲っちゃんなんて売れない探偵稼業なんでしょ。離婚調査や遺産相続のトラブル解決とかの、、、、  そうそうそんな事件の依頼なんか来無いんじゃない。忙しそうなら挨拶だけしてすぐ帰ってくるよ。」律子は母にそう言ってスープの最後の一口とをすすった。それで、再度二階の自室へ戻ろうと席を立つ。
 「何度も言うけど、哲っちゃんは探偵ではないのよ。そういう関係の人との繋がりはあるかもだけど。なんだっけ、法律関係のお仕事で、なんていうんだったかしら、ぎょう、、、、ぎょう、、  そうだ、今晩は餃子でもいいかしら?あなた好きよね?」
 と美津子が言ってるのを背に二階への階段を駆け上った。二階は三部屋あって、一番奥に母美津子と父の主寝室。その隣に妹の部屋。一番手前の階段前に律子の部屋という配置だ。自室のドアノブを握ってドアを開けた。部屋に入るとスマホをオフにするのを忘れていたみたいでYouTubeではまだステーキさんが別の曲を演奏しているようだ。一応イヤホンを片方だけしてみてどんな曲かと確認してみる。なんかスローな曲のようだ。タイトルは「嵐の月曜日」だって。でも曲調は全然嵐のように激しくない。今日は丁度月曜日だけど、平和な月曜日だ。この曲の曲調みたいにのんびりとした穏やかないい日和だ。まったく今回の哲っちゃんの選曲はとんちんかんだ。ついでに言うなら、このステーキさんの曲はどれもこれも自分にとっては何とも馴染めない変な曲調のやつばかりだ。

曲名:Stormy Monday by T-Bone Walker

They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
Wednesday is worst, and Thursday's so sad

The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
Sunday I'll go to church,and I'll kneel down to pray

Lord have mercy, Lord have mercy on me
Lord have mercy, My life is in misery
You know I'm crazy 'bout my baby
Lord, please send my baby back on to me

Sun rise in the east, it set up in the west
Sun rise in the east, it set up in the west
It's hard to tell, it's hard to tell, it's hard to tell,
which one,which one a little bad

3.
 哲っちゃんと言うのは、実は律子のおじさんのことだ。律子の父の年の離れた弟で律子の父とは真逆で、会社勤めではなく個人事業主と言うと体裁は良いが、まあ個人で何かしらの怪しげな事務所を営んでいる様だ。律子の父は堅実で都内の有名私立大を卒業し、今勤めている会社に就職したようだ。小中高大と野球を続けていて高校では甲子園にはいけなかったが、大学でも野球は続けて六大学リーグには出場し、結構注目を浴びた良い選手だったようだ。ちなみに高校、大学とも一応一般の入学試験をパスして入っているから、野球特待生とかではなく、本当に文武両道で、今も日曜日は地元の少年野球チームにコーチとしてボランティアで参加している。なので父親に関しては、たまに友人には「カッコイイお父さんだね!」等と言われたりして、自慢出来るところもあるのだが、家では面と向かっては親父に甘い顔はしないようにしているし、自分から話しかけたりはしない。この辺は年ごろの女の子に良く見られることだと思う。
 父親との思い出としては、律子が小学校高学年くらいから地元の少年野球チームのコーチに就任したので、ほぼ毎日曜日は早朝から午後三時ごろまで家にいない、というのが今は印象に残っている。まあ、小学校の低学年・中学年までは父親に週末は遊びに連れていってもらったのは覚えているが、高学年あたりから女の子の常で、父親と遊ぶのは何か嫌になって父親には近づかなくなっていき、それと同時に父もコーチのボランティア活動を始めたようだ。しかし父親とは疎遠にはなる一方で、律子の年ごろの女の子からしたら十分に警戒すべきおじさん族ではあるが、「哲っちゃんとは子供の頃と同じで何ら変わらずに気軽に話ができるのが不思議だな。」となんとなく考えつつ、律子自宅から徒歩10分、15分のところにある哲っちゃんの限りなくアパートと呼べるようなマンションに着いた。
 一応メインエントランスはセキュリティーロックがされているので、メインエントランスドア横のメインインターフォンで開けてもらおうと部屋番号をセキュリティーパネルに入力しようとしたが、部屋番号はなぜかいつも忘れてしまうので、エントランスドア横のセキュリティーパネルの横のメールボックスで部屋番号を確認する。今のご時世、メールボックスに名前の表札を貼る人はいないのだが、哲っちゃんは自宅兼の個人事務所なので:

○○○○号室「行政書士 近藤 哲人事務所」

と出している。なのでその表札のある部屋番号をセキュリティーパネルに入力してピンポンしてみると、
 「学校サボる不良娘を姪っ子にもった覚えはないぞ!」とインターフォンから声が聞こえてきたので、
 「違うよ、れっきとしたお休みなの!一応私立の学校だから公立高校とは違う私立特有のイベントなんかで今日は学校はお休みなの!」
 「わかってるよ、美津子さんからラインもらってるから知ってたよ。ちょっとからかったんだよ。おいで、今開けるよ。」と薄笑いの声で返事があった。メインエントランスドアのオートロックが、ジジジといいつつ開放される音がしたので律子はぴょんとドアを開けて中に入った。哲っちゃんの部屋は一階でマンションのエントランスドアに一番近い位置の部屋なので、エントランスドアから数歩で哲っちゃんの部屋のドアに到着。いつもの通り平日の昼間は施錠していない。2LDKのこの部屋は哲っちゃんの自宅でもあり、仕事場でもあるから平日は来客があったりするようなので、施錠はしないそうだ。なので、律子は自宅・事務所ドアのインターフォンは鳴らさずに勝手に部屋に入っていった。

 玄関からスッと伸びる廊下の突き当りにリビングルームというか一応応接室/ミーティングルームがあり、そこに古い型のCDコンポとレコードプレーヤーが窓際に置いてあって、哲っちゃんはそれにCDだかなんだかを入れているのか、取り出してしまっているのかで入ってきた律子に背を向けている。その背中に向かって、
 「哲っちゃん、この前教えてくれた ”ステーキ" さん!何なのあれ!もっとちゃんとしたやつを紹介してほしかったのに!」とどなったわけでは無いが、かなり大きな声で言ってしまった後に、「いけない、千里さんがいる日だっけ?事務室にいるの?今日忙しいならすぐ帰るけど?」と付け加えた。
 2LDKの間取りで、このLDが応接室/ミーティングルームで2LDKの2のうちの1つは哲っちゃん個人のプライベートルームで、もう1つは事務室として使っている。パート事務員の千里さんは週に何日か来て哲っちゃんの仕事の主に事務処理や各種手続きを手伝ってくれている様だ。
 「話す順番がちぐはぐだなぁ、、、、。千里さんは今日は来ないよ。大輔君がお熱出したみたいだ。今日は来てもらう日だったけど、実家暮らしとはいえシングルマザーだから、やっぱり自分の子は自分で面倒見ないとな。大輔君を医者に連れてくみたいだ。それに今日はうちも役所に行く手続き関係の事務処理はないし、来客予定もないから、休んでもらったよ。だからお転婆娘が部屋の中で多少大声張り上げても大丈夫な日だ。」と相変わらず律子には背を向けているがそう答えてきた。と、同時にセットし終わったCDからまた、スローテンポで決して明るい感じとは言い難い、ピアノとハーモニカのイントロの曲が始まった。
 「で、なんだ?”ステーキ”ってどういう意味だよ?相変わらず話があっちゃこっちゃ飛ぶな?それでも県内有数の名門進学校のJKなのかよ。もう少し理路整然と話てくれよ。」と振り向きながら言いつつ応接室のソファーに座れと手で合図をして、自分はキッチンへコーヒーを注ぎに行った。いつものごとく、律子にはこの家においてある律子専用の可愛いキャラ絵入りのマグカップにコーヒー半分牛乳半分でノンシュガーのカフェオレを淹れてくれるつもりだろう。
 「ステーキて、ほら、この前教えてくれた、”ティーボーンステーキ”ってジャズの音楽のことよ。」と言いつつ古めかしCDコンポの上に置いてあるCDケースのタイトルが目に触れたので、「なにこれ、”ベストオブ泥水”?!」と一言。相変わらず哲っちゃんのセンスは理解出来ない。
 「ああ、なんだ ”ティー・ボーン・ウォーカー” のことか。」とキッチンでカフェオレを作りながら答えてきて更に、「この前いきなり来て、習い事の時間が迫ってるからって詳しく説明もなく、”サックスが入っているようなバンドの曲を何曲か教えて!”って。そしたら、その時たまたまここで聴いてたティー・ボーン・ウォーカーでいいやって言うからYouTubeのURL教えたやつか?」
 「そうそう、そのこと。あの時は急いでたから、スピーカーからサックスの音とバンドサウンドが同時に流れてたし、明らかにロックとかのサウンドでは無かったから、哲っちゃんの好きなジャズの一種かと思って、とりあえずそのティーボーンさんでいいやと思ったのだけど。」と律子が話している間に哲っちゃんは、律子のカフェオレと自分が飲むシュガーたっぷりミルクたっぷりの甘々コーヒーをソファ前のコーヒーテーブルに置き、自身は律子の正面の独り掛けソファに腰を下ろした。そして、
 「いや、ジャズじゃないよ。まあ、多少ジャズとクロスオーバーしてるサウンドではあるけどな。それになんだ、”ベストオブ泥水”?確かに ”泥水” ってのは ”Muddy Waters” の直訳だけど、”Muddy Waters”って言うのはそのCDで歌ってる人の名前だよ。」 
 「千里さん、今日お休みなのね。じゃ、少し長居しちゃおう、というか今日はもう少し詳しく説明するからちゃんと参考になるやつを教えて。」カフェオレを一口飲んでA律子は身を乗り出し、更につづけた。
 「随分と先の話なんだけど、今年の文化祭でうち軽音部と吹奏楽部で何かコラボして数曲やることになったのよ。私はJ-ポップとかロックっぽい曲は詳しいほうだけど、吹奏楽でやるような、なんだろう、いわゆるスタンダードなポピュラーミュージックって知らないのよね。それで ”軽音の人間は流行りの音楽しか知らないな” みたいに吹奏楽部の人達に思われたらシャクじゃない。」
 「ああ、そういうことか。」哲っちゃんは、察してくれたようだ。しかし、続けて「俺だって吹奏楽で演るような曲は詳しくないぞ。まあ、大昔のビッグ・バンド・ジャズみたいなやつなら多少わかるけど。」
 「そうそう、そんな感じでもいいから、何か良さそうなの教えてよ。ステーキさんとか、今かかってるこんなヘンテコな音楽じゃなくてさ。近いうちに吹奏楽部の人と顔合わせのミーティングがあるから、ちょっとその手の音楽インプットしておきたいのよね。」そう言いつつ、コーヒーテーブルの隅にあるTVのリモコンを手にとって、TVのスイッチをオンにする。但し、一応CDコンポのスピーカーからは変な、と言うと哲っちゃんは怒るだろうが、エレキギターのシンプルなリフの暗い感じ曲が名が流れてきているので、本当はTVの音量を上げてこのCDコンポの曲を遮りたいが、そうすると多分怒るだろうし、仕方なくTVのヴォリュームを限りなく無音なレベルまで下げて、TV画面に映像だけ垂れ流す状態にした。
 「グレン・ミラーとか、ベニー・グッドマン辺りなら吹奏楽でやるかなぁ。」と今度は更に自信無さげに尻切れトンボな返事を返してきたが、続けて「グレン・ミラーなら 
”Moonlight Serenade” か、グッドマンなら ”Sing, Sing, Sing” 辺りだろうなあ、、、、 エリントンの Aトレインとか、カウント・ベイシーのワンオクロックもいいかな。いやいや、Aトレインも、ワン・オクロック・ジャンプもピアノが編成の中に必須だしやっぱり、、、、  う~ん、奇をてらってルイ・ジョーダンの “Caldonia” って訳は無いな、無い、無い。ははは、、、。いやでも、ルイ・ジョーダンなら “Keep A Knockin’” 辺りなら、、、」と延々続きそうなので、律子は哲っちゃんの独り言とも、律子に話しかけているともつかない言葉に割って入って、
 「何か呪文でもとなえているの?グレン・ミラーとベニー・グッドマンてのは名前は聞いたことある。それらでいいから、適当にみつくろってよ。あとどうせなら、有名どころじゃなくてもいいから、ボーカルの入った曲もね。吹奏楽部とのコラボだとしても、一応うちは軽音部だから楽器演奏だけじゃなくてボーカリストもいるから。」と少し急かし気味に言って、無音のTV画面に目をやった。ああ、まただ。今朝の家を出る前の、遅い朝食を食べる前にリビングのTVでやってた古めかしいロックバンドの懐かし映像が現れた。と同時に哲っちゃんのCDコンポのスピーカーから、とてつもなくへんてこりんな曲が流れ出てくる。エレキギターの短いフレーズの繰り返しと重苦しい歌声。CDコンポのコントロールパネルは5曲目と表示している。
 「な・に・こ・れ?!変な、変な、変な曲ね!」とまた大き目な声で哲っちゃんに向かって言い放ち、更に続けて、「ともかくグレン・ミラーとベニー・グッドマンと何かボーカル入ったやつ、よろしくね!ちゃんとしたやつよ!今流れているのとか、ティーボーンステーキさんみたいのはだめだからね!」と念を押したのだが、押されている方は、なぜか上の空で、TV画面を一瞥してCDコンポの方をむいて押し黙っている。そして何かぼそぼそと言っている。
 「この曲が始まったとたんに、この映像とは。神様のいたずらかな?このバンドもこの曲のタイトル名乗って何十年もロックンロールしてたんだなぁ。」

4.
 結局のところ、あの後30分もせずに哲っちゃんのところからは追い出されてしまった。哲っちゃんはスマホを2台持っていて、当然1台はプライベートのものでもう1台は仕事のもの。まず最初に仕事用のスマホが鳴って、お得意さんから相談事の呼び出しが発生し、その電話が済んだと思ったらプライベートの方に、高校時代から今現在まで継続して付き合いが続いているという友人からのお誘い電話があった。夕方前にはお得意さんの会社へ訪問することになったらしく、そのための資料を作成しなくてはならなくなり、その後の夜に友人と会うというか呑む約束ができ、その友人との旅行計画のためにこちらも資料を集めるとかで、急に忙しくなってしまったようだ。なので、
 「ごめん、ごめん、今晩か明日には姫のご希望に沿うようなのをみつくろって、ラインかメールでまたYou TubeのURL送るよ。ちゃんとしたやつね。ちゃんとしたやつをちゃんとおくるから。今日のところはお城へお戻りください。」ということで追い出されてしまった。でも哲っちゃんのマンションを出てお城に着く前に律子のスマホからピピっと着信通知音がして、メールが届いたことを知らせてくれた。哲っちゃんからだ。メールの内容は、

Glenn Miller ”Moonlight Serenade” :URL: xxxxxxxxxxxxxx
Benny Goodman ”Sing, Sing, Sing”:URL: xxxxxxxxxxxxxx
Louis Jordan “Keep A Knockin’” :URL: xxxxxxxxxxxxxx

”Moonlight Serenade” 
有名なロマンチックな曲、 聴いたら、あ、知ってる!だと思う。

 ”Sing, Sing, Sing” 
吹奏楽の定番じゃなかったかなぁ、、多分  --違ったら許せ。でも有名な一曲。

“Keep A Knockin’” 
ま、ご愛敬。ロックンロールスタイルではなく、スイングスタイル。

 とまあ、こんな感じだ。今週の金曜日の放課後に吹奏楽部の人と最初のミーティングがあるから、多少日数的に余裕があるし、この3曲がまた変なやつだったら再度哲っちゃんに他の曲を紹介してもらうこともできる。そう思い自宅のドアを開けて開口一番、
 「ただいま~!お母さん、やっぱり哲っちゃんとこからは早々においだされちゃった。」

 律子の通う高校は「鹿護高校」といい、一応私立の中高一貫校なのだが、わりに地味な名前をしている。というか、私立高校なのに、地元地域「鹿護町」の名前が学校名に入っているので、公立高校と思われがちだ。律子は中学からではなく、高校からの外部生募集枠受験にパスし通い出したのだ。幸いなことに、律子宅は学校まで徒歩で20分と掛からない距離にあるので、朝はそれほど早起きしなくても通学できている。ついでに説明すると、この地域は昔は皇室にゆかりのある大きな自然公園だったそうで、奈良のお寺から鹿を数頭連れてきて繁殖させて、京都・奈良のような景観を護っていたからというのが地域名の由来らしい。そして、その公園と鹿を護っていた役人の子孫が学校の創立者だとのことだ。なので私立高校なのだが、学校関係者は地元愛が結構強い方だし、地域名と学校名が同じなのは誇りの様だ。ちなみに付け加えれば、ここは横浜市の内陸のほうにあり、どちらかといえば丘や坂が多くアップダウンが多い地域で、海は近くには全然なく、生まれも育ちも横浜市なのだが、いわゆる良く言う「浜っ子」と自称するのもはばかれる雰囲気はあると律子自身は思っている。
 律子は現在二年生なので、当然ながら学校生活にも慣れ、もうそこまで来ている大学受験という難関シーズンに気が付かないふりをしつつ、学校生活を謳歌している状態だ。というのも、進学校たる本校のしきたりで三年生は部活や委員会活動の中心からは一歩引く感じになるので、二年生たる律子達が学校行事・部活・委員会・その他諸々のイベントのリーダー役を担わされる。それが嫌というわけはなく、まあ学内では三年生はもはや、引退してはいないが、引退したも同然な感じで色々な主導権を二年生に渡す慣例・雰囲気があるため、校内の中高6学年ある中の中で一番活躍できる学年を満喫していいる感じなのである。入学当初は中高一貫校の少数外部受験入学組の一人だったので、既に出来上がっている友達グループの輪に入っていけるか?とかの悩みもあったが、入学して数週間後にはおおよそクラスには馴染めたし、特段外部受験入学生に冷たいとかの雰囲気もなく、中学からの繰り上がり生達にとって、かえって外部受験入学生が珍しくみな気軽に話しかけてくれたし、他の学校の(律子の)中学生活のことなどを色々と聞かれたりして、すぐに打ち解けることが出来た。ちなみに、一応男女共学校である。
 運動部はほぼ毎日部活動を行っているところもあるが、概ね週三回位の運動を楽しむ程度のところがほとんどである。律子の軽音楽部も週三回、月・水・金、がメインの活動日で残りの、火・木は自主的な活動日となっている。火・木は部室は開けておくので来たい人・練習したい人は部室を利用して良いことになっている。進学校なので、火・木はちらほらと部員がやってきたりはするが、長居するものは無く、ついでに言えば、月・水・金だって必ずしもフルメンバーではない。月曜日は誰々は塾や予備校、まれにバイトで欠席、水曜日・金曜日も同じようなものである。それで、昨日は月曜日なので当たり前に今日は火曜日となるので、自主活動日である部室に人影はなく、律子と律子と同学年でクラスは違うし、部活内のバンドも違うが、部長の松田瑛太と向かい合って話をしていいる。もちろん、今週金曜日の吹奏楽部とのミィーティングについてだ。
 「近藤一人行かせるのもなんだから、俺も参加するよ。一応軽音の部長だしね。どうせ向こうだって一人で、って訳は無く2・3人で来るんじゃないか。うちに比べて大所帯の部なんだし。」近藤というのはもちろん律子を指している。瑛太はロック好き男子を前面に出していて、いつもちょい悪生徒を演じてはいるが実はとても真面目で面倒見がいいやつであることは律子は知っている。なんたって毎週末の土曜日か日曜のどちらかは家の稼業を真面目に手伝っているのを見かけたことがある。
 「松田が来たいなら来れば。ま、部長なんだし、向こうも部長は来るだろうしね。向こうは風子ちゃんが部長だったっけ?あ、そっか、風子ちゃん狙いだね?来なよ、麗しの風子ちゃんに会いたいでしょ。」風子ちゃんというのは、フルネームが暁美風子(あけみふうこ)ちゃんといい、隣町の私立の総合病院の院長の末娘で黒髪ロングの上品な出で立ちの美少女である。もちろん容姿端麗なだけではなく、性格や人あたりも問題は無く成績は優秀で、数人いる学内のマドンナ的存在の内の一人である。
 「あ、ばれた、、、、、 というのもあるけど、近藤はJ-POPと最近の日本のバンドとかは詳しいだろうけど、あんまりその他の音楽ジャンル知らないだろう。」瑛太は上手くおちゃらけて風子ちゃん口実を取り繕った。瑛太にすれば、風子ちゃんよりも実は律子口実なのだ。瑛太は小学校高学年まではクラシックピアノを習っていたそうだし、今聞く音楽ジャンルはどちらかというと昔の洋楽ロックとかのようだ。自信のバンドではギターを担当しているが、一応その他にベース・ギター、もちろんキーボード、ドラムスも叩けるマルチプレーヤーである。部の顧問の教師は、各部員に一番やりたい楽器は勿論のことだが、一通り何でも出来るように色々と担当楽器を替えさせてバンド内楽器ローテーション編成で定期的に部内で演奏会を催している。なので、中等部がら軽音楽部に在籍している瑛太は楽器は何でも出来るようになっているし、やはり音楽的知識 ー 楽器のこと、幅広いジャンルの楽曲に関すること、その他諸々 ー は律子よりは豊富である。
 「うん、確かに私はJ-POPと日本のバンド、最近のUSトップフォーティーぽいのはわかるけど、他のジャンルはあんまりかも。松田は私よりは他のジャンル詳しいでしょ。私もジャズとか詳しいおじさんにちょっと数曲選んでもらって聴いたりしたんだけどさ。だから来てくれればありがたいかな。私一人で風子ちゃんオーラを浴びるのもなんだし、松田にも少し風子ちゃんオーラを分けてあげる。」
 「近藤も暁美のオーラを浴びてもう少し美人になれるといいな。美人になれなくとも品行方正で、おしとやかになれるとね。」風子ちゃん口実で律子と会話が弾んで瑛太自身は心の中も少し弾んでくる。続けて、「へ~、ジャズ好きのおじさんがいるのか?どんな曲を教えてもらったの?俺にもシェアしてくれない。俺も古い洋楽ロック、1960s~1990s位は掘り下げて聴いてるけど、ジャズっていうのはほとんど知らないな。」
 「いいよ、後で軽音のグループラインに、、、じゃない方がいいか。みんな “なんだ?" てなっちゃうだろうから、松田のラインアドレスか普通にEメールアドレスでもいいから教えて。それにおじさんに教えてもらった YouTube のURLとかはっつけておく。」確か瑛太は1960~1990年代の洋楽ロックの内、70・80年代のハードロックと言われるジャンルが現在お気に入りのようで、良く自主練日の火曜・木曜にそれらの曲を一人で部室で練習しているのを見かける。そう考えてみると、確かに瑛太が一緒に来てくれたほうが話の幅も広がるだろうし、やはり一人っきりで軽音部の総意を代表するのは荷が重いとも思えてきた。吹奏楽部に比べたら、うちは人数は少ないのは明らかだが、軽音部は、律子のバンドで4人、瑛太のバンドで5人、1年生の4人編成のバンドは2組、中等部は一学年につき5人編成のバンドが1組づつある。ちなみに高3の学年も2バンドほどあるが、こちらはほとんど活動していないし人数から除外しても文句は出ないだろう。単純計算すると、4+5+4+4+5+5+5で、32人。(3年生の先輩、ごめんなさい。人数カウント除外しました。)それに比べて、吹奏楽部は1学年で1オーケストラ編成できる位の人数はいる。単純に小編成オーケストラだとしても、25人×6学年あれば、150人だ。もし、決定事項が多数決なら圧倒的に軽音部は不利である。ならば、多少声が大きい、我が強めに見える人物、瑛太のことだが、がいたほうが良いだろう。それに中等部からずっと軽音部なのだから、一番今の軽音部の皆のことを理解しているはずだ。

5.
 「じゃあ、そういうことで、あと宜しく。部室の戸締りとかよ、それと ”野暮用" は頑張り過ぎないことね。じゃぁね。」と言って律子は部室を後にした。部室を出る前に、瑛太と個人のラインアドレスを交換し、哲ちゃんからのメール内容を瑛太との TALK 画面に落とした後、少し雑談を交わして、金曜日のミーティングには律子と瑛太の二人で出席するとした。そして互いにそれ迄に、軽音部吹奏楽部コラボでやれそうな曲を探したり調べたりして教えあって選曲していこうとなった。
 「オッケー、オッケー。俺も調べたりするし、知ってる範囲で使えそうな曲ないか思い出してみる。明日水曜だけど、俺は野暮用で部活は出れないから、取り敢えず金曜のミーティングの放課後までライン上で情報・意見交換しよう。それに、ラインではまどろっこしいこともあるから、必要なら昼休みや、木曜日の放課後もあるし、互いのことを捕まえて話すればいいんだ。」律子が部室を去る前の瑛太が言ったことが、まあ正論である。実際のところ軽音部吹奏楽部コラボ用の選曲に絶対的な正解は無いので、出来るだけ良さそうな曲を探したり、意見交換したりして、アイディアを煮詰めていくしかない。律子の場合、正直なところ哲っちゃん頼みの部分は大きいのだが。律子にすれば哲っちゃんというおじさん的視点もありの、瑛太みたいな若い視点もありいのであれば、幅広いジャンルからの選曲とアイディアが得られるので好都合だ。瑛太にすれば、正直なところ軽音部吹奏楽部コラボイベントを口実として気になる女子と接近するチャンスを得たというところだ。

 律子は瑛太のいう、「野暮用」というのがなんだか知っている。瑛太はわざとモテ男子を気取って女子との交際に忙しそうな体をつくろって「野暮用」とか言うが、実は結構真面目君なのである。律子が高校に入学し軽音楽部に入部して、数週間が過ぎたころ律子は同学年の見た目ちょいチャラめな男子がいることに気がついた。そしてその男子は月水金の週三回の練習日のうち月と金に出てこない、つまり水曜日にしか出てこないということだ。律子とその男子はバンドは違うが、週に一回しか練習に参加しないのは、そっちのバンドにとっては迷惑なことだと感じ、元々生真面目な部分もあってか律子はその男子の所属するバンドのメンバーに、「大丈夫なの?」とか、「文句とか、同じバンド内では言い辛いかもしれないから、私が何かしら注意してあげようか?」とか割と頻繁に話ていた。でも、誰しも「大丈夫だよ、彼は松乃屋の跡取り息子だからね、ここのところ ”野暮用" で忙しいみたいだね。モテモテみたいだよ。」的な返事が返ってくる。そうか、やっぱり絵に描いたような、マンガに出てくるような「社長のバカ息子・お金持ちのドラ息子」というのは存在するのだな、と律子は思い、確かに水曜日に部活に出てくると結構威張ってバンド内を仕切っているようにも見える。他のメンバーは中等部時代からの付き合いみたいで、そのバカ息子男子には逆らえないようにも見える。律子は部活の学年リーダー役だったので、生真面目な正義感からバカ息子男子に注意しようと放課後捕まえたところ、「今日は木曜日だから、自主練日だよな!だから放課後は部室に行かないよ。それに今日はホントに ”野暮用" で急いで帰んないといけないんだ。話があるなら今度にしてくれよ。」と早々に逃げられてしまった。
 しょうが無いので一人で部室にきて、最近教わったドラムの8ビートの基本パターンをサイレントドラムセットで練習しようとそのサイレントドラムセットに座ったとたん、2年生の男子部員が部室に入ってきた。その男子生徒は先程逃げられたバカ息子男子と同じバンドのドラムス担当の男の子だ。それで律子は彼にサイレントドラムセットに座ったまま声をかけた。
 「なんだい?今度は16ビートの基本パターンでも知りたいの?」この男子は見た目優しい感じの男の子で、ドラムスと言うよりはキーボードとかの前に座っている方がお似合いな感じのなかなかの美少年でもある。
 「ああ、それもそうだけど、松田君てなんであんなに忙しそうなのかしら?さっき下駄箱で捕まえてチョット話しようとしたんだけどさ、すぐ逃げられちゃった。部活の日も休みがちだし、、、、、   まあ、うちらは別に運動部と違って大会や競技会があるわけではないし、もちろんバンドコンテストとかに出る訳でも無いから、物凄く一生懸命部活に青春を捧げる必要はないけど、、、、  でも、美術部で一人で絵を描いたり、書道部みたいに一人で完結する訳では無いから、バンド仲間あってだし、、、、、   一回ちょっとキチンと話をしたいのよね。」と律子。 それに答えるように、美少年ドラマーは、
 「瑛太は、今のところ放課後の夕方から夜の7時・8時ころまでは忙しいみたいだよ。後一か月、二ケ月はそうなんじゃないかな。ほら、松乃屋の跡取り息子なのは知ってるでしょ?で、瑛太んちに一番近い店舗のパート社員の麗子さんに気に入られたみたいで、なんか可愛がってもらってるみたいだよ。それ以外でもお店の常連のお客さんの奥様方に大人気で、独り身が寂しい美人奥様宅間を毎日行ったり来たりしてるって。当分そっちに夢中で部活はあんまり来れないかもね。」
 「まぁ!!うちみたいな普通のサラリーマン家庭とは生活が違うとは思ったけど、まさか本当に “お金持ちのドラ息子で年上女性に色気ずいちゃうバカ息子” っていうのの本物はいるのね。でも、それはそれで部活動に参加しないのとは関係ないし、高校に通っている間は一応普通に高校生として必要最低限の役割を果たして欲しいわね。必要最低限のことさえこなしてくれていれば、後は美人奥様達といくらでもお楽しみ頂いて構わないけど。」

 瑛太の家は「松乃屋」という県内に10店舗程展開している食品専門の地場スーパーの創業家である。瑛太のおじいさんが創業者であり、瑛太の父親が現在2代目社長として経営を引き継いでいる。瑛太自身は3代目になるつもりは無かったし、父親もそうゆう予定は組んでいなかったのだが、諸事情で瑛太が3代目をという声もちらほらと上がってきている。律子の家の近くにも中型店舗があり、鮮魚類の品揃えが良くお値段も近隣のライバルスーパーよりお手頃で、晩御飯がお魚料理の時は母の美津子は必ずそこの松乃屋で食材を買ってくるようだ。ちなみに、瑛太の家は律子宅とは全然別の町で、律子宅の最寄駅から電車で二駅ほど離れたところにあり、その近くの主要幹線道路と私鉄の電車の高架線駅の交差する駅からすぐの幹線道路沿いに創業第一店舗目である「松乃屋一号店」がある。ここは他の店舗と違って近代化した今風のスーパーの建物ではなく、その昔は何か別の食品以外の商材を扱うようなお店だったような外観の建物である。なので、店舗の外の売り場スペースも、店内の売り場スペースも多少雑然としていて、食品スーパーの機能的にはチョット不便な感じの店構造になっている。
 その「松乃屋一号店」がある駅に律子の通う予備校の教室がある。高校一年の夏休み前の週末の土曜日に予備校クラス編成テストがあり、テストを終えて遅めの午後に教室を出て、駅に向かっている時だった。見たことがある顔の男の子が正面から荷台キャノピー付のスクーターバイクで走ってきて律子の横を通り過ぎたのに気が付いた。その男の子は制服といっても勿論、学校の制服とかではないし、見た感じ食品を扱うようなお店の制服、というか作業衣のような白っぽい色の服装とエプロンをして、ヘルメットは顔が全部隠れるような奴ではなく、帽子みたいな頭を隠すが顔前面は全面出ているような奴を被っていたので、すぐ律子は気が付いたのだ。その男の子のバイクは律子が今しがた通り過ぎた松乃屋一号店の駐輪場にバイクを止め、荷台ハッチを開けて中から大き目な保温バックのような四角い大きなバックを取り出し片方の肩にひっかけて店内に入っていった。瑛太だ。バイク、バイト?、当たり前だが通常なら校則で両方とも禁止だ。ちょっと興味が出てというか、予期せぬ時に予期せぬ人を見かけたせいで、律子は瑛太の後を追うように松乃屋一号店の中に入って行った。瑛太が中に入ってから少し時間が経ってから律子が店内に入ったので、さすがに瑛太の後姿は見つけることは出来なかった。それほど広い店舗では無いので一通り店内を見て回った後、お総菜コーナーで、店の奥の調理場らしきところから三段トレイの台車を押して瑛太が出てきたのを見つけた。トレイの各段にはプラスチック製の器に入った出来上がったばかりのお弁当や、各種お惣菜が沢山載っている。それらを売り場に丁寧に並べている。律子は声をかけようしたが、ちょっとためらってやはり声はかけずに少しの間瑛太からは気づかれにくい離れた場所から黙々と作業をしている瑛太を見ていた。やはり顔見知りとは言え、そんなに親しくもない女子にバイト先の作業中に声などかけられるのは恥ずかしいのではと思ったからだ。
 暫くすると、瑛太が台車のお弁当やお惣菜を並べ終わりそうになった頃に、店の奥の調理場から瑛太と同じような白い作業衣にエプロン姿の見た感じ、いかにも ”おばちゃん” が出てきて、「瑛太、△△さんち分、▢▢さんち分とかの〇〇地区方面3件の注文分と鮮魚・野菜コーナーからの抱き合わせの商品も揃ったから、行っとくれ!」と瑛太に向かって声をかけた。まだ店内は夕方前なのでそれほど買い物客もいなかったので、そのおばちゃんの大きな声は少し離れた律子にも伝わってきた。お弁当・お惣菜を並べ終わった瑛太はそのおばちゃんに向かって、
 「もう出来たの、早いね麗子さん。わかったよ弁当とか今並べ終わったからすぐ配達いくね。」
 「当たり前さ、あんたをこき使うからには、あたしだってやることはバンバンこなさないとあんたの親父さんに怒られるからね。わかってるだろうけど、△△さんちも、▢▢さんちもおばあちゃんの独り暮らしだからお届けの際はあんまりせかせかしないで、ゆっくりやるのよ。玄関口に置いて終わりじゃなくてちゃんと台所とか居間とかに持って上がるのよ。あんたは宅配便のドライバーじゃなくて、」
 「『地域密着あなたの家族の一員、松乃屋の訪問お届けサービス』でしょ!」とパート社員のおばちゃん麗子さんが言い終わる前に瑛太が言葉をかぶせて言って、続けて「わかってるよ。兄貴が始めようとしてそれを俺と麗子さんで受け継いだって意識は俺もあるから。」
 「わかってるならいいのよ。ただあんたせっかちだからね。亡くなった秀雄さんの夢だったんだからあんたが親父さんから引き継いで三代目になるまでにしっかり訪問お届けサービス部門の基盤を作っておかないとね。あたしがあっちに行ったとき、秀雄さんに合わせる顔が無いからね。」
 「俺は継がないよ、愛子さんと姉ちゃんがいるし、潤だっているじゃんか。潤なら親父の孫で兄貴の息子なんだから正当な跡継ぎだよ。潤が大きくなるまでは潤の母親で兄貴の奥さんである愛子さんと姉ちゃんが順番に継いできゃいいんだよ。ま、姉ちゃんが嫁に出て行くって言いだしたりしなければの話だけどさ。」
 「わかった、わかった。早くトレイ台車を奥に戻して配達いっとくれ。独り身の美人奥様方がやんちゃ坊主が弁当持ってくるのお待ちかねのはずだからね。また言うけど、奥様方のご様子も聞いてくるんだよ。福祉行政の協力店でもあるからね。秀雄さんが役所にかけあって区の福祉協力認定店にしてもらったんだから。」

6.
 金曜日のお昼になってしまった。結局のところ瑛太とそれほど意見交換等は出来ずに、今に至ってしまった。哲っちゃんもあの日以来忙しいようで、事務所に立ち寄っても留守、もしくはパート事務員の千里さんだけの時もあり、さすがに千里さんだけだと律子も事務所に入っていってリビングで気ままにくつろいで哲っちゃんの戻りを待つというのも気が引ける。哲っちゃんがいないならすごすごと引き返すしかない。哲っちゃんにメールやラインを送っても即レスとはならず、返事も大体「また今度詳しく教えるよ」的なものだったりする。ならばと自分で少しは調べてみるかと思い、ネットで色々と検索をかけてみたり、 Wikipedia で音楽ジャンルのことなど調べてみた。
 あらためて思ったのが、自分の好みの音楽以外になんとまあ色々なジャンルの音楽があるのだなと。一応軽音楽部なのでロックを軸にして調べてみたが、そもそもロック自体にも色々と種類があるようだ。ロックンロール、カントリーロック、ハードロック、ヘヴィメタル、グラムロック、プログレッシヴロック、パンクロック、ニューウェーヴ、オルタナティブロック、グランジ、、、、、等々。しかも各々でも、また細分化したジャンルがあるようで、例えばパンクロックでもNYパンク、UKパンクとかにも分けられるようだし。またロックと並行していわゆるブラックミュージックも調べたが、ロック同様に色々とジャンルがあるようだ。R & B、ソウルミュージック、ファンク、ディスコ、ラップ、ヒップホップ、、、、、等々で、同様に各々でまた細分化ジャンルがあるようだ。そして、吹奏楽ならビッグバンドジャズっぽいのものでもと思い、ジャズについても調べてが、こちらはロックの比ではなく、例えば、ニューオリンズジャズ、ディキシーランドジャズ、スウィングジャズ、モダンジャズ、フリージャズ、ラテンジャズ、、、、、もっともっとあるようだが、各ジャンルでもやはり細分化はされていて、例えば、モダンジャズならその中に、ビバップ、クールジャズ、ウエストコーストジャズ、ハードバップ、ファンキージャズ、ソウルジャズ、モードジャズ等があるようで、もうなにを調べても色々と細分化されすぎていて何を聴けば良いのかわからなくなって混乱状態になってしまったという感じである。まあ、確かに学校で習うクラッシック音楽も色々とあった、古典派、バロックとか、ロマン派だの、また演奏形態による分類分け等もあるみたいなことも覚えている。十人十色というけど、百音百色とでもいうか、人の数だけ音楽的趣向は増え、時間経過とともに変化するのだなと感じるのだった。
 という音楽探求の沼にどっぷりはまる前に、やはり吹奏楽部とのミーティング前の予習曲として、哲っちゃんから教わった曲を聴いてみた。そして各楽団の他の曲も数曲 YouTube で探して聴いてみた。

 Glenn Miller ”Moonlight Serenade” 
 この曲はやはりどこかしらで聴いたことがあった。ロマンチックな曲だ。この楽団のその他の曲もどれも耳障りが良く聴いていて苦にならない。

 Benny Goodman ”Sing, Sing, Sing”
 この曲も聴いたことがある。そしてこの楽団のその他の曲もやはりしゃれた感じで安心して聴いていられる。

 Louis Jordan “Keep A Knockin’”
 この曲は聴いたことが無かった。ただこの曲は他の二曲と違ってボーカルが入っている。他の二曲と比べるとちょっと垢ぬけていない感があるような気がする。この曲は少人数編成の楽団というより、バンドのようでこのバンドの他の曲も垢ぬけていない感はあるが、親しみ感はある。そしてふっとこのリラックスしたムードは、あの変てこな、”ティーボーンステーキ” さんの曲に通じる気がする。他の2人( Glenn Miller とBenny Goodman )に比べておしゃれな感じはしないし、このバンドは名前も聴いたことがないので、ちょっとググってみた。色々と解説があったが、目に留まったのが、「R & B の始祖、チャック・ベリーに多大なる影響を与え、R & R の始祖ともいえる人物」とあった。

 放課後になってしまったので、軽音楽部の部室に向かう。今回の吹奏楽部とのミーティングは軽音部の部室でとなっているからだ。午後の最後の授業が終わってすぐ担任教師に呼ばれて用事を済ませるのに30分位かかってしまい、部室に向かうのが遅れてしまった。部室のドアを開けると、二つ並べた机の向こう側に瑛太が座っている。今日は野暮用は無いようだ。その瑛太の向かい側には、律子に背を向けて、2人、一人は女子生徒で一人は男子生徒、が座っている。まあ、女子生徒は当然ながら風子ちゃんだ。その黒髪ストレートロングの後姿からもお嬢様的な上品さがわかるようなオーラを放っている。その風子ちゃんの隣に座っている男子生徒もなんとなくその後姿からでさえ上品な雰囲気を醸し出している。律子は、
 「遅くなってごめんなさい。ちょっと担任に呼ばれちゃって。」と頭を下げつつ、瑛太の隣の席についた。瑛太の正面には風子ちゃん、律子の正面には風子ちゃんと顔の造詣がなんとなく似ている男子生徒という布陣となった。
 「おお、近藤、お疲れ。2人ともお待ちかねだったから、少し話は進めておいたよ。後で打ち合わせ内容メモを見せてやるよ。暁美さんと暁美先輩だ。暁美先輩は暁美さんのお兄さんで、吹奏楽部の前部長だ。音楽色々と詳しい先輩だ。割とロックなんか聴くみたいだよ。俺も古いロックに詳しいと思ってたけど、俺より古い年代のなんかも聴くみたいで話聞いてると面白いぞ。」と瑛太。
 「律子ちゃん、お疲れさま。女子はみんな律ちゃんて言うから、私も律ちゃんでよい?」明るく風子ちゃんにそう言われ、否定する理由もないし、それにやはりなんとなく風子ちゃんのオーラは相手にNOと言わせない、しかし優しい感じの強制力がある。ま、律子にしても学内のマドンナと親しく呼び合える仲になるのはイヤなことではない。
 「勿論!じゃぁ、私も風子ちゃんじゃなくて、”お嬢”でよい?みんなそういてるしね。」と律子も返すが、風子ちゃんは、半泣き笑いのジェスチャーを交えつつ、
 「やめてよ、みんなが思うほどうちは裕福では無いわ。病院ってだけで、特に儲け主義の美容外科とは違うから、、、、どちらかというと地域密着の”赤ひげ”先生的な『診察料金いりません』やっちゃう赤字経営の町医者みたいなもんよ!ね、おにいちゃん!」と楽しそうに横に座っている男子生徒に同意を求めつつ返してくる。
 「嘘よ、まあみんなが風子ちゃんがいない時は会話の中で風子ちゃんを指すときに”お嬢”というのはホントよ。でもみんな普段は、あけみっちだから私もあけみっちでよい?」と律子は言って、互いの “律ちゃん” と “あけみっち” 呼びは両者了解となった。そこに、風子ちゃんの隣の男子生徒が言葉を入れてきて、
 「この子は ”お嬢” というより、”お調子者” というか、”お転婆娘” なんだけどな。学校ではちょっと猫かっぶてるみたいだから、そんなそぶり見せないように相当気を使ってふるまってるのかな。」と、こちらも風子ちゃんに負けずな、明るく人を惹きつけるようなオーラを伴う笑顔で律子と瑛太に向かっていい、続けて、
 「それを言うなら、松田君の方が、お坊っちゃまじゃないの?松乃屋さんの御曹子でしょう?」と瑛太に向かってちょっとからかうように言う。それに返すように瑛太も、
 「家はおじいちゃんの代の魚屋がちょっと大きくなった程度のもんですよ。だいたい、御曹子が毎日バイクで弁当、野菜、肉魚の配達をしますか!」と瑛太も笑いながら返す。
 場が和んだ所で、瑛太が再度口を開き、
 「じゃ、この “Keep A Knockin’” みたいなのをもう少し探してみるで、良いんですね?」それに応えるように、暁美先輩は、
 「そうだね。最初はびっくりしたけど、こういうアレンジが有るなら、吹奏楽部も軽音楽部も両方上手くやれるんじゃないかな。グレン・ミラーもグッドマンもちょっと軽音部が参加し易い曲じゃないしね。」
 「え?びっくりするほどの曲?、、ですか?」と律子は、不思議に思い暁美先輩に向かって尋ねた。
 「“Keep A Knockin’”だから、最初はリトル・リチャードかと思ったんだよ。軽音部だから、グレン・ミラーとグッドマンに対抗してわざと昔のロックンロールの曲入れて来たのかと思ったけど、さっきスマホでYouTubeのを聴いたら、へ〜、って感じで、良い意味で驚いたよ。」と返ってきた。
 「リトル・リチャード?、、 え、え、えぇと、ルイス・ヨルダンじゃなかったっけ?」と当は律子はたどたどしく返す。そこに瑛太が助け舟というか、補足で、
 「暁美先輩、近藤はあんまり昔のミュージシャン知らないんですよ。実は、近藤のおじさんが昔の音楽詳しくて、そのおじさんから色々とネタを提供してもらったみたいなんですよ。しかし、先輩も詳しいっすね。俺も昔のハードロックとか好きでその辺はチェックしたし、ビートルズ、ストーンズとかもなんとなくわかるけど、それ以前の音楽も詳しいなんて。」
 「いや、自分も何でも詳しい訳ではないよ。小さいころピアノを習っていたから、クラシック以外のいわゆるポピュラーミュージックのピアノの曲を探っていったらビートルズのピアノ有名曲に行きついて、それから更に遡って、ビートルズがカバーした昔のロックンロールのピアノ曲に来て、リトル・リチャードに届いたってわけでね。だから、それ以外のことはよくわからないよ。ロックンロール黎明期の御三家なんていわれている、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリーていうのもリトル・リチャード以外は聴いたことないしね。」と暁美先輩は答えた。それに加えてまた、
 「それにしても、“Keep A Knockin’” はリトル・リチャードがオリジナルかと思ったけど。そうでもないみたいだね。このルイ・ジョーダン、って読むと思うよ、ルイス・ヨルダンではなくてね、って人のバージョンを聴いたときはビックリしたよ。リトル・リチャードのバージョンとはえらい違うからね。近藤さんのおじさんはホント、良く知ってたね。というか、色々詳しいならもっと話を聞いてみたいな。なんなら今回の吹奏楽・軽音コラボプロジェクトのスーパーバイザーになってもらって、、、、」と男子特有のお宝探し的な好奇丸出しの目で上半身を乗り出し気味に、顔をずいずい近づけて来て、律子に話しかけてきた。律子は少しドキドキしながら、なんて答えようかと言葉を選んでいると、律子が話し出す前に風子ちゃんが、
 「おにいちゃん!悪い癖よ!気になりだすとずけずけと相手のこと、都合も考えずに何でも勝手に決めて話進めようとするのは!今日会ったばかりの律ちゃんが引いてるじゃない。律ちゃん、許してね。うちの兄貴はB型だから時々回り見えなくなって突っ走っちゃうから、ゴメンね。」
 「ああ、ゴメン、ゴメン。ちょっといただけなかったな。」と暁美先輩は身を元の姿勢に戻しながら律子から離れていった。律子は少しがっかりした気持ちを隠しながら、でもこういうタイミングを逃すと次に自分からは言い出しづらいだろうなと感じたので、思い切って、
 「ああ、先輩、そのおじさんですけど、サラリーマンではなくていわゆる自営業というか自由業みたいな仕事してるから、時間の融通は利く方なんです。それで近いうちにまた今回のコラボプロジェクトの相談しようかと思って会いに行く予定なんです。一緒に行きませんか?」と今度は律子が身を乗り出して、暁美先輩だけ誘っている風な体になているのに気が付き、慌てて身を引いて自分の席に腰を降ろして、瑛太と風子ちゃんにも目配せし、
 「みんなでね、ね、ね?どう?」

 ミーティングが終わって風子ちゃんと暁美先輩の美少年美少女兄妹が軽音部の部室を去っていく時、瑛太は暁美先輩と昔のロック談義を延々としている一方で、風子ちゃんは律子に、但し、2人の男子生徒には聞こえないような声で、
 「おにいちゃん、律ちゃんのこと気になるみたいね。B型で単純だから感情が表に出やすくて、わかり易いのよ。基本シャイだからあんまり自分から女子のパーソナルゾーンに入っていくことはしない人なんだけど、今日はぐいぐい律ちゃんに寄ってたし。」ちょっといたずらっぽい笑顔で律子に向かって小声でささやき、でもなんとなくお兄ちゃんっ子なのは感じて取れるのでちょっとやきもちっぽくも取れる口調でもある。
 「いやいや、音楽の興味先行なんじゃない。好奇心旺盛そうに見えるし。」と律子はあくまでクールな素振りで風子ちゃんに答えるが、内心は結構ウキウキ、ドキドキである。
 「そうね、そうかもね。でもその、みんなで哲っちゃんさん宅へ行く話がまとまるまで、2人とも互いの顔しか見てないし、私と松田君がさも同じ空間には居ないような感じだったけど~?   ふふふ、、、、  それじゃ、お兄ちゃん、行きましょう。またね、松田君、律ちゃん。」

7.
 「勝手に俺を巻き込むな!このお騒がせ娘!」という返事が即レスで哲っちゃんから返ってきた。というのも、吹奏楽部の2人とミーティングがあった夜に家の自分の部屋から、哲っちゃんあてに、

 ”今度の日曜日の午後に哲っちゃんちで、吹奏楽部・軽音部のミーティングを再度することになりました。哲っちゃんはみんなの外部アドバイザーに決まっちゃいましたので、ご協力下さい。メンバーは私・松田瑛太君・暁美風子さん・暁美聡太朗先輩です。勿論、哲っちゃんもなので、全5名での集まりです”

 というラインメッセージを送ったのだ。そしてすぐにスマホが鳴って、
 「こら律子、そりゃ俺だって多少は協力するつもりはあるけど、いきなり相談もなく勝手に話を進めるな!日曜日だと明後日だぞ!ま、元々今週末は外出しない予定だったから、今回は多めに見るけど。一応旅行の下準備とか調べものするつもりでいたからそれと同時進行で話に加わる形でいいよな?」と哲っちゃんに捲くし立てられた。
 「哲っちゃん、ごめんなさい。それで良いです。よろしくお願いします。」と返事をしてスマホを机の上に置いて、自身は机の横のシングルベッドに横たわった。そして風子ちゃんと暁美先輩のことを思い出してみる。風子ちゃんに兄妹か、姉妹がいることまでは知らなかったし、今日初めて会った暁美先輩が風子ちゃんのお兄さんというのも初めて知ったことだ。2人とも隣町の救急受け入れもしているそれなりに大きな私立の総合病院の創立者である院長のご子息だ。その総合病院は律子の住む地域では良心的で患者に対する扱いやサービスが良い病院との話は良く聞くし、悪い噂は聞いたことが無いところだ。なので、風子ちゃんはどうかわからないが、暁美先輩は将来医者になって病院を継ぐのかな?とか、風子ちゃんだって、高校での成績は優秀だし、仁徳もあるから、医者向きなのかもしれない。となると、兄妹で病院を継いでやっていくのかな?とか、医療関係の仕事って医師、看護師、その他にどんな仕事があるのかな?医師や看護師以外の医療関係の仕事って就くのが難しいのかな?何か必要な資格とかあるのかな?とかぼんやりと考えていると、階下から母の美津子の声がし、
 「律!、なっちゃんがお風呂あがったから、入っちゃって!そのあと私も入るから~!」
 「は~い。すぐ入るね。」と答えた。”なっちゃん” というのは “なつ” というシンプルな名前の律子の二歳年下の妹のことである。

 土曜日は特に何もなく過ぎたのだが、何か一日が凄く長く感じた。なにも無いのでかえって時間が経つのが遅く感じた。早く明日(日曜日)にならないかなとちょっとイライラした気分だったという方が正解だろう。いつもなら明日も休みな土曜日は早く終わらないで、と思うところなのだが、今回に限っては日曜日にみんなで哲っちゃんちに集まるのが楽しみ、というのが本音だと思う。土曜の午後に瑛太からは、メッセージが届いて、“俺はちょっと時間に遅れるかも。野暮用が詰まっているみたいでね。終わり次第すぐ向かうよ。” とのことだ。
 日曜日は珍しく早起きをしてしまったので、早々に自分で朝ご飯を軽く作ってというか食パンをトースターに放り込んで、コーンポタージュスープの素をカップに入れてお湯を注いで、としごく簡単に準備していると、父はもう少年野球チームのコーチのユニフォームを着て出かける寸前だったので、早起きの律子のことを見て、
 「おお!ビックリした。そういえば、そうか、今日は哲のとこにいくんだったっけ?哲にたまにこっちに顔出せって言っといて。何なら今晩家で晩御飯、、、、と言いたいところだが、ママにも前もって話とかないといけないから、近いうちに家に晩御飯食べに来いと言っといて。」と言って出ていった。父を見ていると、好きなことを長年続けてやっている姿を羨ましく思うことがある。楽しそうな時だけでなく、チームの少年選手やその親御さん達と上手くコミニケーションが取れない時や、少年選手が上手く上達しないとか、指導方法やメソッドが空回りした時、コーチングに悩んだりと色々な問題が時々で発生はしているようだが、それでも野球自体が好きで、現役の選手としてでは無くても野球に係っていられることに喜びとやりがいを感じているのだと思う。嫌いなことや、嫌々やっているなら諸々の問題を処理することは苦痛でしかないはずだからだ。
 朝ご飯を早々に済ますと、例の三曲を再度聞き直したりしながらのんびり出かける準備を整えて、整い次第家を出ることにした。「行ってきまーす。」と言うと、昨夜母の美津子には詳細を伝えてあったので、美津子は「はいはい、いってらっしゃい。ダイニングテーブルの上のランチボックス2人分気が付いてるわよね?持って行って哲っちゃんと、みんなが来る前に食べちゃいなさい。」とランドリールームから返答してきた。勿論ランチボックス2人分はバッグに入っている。
 「気が付いたよ、もったから。ありがとうね。じゃね。行ってきます。」

 「そんで、吹奏楽部の方からは特に曲の提案とかは無かったのか?」と哲っちゃんはランチボックスのお昼ご飯だけでは足りないようなので、カップラーメンをすすりながら律子に尋ねてきた。
 「うん、特に曲の提案は無かったよ。やっぱり向こうとすれば、軽音部ってどんな曲をやりたがるか?の探りを入れたかったみたい。そりゃそうよね。普段演奏する曲のジャンルが全然違うから、まずはこちらの曲の好みなんかをヒアリングしようと思って、敢えて選曲はしてこなかったって、言ってた。」と、律子は哲っちゃんが淹れてくれたインスタントみそ汁をすすりながら答えて、続けて、「だからこっちが、グレン・ミラーとか、ベニー・グッドマンとか言ったら結構意外だな~?!的な顔してたみたい。それで、それよりもルイ・ジョーダンの “Keep A Knockin’” に注目したみたい。なんか、リトルさんのバージョンと違うからビックリだ、みたいなこと言ってたわよ。」
 哲っちゃんちのリビングで2人は母美津子のランチボックスを広げつつ、そんな会話を続けている。ちなみに、確かに哲っちゃんが言っていた通りにリビングのコーヒーテーブルやソファ横のサイドテーブル、等々に色々な旅行の資料や地図、ネットで調べてプリントアウトしたような紙類が散らばっている。それらの雑多な紙・資料・印刷物を適当に押しのけてコーヒーテーブルにスペースを作って早めのランチをとっているのだ。
 「そうか、律子の憧れの暁美先輩というのは高校生のくせにというと変な言い方だが、良くリトル・リチャードなんか知ってるな。俺の方が感心するよ。じゃあ、後でリトル・リチャードの “Keep A Knockin’” と聞き比べするか?」
 「ってなによ!『憧れの暁美先輩』って!変な言い方でからかわないでよ!」と律子は結構むきになって返答する。
 「いやいや、悪い悪い。いやなにね、暁美先輩の話をするとき、やけににやけて話すもんだからね。律子のそういう表情はあまり見たことなかったから、そうなんかな~?って感じだったからね。」と謝りつつも心の中で “律子もとうとうそういう時期が来たか。良かった良かった。ちょっと生真面目で、自分の興味のあることだけにのめり込むような性格だから、なかなか異性に目を向けることがなさそうだったからなぁ。” と思ってはいる。
 「にやけてなんかないわよ!」と言った途端、玄関チャイムが鳴った。「あれ、もしかしてもう来ちゃったかしら?」とソファから飛び上がってマンションフロントドアのインターフォン操作パネルでフロントドアの施錠解除ボタンを押して、玄関へ向かう。そして自分の顔がにやけているのには、今度は自分でも気がついてしまった。
 玄関ドアを開けると思った通り、暁美先輩と風子ちゃんがまるでカップルのように見える感じで立っていた。2人とも上品な出で立ちの私服で、まさしく美少年美少女カップルを絵に描いたような感じである。”風子ちゃんが暁美先輩の妹で、本当に良かった。” と律子は思いつつ、2人に向かって「いらっしゃい。ささ、上がって上がって。」と2人を中にいざなった。哲っちゃん、風子ちゃん、暁美先輩をそれぞれ紹介する。
 「暁美先輩、あけみっち、これが例のおじさんで、しがない探偵稼業で浮気調査の張り込みばっかりしている哲っちゃんです。そして、哲っちゃん、こちらが暁美先輩と風子ちゃん、ご兄妹で、隣町の総合病院の院長先生の御曹司と御令嬢よ!失礼の無いようにしてね!」と少しふざけて各々を紹介した。当たり前だが、まず哲っちゃんが、
 「このお調子娘!普通に紹介しろ!2人ともわかってると思うけど、私立探偵じゃないからね。行政書士っていう、ザックと簡単にいうと法律事務処理や個人間の法的契約書類の作成なんかをする仕事だよ。弁護士先生が出てくほどでも無いような町の法的トラブル相談屋さんみたいな仕事かな。浮気調査じゃなくて、離婚協議書とか各種の示談書なんかの法的効力のある書類の作成等をするってことだよ。ま、実際に浮気調査で張り込みなんかをする興信所、いわゆるその手の探偵さん、とかとは付き合いはあるけどね。」と哲っちゃんは初めて会う2人に向かって言った。それに返すように、まず風子ちゃんから、
 「初めまして、暁美風子です。休日の大切なプライベートな時間とミーティングのための場所としてご自宅を開放して下さり、ありがうございます。兄ともども感謝いたします。これはつまらないものですが、お気に召すと大変嬉しく思います。」と有名デパートのロゴの入った紙袋からしゃれた感じの菓子折りの包みを取り出した。哲っちゃんはビックリしたような顔で、
 「いやいや、ありがとう。確かに出来たお嬢さんだ。いつも手ぶらでやってくる誰かさんとは大違いだな~。」とチラッと律子を見る。
 「なによ!私は今日は哲っちゃん用にお昼ごはん持ってきたじゃない!」と返すも、
 「いや、あれは美津子さんのお手製で律子は運んできただけだろう。」と突っ込み返された。そこにまた風子ちゃんが入ってきて、
 「いえ、私も母に言われなければここまで気が回らなかったかもしれません。なので、私も母のおかげで、良い子のふりできているのかもしれませんから。」と律子のためのフォローを入れつつ場を和ませた。律子は心の中で、 “ホント、あけみっちは良く気の回る、場の空気をまとめることが出来るいい子だな。” と感じる。そして暁美先輩が口を開いて、挨拶をする。
 「初めまして、暁美聡太郎です。妹の言う通りで僕らはまだ学生で至らない部分はありますので、本日はよろしくお願いします。お時間、場所提供本当にありがとうございます。」と暁美先輩はきちんとお辞儀をし哲っちゃんに挨拶をした。それに返すように哲っちゃんは、
 「おお、こちらも良くできたお兄さんだ。流石、未来の院長先生は人を惹きつけるオーラを醸し出すねぇ。こっちこそよろしくね。将来病院事業の拡張・拡大・新規事業スタート時の役所への許認可申請書類なんかあったらよろしくね!」とちょっとふざけて、かつちょっと真面目に返す。そして、「ま、ま、座って座って。」とソファを指し、そして、
 「ああ、散らかっている書類や印刷物は適当につかんでバサッと適当に積み上げてくれればOK。見ての通り仕事の書類では無いからね。適当にバサッとでいいよ。律子、みんなに飲み物出してね。この頂いたお菓子も器に盛り直して出してよ。」
 さすがに律子もここは素直に言われた通りに台所へ。そしてみんながまずくつろげる態勢作りを始める。その一方で、暁美先輩と風子ちゃんはソファの上にも貯まっている書類・紙類をまとめている。そのちょっとした作業中に暁美先輩が片手で掴んだ紙類の束から一枚の紙がすり抜け落ちた。画像が印刷されているコピー用紙で、その画像は、地面に埋め込まれた石碑のようで金属プレートが上面に貼り付けられていて、その金属プレートには沢山も文字が並んでいるという写真が印刷されている紙だった。その沢山刻まれている文字の一番上にタイトルのように一文が読める。

"The Blues are the Roots, the Rest are the Fruits"-Willie Dixon

 暁美先輩はその一文をみて、
 「 ”憂鬱こそが諸悪の根源であり、休息こそが実りを与えるものである。” 」と自分なりの解釈を入れた翻訳をしてつぶやいた。そして哲っちゃんの方を見て、
 「これはキルケゴールみたいな実存主義哲学者の言葉ですか?それとも、フロイト、ユング等の流れを汲むドイツ精神心理学者系の誰かの言葉ですか?ウィリー・ディクソンという名前の哲学者も心理学者も聞き覚えが無いなぁ、、、、。」と例の興味深々な顔つきになっている。それに返すように哲っちゃんは、
 「あっはは、イヤイヤ笑って申し訳ない。さすがお医者さんのとこのご長男だけあって知識が豊富だね。その歳でキルケゴールとかフロイト、ユングの名前が出てくるとは。勉強熱心で将来はいいお医者様になるね。」と返し、「いやそれは、そんなアカデミックな解釈ではなく至ってシンプルな意味で、、、」と続けようとしたところ律子が男性にはコーヒーを、女子には紅茶を、そして先程風子ちゃんから頂いた可愛いシェイプのクッキーを各種人数分を可愛いお皿が無いので、残念ながら普段は中華料理の炒め物を盛る用の大皿に並べてソファ前のコーヒーテーブルに置きつつ話に加わってきた。
 「なになに?何の話が始まってるの?」と一言言葉を挿み哲っちゃんの隣の一人掛けソファに腰をおろすと、それを引き金として暁美先輩が会話の続きを始めた。
 「ああ、哲人さん、うでちは僕の上に姉がいて今医学部で勉強してます。うちの病院を継ぐのは姉なんです。僕は多分うちの病院関係の仕事には就かないと思います。あと、風子、この子は医療の道に進むようです。医者とは言わずとも何かしらのうちの病院に係る仕事をしたいみたいですね。なので僕は医者にはならないし、病院も継がないので、我が家では落第生なんですよ。」と言った。それに加わえる形で風子ちゃんは、
 「そうなんです。って言いますか、別に兄が落第生がそうなんです、では無くて、兄は我が家の落第生ではありませんし、十分優秀な長男です。我が家のアイデンティティを護ってくれているような存在なんです。第一両親は元々別に子供に病院を継がすつもりは無くて、一番上の姉も親に言われたから医学部に進学したわけではなく、多分病院がまだ無くて、父がまだ町の開業医の頃から今までの規模に努力してきた姿を一番見てきたからそれに憧れて医師になろうと思ったみたいです。私は医者になるかは置いておいて、やっぱり頑張るおねいちゃんを支える役目みたいなポジション?でいいからうちの病院の何かの仕事に加わりたいとは考えているんですけど。」
 「そうなんです。うちは姉と妹が良くできた優秀な姉妹で、僕は落ちこぼれなんですよ。」と暁美先輩はちょっと自嘲気味に、しかし自虐とは感じないように冗談ぽく言う。しかし、同時に家の病院を継がないことに対し悪びれた様子は感じ取れない。
 「兄は、韓国に留学するんです。大学はそっちで、もしかしたら就職もあちらかもしれないんです。」兄をかばうかのように風子ちゃんは言葉を添える。
 「こら、風子。余計なことまで話さなくていいよ。」と暁美先輩は優しい声で風子ちゃんをたしなめる。それに応えるように哲っちゃんが、
 「そうかそうか、2人のご両親こそ出来た方たちだ。子供たちの夢、自主性を尊重して親の思った通りに子供の将来を束縛しようとしないってのは、なかなかできないことなんだよね。そこそこ成功した起業家の親ってのはどうしても事業継承を自分の子に引き継がせたがるからね。中小企業の二代目息子社長が会社を潰すって話は、僕の仕事がら何度も見てきているからね。」という横で律子はちょっと固まってしまった。心の中で “暁美先輩、韓国に留学?!就職もあっち?!日本に戻ってこないの?!” と何度も繰り返し、自分の感情の落としどころを探していた。
 「韓国に留学か。若いうちに国はどこであれちゃんとした海外経験をして、その国の生活様式、文化、言葉、宗教観、歴史、考え方、感情表現、その他諸々のことを肌で感じ取ってくるといいよね。旅行で経験したことだけの表面だけのカルチャー通ぶるのではなく、しっかりと現地の人たちの心を理解できるようになると良いよ。」と哲っちゃんは続けた。それに応えるように暁美先輩はちょっと決心したかのような面持を一瞬して、風子ちゃんを一瞥し口を開いた。
 「風子、まあこの際だから言っちゃおうか。哲人さんは見た通り大人で信頼の置ける方のようだし、近藤さんだって人を差別するような性格にも見受けないからね。」と言い、それに応じて風子ちゃんは、
 「いいよお兄ちゃん。」と答えた。そして風子ちゃんは心の中で、”律ちゃんにずっと隠しておくより今のうちに実情を知っていてもらいたい、そして律ちゃんがどう反応するか知りたいんだな。” と理解している。風子ちゃんからの一言をもらったので、暁美先輩は再度話し始めた。
 「我が家は実は、簡単に言えば在日なんです。ひいおじいちゃんの代が一世で、僕らは4世に当たります。ただし、おじいちゃんの代で帰化したので名前は日本名です。なので当たり前ですが、僕も風子も、姉も日本名を名乗ってます。更に言えば僕らの代はもう日本語しかわかりません。当然に正直なところ日本人と思って生活しています。僕らが4世なので、父の代は3世ですが父も韓国語はほとんど理解できません。医者なので外国語の学術医療論文、英語だったり、ドイツ語だったりは読めるようですが、韓国・朝鮮語はダメみたいですね。」とまず、簡潔に家系の話を告白した。そして続けて、
 「僕が医者にならない理由として、僕は国同士の外交や政治、国際協力なんかの方に関心がありまして、将来はそういう方面の仕事がしたいんです。で、まずは日本に一番近いのに関係が良くないお隣のことをもっと良く知りたい。第一自分の、と言いますか、我が家のルーツがある韓国のことをもっと良く理解したいと考えているんです。不思議なもので、普段は自分は日本人と思って生活していますし、自分のアイデンティティも日本人なんですが、テレビで日韓関係の不仲のニュースなんか見ると、、、、、」と次の言葉を選んで少し口ごもっていると、またマンションのフロントセキュリティードアのチャイムが鳴った。

8.
 瑛太が到着した。その出で立ちは、例の松乃屋の白い作業服でエプロンはしていない格好だ。
 「遅れました。すいません。バイト帰りに来たのでこんな格好で失礼します。松田瑛太です。今日はよろしくお願いします。」と瑛太は哲っちゃんに挨拶をした。続けて、「メインエンタランス横の駐輪場の空きスペースにバイク停めちゃったんですが、大丈夫ですよね?店のバイクで荷台風防付きの奴で、見た目結構大き目なんですけど。」それに応えるように哲っちゃんは、
 「ああ、大丈夫、大丈夫。このマンションは管理人さんも平日週二日しか来ないし、住民も自転車置き場利用してる人あんまりいないみたいだし、空きスペースに停めてるなら問題ないよ。はは、ちなみに俺は律子の叔父の近藤哲人。よろしくね。」と返し、自身はリビングの窓際に置いてある移動キャスター付きホワイトボードの脇に立てかけてある折り畳み椅子を広げて、それに腰を降ろして、律子の横の空いた一人掛けソファに瑛太を座るように促した。それに続けて今度は風子ちゃんが、
 「松田君、お疲れ様。えへへ、実はちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」と瑛太に向かって言う。勿論それに応えるように瑛太は、
 「なんだい?弁当・食品デリバリーの注文かい?なら喜んでお聞きしますよ!」とおどけて返す。
 「うふふ、商売上手ね。違うわよ、といってもちょっとそのお仕事に関連することだけど、、、、うちの学校、一応バイクもバイトも禁止だけど大丈夫なの?」と単刀直入に瑛太に尋ねると、瑛太は最初悪人顔を作って、
 「へへへ、俺はワルだからね。校則も先公共もちっとも怖かねーよ!」と見た目全然怖くない風貌でそう言うので、みんなニコニコ微笑んで聞いていいるとすぐに普通の顔に戻って、
 「ちゃんと学校には申請して、許可取ってるよ。自分も親父も一度学校にきちんと話を通してるから大丈夫。」
 「そう、それならいいけど簡単にはOK出るもんじゃないでしょ?」と風子ちゃんが続けると、瑛太は、
 「まあね。学校に説明する際には、バイトに関しては、もしうちがラーメン屋でさ、ラーメン屋の息子が家の手伝いで出前のお届けしてるなら何の文句があるんだ?ってことさ。バイト代は店から出てないし、働いた時間分の時給を母さんからお手伝いのお駄賃としてもらうという “お子ちゃまお駄賃システム” でやってるんだよ。形上は、家のお手伝いの一環として店の仕事の手伝いをしてることになってて、バイト代は店からは貰ってなくて、我が家の家計からお手伝いのお駄賃という形で貰ってるんだ。ま、詭弁と言えば詭弁なんだけどさ。そして、バイクだけどさ、これも似たような理屈で、もしうちが町工場だったらさ、工場の仕事を手伝うのに、溶接の資格やその他に機械・重機の操作に必要な資格、ボイラー操作や、危険物取り扱いなんかの資格なんかが必要になるよね。仮の話だけどさ。で、家業の工場作業を手伝うのに、そういう資格取らないといけないのに、それに文句を言われる筋合いはありますか?みたいなもんだよ。バイクの免許は家業の手伝いの配達に必要な資格なんだよね。でもね、そうは言っても勿論バイクだから、仕事中と仕事の行き帰りしか乗らないというラインは守っているよ。ちなみにバイクの免許は原付バイクでは無いよ。125CCまで乗れるやつ。小型二輪って言うのかな?原付は一般道路30km制限でかえって危ないからって一般道路を通常走行出来る最低ラインのバイクの免許なんだ。高速道路は走れないけどね。」
 瑛太がそう説明した後は、瑛太が来る前の暁美先輩の話、病院の話、等々をかいつまんで瑛太に説明し、パーソナルな情報をシェアすることでお互いに対する親密度が増し、やっと全員がそろい、そして落ち着いて話が出来るという感じになったので、哲っちゃんが、
 「じゃ、本題に入る前にサッサと参考までに、リトル・リチャードとルイ・ジョーダンの聞き比べしちゃおうか?」
 そう言ってまず、テレビをオンにして YouTube をみれる状態にセッティングした後、ルイ・ジョーダンの “Keep A Knockin’” を流した。そして、
 「この曲に関しては、ルイ・ジョーダンが彼のバンドと演奏しているような映像が見つからなくてね。画面には彼、彼のバンド、等の演奏のスナップ画像や、ステージでの画像や、その他諸々のスナップショットの画像が順番に流れてくる映像になっているよ。それらの画像も当時の音楽シーンやショービズの様子を十分映しているようだから十分興味深いよね。」
 曲が終わり、「じゃあ、リトル・リチャードの方を行くよ。」と哲っちゃんは言って次の操作をして、リトル・リチャードの “Keep A Knockin’” がスタートした。曲が始まって、みんな、おおっとした顔を一瞬して聴いている。というのも曲調が全然違うからだ。シンバルがシャンシャン鳴るアップテンポのドラムソロのイントロ、ボーカルもいわゆるシャウト系で早口で、さっき聴いたルイ・ジョーダンのミドルテンポのサックスの優しい音色のイントロで始まる曲調と大違いなのだ。まったく同じ曲でもアレンジや使用楽器で同じ曲とは思えない程だ。そして、曲が終わってすぐに瑛太が口を開いた。
 「リトル・リチャードのバージョン、何かどっかで聴いたことあるような。というか、正確に言うと似たような派手なドラムで曲にインするイントロの曲を何かで聴いたことある気がするんですよね、、、、、ええと、ハードロックで、、、、、昔の有名曲で、、、、」と瑛太が記憶を辿って顔の向きは前のまま目だけで天井を見上げるような表情でいると、哲っちゃんが、
 「ああ、もしかして Led Zeppelin の “Rock and Roll” のことかな?すぐ出るよ、聞いてみるかい。律子、風子さん、聡太朗君、ちょっとうるさい昔のハードロックなのでその旨で聴いてね。」と言って、Led Zeppelin の “Rock and Roll” を流した。瑛太はすぐに、これこれ、という顔で哲っちゃんにアイコンタクトをし、他の三人はまた、おおっという顔を一瞬作って聴いている。曲が終わり、瑛太が早速、
 「Led Zeppelin の “Rock and Roll” は、曲自体は “Keep A Knockin’” とは別物ですけど、“Keep A Knockin’” のエッセンスが沢山詰まってますね。ドラムのイントロ、3コードのロックンロール調、シャウト系のボーカル、伴奏で入ってくるピアノなんかは “Keep A Knockin’” を意識しているとしか思えませんし。」それに応えるように、哲っちゃんは、
 「瑛太君以外の三人は Led Zeppelin なんて知らないだろうから、簡単に言うと、昔のハードロックバンドだよ。1970年代に一番活躍したんじゃないかな。日本でも人気はあったんだけど、音楽的ベースがブルースだから、ロック好きの人以外にはあんまりなところはあるのかもしれないね。日本人は、綺麗なメロディ、もしくはキャッチーなメロディのロックを好むからね。」すると暁美先輩が、
 「これだけ似てるとパクリとか言われちゃいそうですね。」と一言。それに返すようにまた、哲っちゃんが、
 「まあ、ツェッペリンサイドは “Rock and Roll” の曲作りの際にリトル・リチャードの “Keep A Knockin’” に影響を受けて作ったと公言しているから、リトル・リチャードが『パクリだ!訴えてやる!』をしていない限り、”影響を受けた” というレベルで話は終わっているね。第一、“Keep A Knockin’” という曲自体ははリトル・リチャードがオリジナルではないし、彼のサウンドを模倣したのは事実だけど、スタイルや音作りにについて著作権を振りかざしても証明がしきれないしね。それでも、たまにこの手の問題は起こるんだよね。ビートルズってみんな知ってると思うけど、ビートルズの曲で、ジョン・レノンが作曲した”Come Together” という曲は、チャック・ベリーというロックンロール創成期の御三家のうちの一人なんだけど、そのチャック・ベリーの曲の “You Can’t Catch Me” という曲の歌詞を一部を使用していたり、メロディーが酷似しているとかで訴訟問題になったっりしているからね。」
 「そうか、やっぱりその三人に行き着くんですね。チャック・ベリー、リトル・リチャード、あとボ・ディドリーでしたっけ?」と暁美先輩は納得したような面持で言った。
 「そういう風にとらえることも出来るようだね。でも必ずしもその三人だけがロックミュージックの大元では無いけどね。ついでに言えば、その三人だってまるっきり各々自分自身のみで自身の音楽スタイルを確立したわけでは無いからね。」と哲っちゃんが暁美先輩に向かって言う。そして、付け加えるように、
 「例えば、チャック・ベリーは音楽的影響をルイ・ジョーダンから受けていて、それこそチャック・ベリーの有名なギターフレーズをルイ・ジョーダンの曲の中に見つけることが出来るからね。それはチャック・ベリーの代表曲 “Johnny B. Goode” のイントロのギターフレーズなんだけど、ルイ・ジョーダンの “Ain’t That Just Like A Woman” と言う曲のイントロのサックスのフレーズとおんなじだからね。あと、リトル・リチャードも、彼の口ひげでリーゼントで気取ったスーツスタイルの出で立ちは、Billy Wright(ビリー・ライト)というルイ・ジョーダンと同じ、Jump Blues(ジャンプ・ブルース)というジャンルのシンガーなんだけど、そのビリー・ライトそっくりそのままだからね。」
 「じゃあ、ルイ・ジョーダンもそのビリー・ライトも遡れば誰かしらの影響を受けていて、それでまた遡れば、で遡れば、の繰り返しですか?」と暁美先輩。
 「そういうことになるんだろうね。音楽に限らず、文化や歴史って奴は同時代の横の広がりと、その前の時代の縦の広がりが噛み合い、影響し合い、な感じで形成されてくんだろうね。なんか、話が真面目になりすぎになっちゃたし、脱線しすぎだな。」と哲っちゃん。
 「それでは、話を ”吹奏楽部軽音楽部のコラボ曲について”、にもどしましょう。」と風子ちゃんが言い、律子の方をチラッと見て、「ね、律ちゃん?!」
 「あ、ああ、そ、そうね。その通りだわ。音楽探求の話はまた後で、で、本題の選曲の話をしましょう。」と律子は我に返った感じで風子ちゃんに合わせた。心の中では、まだ先程の言葉の繰り返しが行ったり来たりしていて、実のところ心ここにあらずみたいな感じではある。瑛太は哲っちゃんや暁美先輩と音楽談義をしている一方で、律子がいつになくおとなしく元気が無いように見受けれることに気が付いてはいた。なので、
 「近藤さん、大丈夫か?大昔のロックの話が退屈で眠くなっちゃったかい?」
 「松田君、大丈夫だから。」と律子は返事を返しつつも、なんとなく目にうっすらと涙が貯まって来るのが解る。「あ、でも眠くなったのは嘘じゃないかも。」と言って目をこすって涙目になりそうなのを誤魔化した。瑛太は律子が涙目になっているのが眠いせいでは無いことは判っている。瑛太がこの哲っちゃんの部屋のリビングに到着してから、律子はあくび一つしていないし、眠そうな素振りはしていなかったのに気が付いている。そして、瑛太自身も実はほんの少し自分の心に小さな穴が開き始めていることに気がついている自分がいることを感じ取っている。そうだ、それは先日の金曜日に軽音部の部室で暁美先輩と風子ちゃんとミーティングをして、その時に小さな針が瑛太の心をチクリと刺し、その針穴がゆっくりと少しずつ広がってきているかのようなのだ。

9.
 「それで、やっぱりルイ・ジョーダンみたいな感じの、管楽器とバンドサウンドがミックスされた感じの曲がいいんですけど、同じジャンルの別のアーチストで誰かお薦めっていますか?」と風子ちゃんは哲っちゃんに向かって尋ねた。それに応えるように哲っちゃんは、
 「必ずしも、同じジャンルのアーチストで無くてもいいかな。敢えて言えば、同じ時代のアーチストならいいかもね。この時代はジャズとブルースが入り混じったサウンドが結構あるからね。アーチストでも、ジャズとブルースを行ったり来たりしてる人とかもいて面白いんだよね。第一このころは電気楽器、いわゆるエレキ楽器、まあエレキギターとかエレキベースとかのことね、はそれほど普及していなかった時代だし、ましてやエレクトリックなキーボードは無いので、生音で大きな音を出せる楽器は管楽器とピアノだから、オーケストラみたいな大人数ではないけど管楽器プレーヤーを数人バンド編成に抱えているジャンプ・ブルースバンドや、その逆でそこそこの人数を抱えたジャズオーケストラでも、演目曲にブルースのレパートリーがあって、その曲を歌わせるボーカリストがいるビッグバンドジャズなんかもあったからね。だから、その辺を探ってみようか?」
 とそこまで話は進んだのだが、そんな古い時代の楽曲やバンド、オーケストラを律子、瑛太、暁美先輩、風子ちゃんが知る由もなく、かといって哲っちゃんもいきなりは、誰と誰のこの曲とあの曲とと、は出てこずな状態となってしまった。なので少し雑談等を交えつつ、その時代の曲を、哲っちゃんが思いつく順に数曲みんなで聴いてみて感想を言い合うという流れになった。但し残念なことにどの曲も “これだ!” とみんなを唸らせるようなものはなく、ある程度の時間が過ぎた頃に、今回のミーティングはお開きとなった。次回の日取りを決めて、哲っちゃんちから退出となる。

 風子ちゃんと暁美先輩は当然ながら一緒に帰るのだが、哲っちゃんちのマンションのフロントドアを出る間際に、風子ちゃんは律子の袖を引っ張って歩くペースを少し遅らせて、瑛太と暁美先輩がフロントドアから先に出てしまい、フロントドアが閉まり切って外の二人が入ってこれなくなった状態になった時、真面目な顔を律子に向けて、
 「律ちゃん、今日は色々驚かせちゃったみたいね。ゴメンね。ただ、多分だけと、兄貴は自分の事情を告白することで、自分で自分の決心を忘れないように戒めたんだと思うの。多分、そうしないと律ちゃんに心がすい寄せられて決心が揺らいじゃうんだと思う。」 
 「え、え、え、何言ってるの?私も暁美先輩もこの前の金曜日に知り合ったばかりだし、そんな特別な感情なんて、、、、」と律子が返すとそれが言い終わる前にすぐ風子ちゃんが、
 「律ちゃん、ゴメン。私ね、この手のことに関しては物凄く勘が働くの。クラスでも誰と誰が付き合いだすだろうな、とか誰と誰が表には出さなくても険悪な状態で内心嫌い合ってるなとか、感じ取れちゃうのよね。別に超能力とかじゃないわよ。多分だけど、小さいころから心の奥底で、自分は本当の日本人じゃないから出来るだけ周りからの軋轢を避けたい、周りと同じようにして波風が立たないように、自分はみんなと同じ普通の日本人の女の子だと騙せるようにしなくちゃ、みたいなつまらない処世術を身に着けちゃったのよね。可笑しいでしょ、騙すも何も私普通の日本人の女の子なのよ。でもね、無意識にそう自分自身を演じちゃうみたいなのよ。それでなんとなく誰は今、こんなこと考えてるな、とかこんなこと感じてるんだろうなが想像出来るようになっちゃって、大体いつもそれが正解だったりするのよね。」とここまで言って、更に真面目な顔を律子に向けて続けて、
 「だから律ちゃん、怒られるかもしれないけど言います。出会ったのが今日だろうと、この前の金曜日だろうと、出会ってからの日数というのは時々意味をなさないことがあります。うちの兄貴はち律ゃんのことを好きになっちゃったんだと思います。そして、律ちゃんもうちの兄貴のことを凄く好きになっちゃっていますね。ただね、さっきも言った通り兄貴は高校を卒業したら日本からいなくなります。多分それは絶対に変更しない決定事項なのです。それを前提として兄貴とのこれからの関係を考えて。ごめんなさい。こんなことを言ってしまって。」と丁寧に詫びるように頭を下げた。そして、「もうこの話は私からはしません。そしてこの話はしなかったふりで私はこれから今まで通り振る舞います。もし、今律ちゃんがとてもイヤ気持ちになってしまってもう二度と風子の顔もみたくない!的な気分になってしまったのなら、もう今後吹奏楽部軽音楽部コラボのミーティングには出席しません。というか、理由はいくらでも作れるから、吹奏楽部から退部してみんなの前に現れないようにします。」と言うので、律子は、
 「ホントとてもイヤな気持ちになったわ。最近新しくできたとても可愛いお友達が私の前から消えちゃいますみたいなことを言うんだもの。そ・れ・に~!あけみっちなら私が今何考えているか大体想像つくでしょ!そしてそれが大体正解です!あなたのお兄ちゃんが大好きよ!そしてあなたも大好き!だから今のところは2人とも私の前から消えちゃわないでって私が思ってるって、思ってるでしょ?!」

 律子と風子ちゃんがなにかおしゃべりをしていて瑛太と暁美先輩を哲っちゃんのマンションのフロントドア外側に置き去りにしたままフロントドアの内側から出てこない時間が五分位あったが、その後風子ちゃん暁美先輩ペアと律子瑛太ペアと二手に分かれて解散となった。風子ちゃんは実はもう1つ感じ取っていたことがあったが、それは律子には言わなかったのだ。瑛太のことだ。瑛太の律子に対する感情のことだ。
 瑛太はバイクを押しながら律子の横を歩く。瑛太は律子が風子ちゃんとマンションのフロントドアの内側で話を終えてフロントドアから外に出てきた以後は何かを振り切ったように明るくなったことに気が付き、律子に話しかけた。
 「近藤、今はなんかやけに元気になったな。」それに応えるように律子は、
 「松田、わかる?ふふふ、私ね、物凄く困ってるのよ!助けてよ!あはは!」
 「なんだ?!困ってるようには聞こえないけどな。まあ、聞くまでもなく暁美先輩のことだろ?」と瑛太はもうカマをかける気にもならず、ストレートに律子に聞いた。そして、同時に自分の心の小さな穴が少しだけ広がった気がした。
 「あれ、松田もわかっちゃった?私ってそんなに簡単に感情というか、思ってること表情とかに出ちゃう?」と少し恥ずかし気に、そして年ごろの女の子らしくちょっともじもじした仕草をする。それに対し瑛太は、
 「金曜日のミーティングの時からなんとなく、いつもの近藤とは違うかなって、何が違うのかとかをうまくは説明できないけど、なんか違う。そんでやっぱりね、暁美先輩を見る眼とその表情がね。なんか悟られないように普通の表情をしているみたいなんだけど、時々すっごくキラキラした眼と表情になっちゃって暁美先輩を見てるし。近藤って、今まで割とクールちゃんなイメージだったけど、なんか今回は感情を押さえきれてない感あるよ。いや、悪いことじゃないと思うけどね。」そう言う瑛太の言葉や表情は律子をからかうう様な感じはなく、あくまで冷静な感じで、恥ずかしい告白を優しく包み込んでくれるような言い方だ。
 「いや、ちょっと恥ずかしけど、もう松田、あけみっち、もしかして哲っちゃん、そんでそんで物凄く恥ずかしいけど多分暁美先輩にもバレバレならもうこのメンバーには隠さないわ。でも他の人には言わないでよ、お願い。そうよ、暁美先輩が気になっちゃうのよ!悪い?!だから、なんかアドバイスとか協力とか、お願い!」とバイクを押して歩いている瑛太の前に立ちはだかって、ほほを少し赤らめて、かつほっぺを少し膨らませて、そして今度は悲しい涙目ではなく、嬉し恥ずかしの涙目になって瑛太の顔を見据えて言った。そして、同時に “やっぱり、瑛太は大人だ。私にとっていい兄貴分みたいなもんだ。私と同い年だけど、将来自分の家の家業を継いでいくために店の仕事を覚えようとしてる。小遣い稼ぎをしたくてアルバイトしているのではない。立場上は学生アルバイトだけど、社員である大人たちの中に混じって出来るだけ同じような仕事をこなそうと努力をしている。そういう意味では私なんかより経験値が高くて、色んな状況を客観視して冷静に的確なアドバイスをしてもらえそうだ。” そう思い瑛太に相談を持ちかけたのだ。
 「暁美先輩も近藤のことを意識してるのはなんとなく俺にも伝わってくる。でもね、先輩の海外留学をするっていう意志は多分余程のことが起こらない限り揺るがないようにも見受けれるよね。数年かけて温め続けていた個人の夢や目標を達成させるチャンスがそこまで来ているなら、男であろうが女であろうが、他の何事もかえりみずにそのチャンスを掴もうと思うよね。だから暁美先輩は今その状態だと思うよ。」瑛太の言うことは的確で正論だ。そして、律子を気遣うような顔と眼で続けて、
 「だからさ、ともかく今は近藤は気持ちを暁美先輩に伝えるとかではなくて、出来るだけ一緒に過ごせる時間を作って先輩が卒業するまでに互いの良い関係と、一緒に共有することができる時間を沢山、長く持てるようにしたらいいんじゃないか?その間に何か良いアイディアとか、近藤自身が今後どうしていこうかとかも考えていけると思うけど。」そう言い瑛太自身は自分自身に向かって、”ああ、俺ってなに冷静に状況分析しちゃって良い奴ぶってるんだろう、、、、” と思うのだった。そのくせして、続けて律子に向かって、
 「軽音吹奏楽のミーティング回数を増やすとか、今日みんなでラインアドレス交換もしたんだし、”相談したいからアドバイス下さい!” 的な口実でいくらでもコンタクト取って会う機会を作れるよね?」そういうと律子はちょっと考え込んで、
 「と言うけどさ、何についてアドバイスをもらうか考えなきゃ。もちろん、軽音吹奏楽部のコラボのことってのは大前提だけど、、、、、」と口ごもる。それに対し、瑛太は、
 「難しく考えるなよ。”コラボ曲について相談したい。” ってだけで十分な理由だろ。」と笑って律子の背中をとんと軽く、優しく叩く。まさに「背中を押す」という言葉そのものだ。


 

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