常識と思っているものを疑う
最近人と話していて、いかに自分がバイアスにかかっているか、ステレオタイプ的な見方にはまってしまっているのかということを感じる。
自分を自分で狭めてしまっている。
物事の本質を見極めなければならない
と常々思っているのだけれど、、、
「人は自分のフィルターを通して物事を見ている」という観点を含めて
自分が本質だと思っているものでさえも、自分のフィルターを通しているという理解のもと正しく捉えられなければならない。
そんなことを考えてたら、何が正しくて何が間違っていうのかさえわからなくなってしまうよね。
私は自分の中で、
「こうあるべきだ」という考えが強い方で、
これでも昨今はかなり弱まってきた方だとは思うんだけど、
譲れないところはある。
この譲れないところが、自分の大事にしているフィロソフィーで、土台となるところだろう。
本質を疑いながら、それでも譲れない自分の本質を磨いて、
私なりのフィロソフィーを確立していきたいと思っている今日この頃。
ロールモデルがいなくてイメージできないのなら、
自分がロールモデルになっていけばいい。
クリエィティブな人たちと関わって、未来を創造していく。
自分の考え方の癖や感じ方の癖を理解して、そこから発する自分の行動を変えていく。
Whyの問いに答えられるものを作り上げていく。
具体的に。
疑いなくして、成長なし。
石立 真悠子
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