福井国体 〜前十字靭帯断裂から2週間の話〜
アジア大会準決勝の中国戦。
前半に劣勢の状態を少しずつ少しずつ戻し、同点、さらに逆転しようと勢いにのってきた時間帯だった。
「5秒前に戻してほしい」そんな後悔をし続けるあの瞬間がきたのは。
前十字靭帯を断裂した瞬間、私の頭は福井に飛んでいた。
膝の中がグリグリっと変な風に捻った瞬間、痛みと共に、
福井国体どうしよう、、、という気持ち、それしかなかった。
実はアジア大会に望む前に、私はアジア大会に出場すべきか悩んでいた。
アジア大会が終わるのが、国体が始まる2週間前。
アジア大会はほぼ1ヶ月弱あり、その前の合宿から合わせると、ターゲットにしていた福井国体前のほとんどの時間をチームとは過ごせない。
それに、アジア大会で山場となるのは、準決勝・決勝のみ。
アジアは、カザフスタン、中国、韓国、そして日本の4チームが戦いになるレベルで、他チームははっきりいって大学生よりも弱いレベル。
大事なチームの大事な時期に、ナショナルチームとして大学生以下のレベルのチームと予選を戦い続けるモチベーションが果たして保てるのか疑問だった。
今までの自分なら、ナショナルチームが何をおいても最優先だったし、それ以外の犠牲なんて気にしなかった。
でも私にとっての福井のチームは、私をどん底から救ってくれた大切なチームだった。
この子たちと目標を達成するために、1年半かけて作ってきたものがある。
そして何より、自分をサポートし、もう一度前を向くきっかけをくれた福井に恩返しをしたい。その気持ちが何より強かったからだ。
それでも代表として国を背負って、アジア大会に出ることは何よりの誇り。
その尊さは自分が一番わかっていた。
だからこそ、チームにお願いしてアジア大会に出させてもらった。
そんな中で、一番大事なときに大怪我をしてしまった自分。
ナショナルにも迷惑をかけ、福井にも迷惑をかける。
結局ナショナルも、その試合、負けてしまい銅メダルに終わってしまった。
試合にも負け、大怪我をした自分は、誰にも合わす顔がないなと思った。
福井国体まで2週間。
怪我をした夜、代表のトレーナーさんが夜通し看病してくれた。
痛みが止まらない足に治療器をかけ、氷を持ってきてくれ、圧迫し、
最善の治療をしてくれた。
チームメイトも、立って歩けない私に、ご飯を持ってきてくれたり、シャワーも入りやすいように椅子を用意してくれたり、気を使ってそっとしてくれたり、声をかけにきてくれたり、いろいろな部分で助けてくれた。
インドネシアで受傷したためはっきりとした検査は帰国してからになった。
ついてきていたチームドクターに、「靭帯は大丈夫ですよね、すぐ戻れますよね」って何回も聞いて、その度にドクターは「うん、状態悪くないよ」って嘘ついてくれてた。
私もドクターも本当はわかっていたんだけどね。
どんどん血が溜まるから抜いてくれるんだけど、その血の中に軟骨のかけらみたいなのはないから、大丈夫だよって。
いや、そんなに血抜けたら大丈夫ちゃうやろ笑 今思えばそう思う。笑
そんなこんなで、次の日からトレーナーさんとのリハビリが始まった。
選手が怪我をしたときに、多分一番責任を感じているのはトレーナーさんだと思う。今のナショナルのトレーナーさんとは、もう10年以上の付き合いなんだけど、一緒にたくさんのトレーニングを積んできたからこそ、私の思いもわかってくれているし、つらかったと思う。
夜一晩中介護してくれて、次の日から「2週間後の試合に間に合わすためにリハビリトレーニング始めるぞ」って言ってくれて、その気持ちに答えなきゃって思った。
こんなに私のために動いてくれて、コートに戻そうとしてくれる人がいるのに、私が落ち込んでて、自分自身を信じないでどうするんって思った。
そこからは、2週間後に福井国体のコートに立つためにあらゆることをした。
大好きな仲間とコートに立ちたかったし、何より最後まで戦い抜きたかった。試合に出られるかはわからない。でもやりきってダメなら受け入れるけど、もがきもしないで、怪我しました、もう出れません。なんてそんな簡単に諦めれなかった。
いろんな人の力を借りて、ちょっとずつ膝が曲げれるようになり、ジョグができるようになった。
国体前最後の練習。
試合に出るとしたら、練習で一度実戦練習に入らなければ足を引っ張るだけだから、どれくらいできるか試そうと思って入ってみた。
1回のデフェンスで横のストップをすると膝がずれる感覚があるし、怖くてできないと思った。練習なしで、本番どれだけできるか。アドレナリンと集中力、そして準備はするけど、私が出なくても余裕でターゲットに勝ってくれる仲間を信じようと思った。
試合当日、、、
相手は千葉県。昭和学院を卒業して大学で続けている選手たちを集めたチームだった。
試合が始まると、相手が4-2ディフェンスをしかけてきた。
4-2ディフェンスに対する攻めも練習していたし、実際ベンチから見ると崩せそうな感じだったのだが、プレッシャーがあるのか、緊張しているのか、本当に「らしくない」ミスを連発し、仲間の表情が曇っていった。
外から見ているとなんてことなく、いつも通りパスをつなげば苦労しないよっという感じだから焦ってはないんだけど、仲間の様子がおかしい。
そしてどんどん離されていく、、、。
これ以上離されたらまずいなという時に、私はディフェンスだけ出る覚悟を決めた。
試合前にはドクターに頼んで血を抜き、トレーナーさんにテーピングをガチガチに巻いてもらっていた。
アップでも、今までにないくらい動けたし、大丈夫。いこう。
何もできないけど、みんなを近くで安心させたい。そう思って、コートに入った。
予想以上に動けた。リハビリと、注射と、テーピングと、アドレナリンすごいーーー。
なんでもない顔して、いやめっちゃ練習できてるからディフェンスくらいできるから、みたいな顔してた。
ほんとはこっち攻めてくるなよーーーと思ってたけど。笑
攻めてくるよね、そういうとき。
でも練習では怖くてまったく動けなかったのに、がって守って接触してフリースローとか取ったりして。
いや見てる人、完全に騙されたよね。石立できるやんって笑
そんなこんなで、いくよ!こんなもんじゃないよ!私たち!って雰囲気出したら、仲間たちのプレーも少しずつ取り戻してきて。
前半には追いついて、後半は完全に自分たちのものだった!
この試合に勝つのが使命だったので、試合終わった後は心からほっとしたねぇ。
次は古巣オムロンの熊本県が相手だった。
対戦相手が決まった時から、熊本に勝つために戦略をいろいろと考えていた。
GWに合宿でお世話になったこともあり、その中で練習試合をしていろいろと試していたので、本当に本当に楽しみだった。
その日の出来次第で十分勝負できると思っていた。
でも私が怪我をし、いろいろと戦略を変えなければならず、勝ち切るのは難しいなと思っていた。それでも、このチームの集大成としてこの試合に賭けて持てるすべてを出して楽しもう、そんな風に思っていた。
だから、前日の試合後に、ドクターに明日の試合前も注射をお願いしますという連絡をしたんだけど、そこでドクターストップがかかった。
大学生より、スピードもパワーもあるごまかしのきかない勝負で、プレーをするのはリスクが高すぎる。明日はプレーはしてはだめだ。とはっきり言われた。
国体のコートで立つために、私のわがままを聞いてくれたドクターの言うことだったから聞かざるおえなかった。
「今日コートに立たせてくれてありがとうございました」
そういって気持ちを抑えた。
試合では、監督かよってくらい、ずっと立ちっぱなしで、軽くベンチでフットワークしたり跳ねたりしながら持てるすべてを出し切った。
仲間と、ベンチとコートだけど繋がってるような感覚のした試合だった。
仲間は本当に素晴らしいプレーを見せてくれて、コートで輝く仲間が頼もしく、こっちまで最高に楽しい試合だった。
試合に1秒たりとも出ていないけど、間違いなく私のハンドボール人生の中で心に残る試合だった。
故郷で大切な仲間と最高の時間を過ごせたあの1年は、私にとってかけがえのない、間違いなく私を救ってくれた大切な時間。
実は、怪我をして日本に帰国して、空港に降り立った時に、福井のチームメイト全員、14人で迎えにきてくれてたんだよね。
平日の夜に、片道1時間半以上かけて空港まで。。。
私が落ち込んでるだろうと思って心配してきてくれたんだよね。
どれだけ私はこの仲間たちに救われたんだろうか。
そんな最高の仲間たちとハンドすることはもうないけど、
今もこれからも、ずっと愛してるよ!
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