5月5日(月)

●映画『ミッドナイトインパリ』
 行き詰まったハリウッドの脚本家が小説家に転身しようとしている。芸術の都、パリならばインスピレーションが得られるだろうと、引っ越しを提案するが、婚約者からは嫌がられる。そんなある日、夜中に主人公はタイムスリップして、彼が黄金時代と称する1920年代の世界に迷い込む。
 過去を美化する傾向は、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思う。「昔はよかった」という言説は、いつの時代も聞かれるもので、この主人公も友人にそんな考えは「黄金主義思考」だとバカにされている。
 しかし、その黄金時代に行ってみれば、その時代の人々も19世紀のベル・エポックの時代は素晴らしかったと言っている。おそらくベル・エポックの時代の人間も、さらに昔を良かったと言っているに違いない。 
 それを知った主人公は、「黄金主義思考」を捨てようやく現実で前向きな選択をすることができるようになる。「昔は良かった」とぼやき始めたら、戒めのために見返したい映画だ。自転車回収

●『ペスト』
①4月のある日から、街に大量のネズミが発生し次々と死んでいくのが発見される。やがて、ペストが流行り始め、市の門は閉ざされる。
②そこから、翌年の2月まで封鎖が続く。街の人々は、当初は楽観的に構えるが、次第に疫病にさいなまれていく。やがて絶望にも慣れ、不幸と苦痛の痛みさえ感じなくなる。
③その中で、医師リウーをはじめとする保健隊の人々は、献身的に活動を続け街を支える。それは際限なく続く敗北とも言える活動であるが、やがて疫病の勢いが衰えていき解放の日が近づいてくる。

ペストと戦う唯一の方法
 人々は街に立ち込める集団的な感情を共有していたが、行動は必ずしも一様ではない。投獄を覚悟で街からの脱出を試みる者もいれば、享楽に走る者もいる。疫病にひざを屈して、諦めを説く者もいる。その中で、オランの街を支えた医師リウーとはどのような人物なのか。 
 彼は、キリスト教の説く神を信じていない。子どもたちが病などによって責めさいなまれるように作られたこの世界を、愛してさえいない。保健隊として人のために自らを犠牲にすることを「ヒロイズム」と呼び、疑う人にはこう答えている。これはヒロイズムの問題ではない、ペストと戦う唯一の方法は誠実さなのだ、それはつまり、自分の職務を果たすことなのだ、と。 
 そして最後に彼は、ペストの恐怖を忘れたかのように歓喜する人々を見ながら、ペストという災厄に教えられたことをつづる。人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くある、ということを。
 昨今の新型コロナウイルスの状況から手に取ってみる読者も多いだろう。シミュレーションとして使えることは確かだ。見えない敵とわたしたちはどのような姿勢で戦うべきなのか、現状を考える際のよりどころを与えてくれる。
 それだけではない。どの登場人物も造形がくっきりとしており、それぞれに魅力がある。挑戦もあれば、融和もある。悲惨な出来事もあれば、気持ちが通い合う友情もある。小説を読む楽しみもたっぷりと味わわせてくれるだろう。ただし、訳文は半世紀前のものなので、慣れるまでは多少の辛抱が必要なことだけ、申し添えておきたい。

●『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』
①「仕事もプライベートな時間も両方大切だ」と考えるフィンランド人は、就業時間中に効率よく働き、退勤時間になったらすぐに帰宅するという。
②フィンランドの仕事文化で魅力的なのは、「ワークライフバランスがとれること」と「職場での平等でオープンな関係性」である。
③終業後は、趣味やスポーツ、家族のための時間であり、趣味を楽しむための制度や、スポーツに打ち込む環境も整っている。
④困難に耐えうる力を意味し、フィンランドの国民性を表す「シス」への注目が高まっている。
フィンランドサウナの魅力
サウナは、フィンランド人のライフスタイルや文化を語るうえで欠かせない要素だ。550万人の人口に対して、サウナの数は200万~300万といわれている。アパートの各部屋の浴室には、小さなサウナがついている。それがない場合にも、共用サウナが地下や屋上についていることが多い。フィンランド人は週に1~2回サウナを楽しむという。大学構内や職場にもサウナがあることは珍しくない。これはリラックスするためだけでなく、仲間との交流のための場にもなっている。また、大使館でのサウナは、接待やおもてなしの場としても使われていることで有名だ。サウナには不思議なマジックがある。そこではどんな立場の人も、地位や肩書を脱ぎ去り、一個人として存在する。だからこそ、平等な関係で、サウナのある空間を一緒に楽しめるのだ。
フィンランドの国民性を表す「シス(SISU)」が世界的なトレンドとして注目が高まっていくという。シスは、フィンランド語で困難に耐えうる力、努力してあきらめずにやり遂げる力、不屈の精神といった意味合いを持つ。
フィンランド人に「シスとは何か?」と尋ねてよく返ってくる答えは、「シスは灰色の岩さえ突き破る」というたとえだ。仕事や人生において、困難があってもすぐにはあきらめないという強い気持ちを示している。
シスは、日本の「頑張る」と比較すると、圧倒的に使用頻度が低い。フィンランドでは「言葉にするよりも行動で示す」ことが好まれているためか、シスは内に秘められている気持ちというニュアンスだ。

また、シスに関する感覚は、フィンランド人の中でも多少バラつきがある。仕事で困難な状況を切り抜けたときなど、身近にシスを見出す人もいる。一方で、シスという言葉を簡単には使いたくないという人たちもいる。シスの例として、フィンランドの厳しい気候の暮らしが紹介される。だが、これはシスではないと否定する人たちもいる。「シスの前提として、不可能に思える困難や課題があり、それを可能にするのがシスなのだから、そんな容易なことでは使っちゃいけない」という考えがあるためだ。ただ1つ共通しているのは、シスは誰かに強制されるのではないということである。「自分がしたいからする」という強い決意や気持ちが、シスの本質といえる。
 フィンランド人は、とにかく学ぶことに貪欲だという。仕事に関連する分野はもちろん、「持ち駒は多い方がよいから」と、全く別の分野を学び、学位をとる人も珍しくないそうだ。時間と金銭、そして気持ちの余裕がないと、新たなことを学び続けることは難しいだろう。こうした状況も、フィンランド流のゆとりのある生き方を物語っているのではないだろうか。本書には、フィンランドで大事にされているコミュニケーションのスタイルや、在宅勤務の人が3割いて、父親の8割が育休をとるといった職場事情についてもふれられている。詳しくはぜひ本書を読んでいただきたい。フィンランドの人々の豊かさの秘訣から、日常に取り入れられるものを数多く見出せるはずだ。

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