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読本レポート Magazine

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大学生のレポート感覚で、月4本を目標に投稿してます。 このnoteを通じて、物事には様々な見方があることを僕自身を含め、皆さんと共有できたらいいなぁと思ってます。 共同運営者募…
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#哲学

『DEATH NOTE』から考える善悪。(2/2)

夜神月(ライト)の純粋な悪とは何なのか。このことについて述べるために、カントの全の定義である定言命法を取り上げたい。 カントの定言命法とは、簡単に述べると、絶対的条件の順守である。例えば、「人を殺してはいけない」ということを定言命法とした場合、いかなる条件であっても人を殺すことは悪になる。ただ、カントはこの定言命法を具体的に何であるかは定義をしていない。カントの定言命法の有名な例として「嘘をついてはいけない」がある。カントは「絶対に嘘をつかず、お互いに正直に、社会を営むべき

『DEATH NOTE』から考える善悪。(1/2)

過去に2回の記事「あさま山荘事件」、「東京地下鉄サリン事件」を通して、善悪の変容について述べてきた。今回、最後に『DEATH NOTE』を取り上げ、善悪の区別の難しさについて具体性をまとめ、総括していく。なお、引き続きではあるが、今回も大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』を参考に論じていく。 『DEATH NOTE』と言えば、ご存知の方が多いと思われるが、主人公である夜神月(ライト)がある日、奇妙な黒いノートを拾う。それは死神のリュークが落としたデスノートであり

東京地下鉄サリン事件の哲学的意味。

前回に引き続き、大澤真幸の『サブカルの想像力は資本主義を超えるのか』を参考に、東京地下鉄サリン事件の哲学的意味について述べていく。 東京地下鉄サリン事件とは、教祖が麻原彰晃のオウム真理教という宗教団体が、1995年3月20日の朝、霞ヶ関を中心とした地下鉄にサリンという毒ガスをばらまき、何千人もの人が被害を受けた無差別テロである。 オウム真理教は、当時、1万人以上の信者がいたといわれており、彼らは形式的には仏教の形をとっていた。そしてその中から出家した者たちが山梨県の富士山

あさま山荘事件の哲学的意味。

人は何か物事を行う際、その行為には善悪の基準が付随する。善行を働けば良い結果、悪行を働けば悪い結果が生まれるのが我々の共通認識である。しかし同時に私たちは、全ての行いが上記の論理で成り立たないことも認識している。今回は大澤真幸の『サブカルの想像力は資本主義を超えるのか』を参考に、善悪の転化について、「あさま山荘事件」と「東京地下鉄サリン事件」先に取り上げ、最後に「DEATH NOTE」を取り上げる。 あさま山荘事件。この事件は、1972年、長野県の軽井沢にある浅間で、当時、