#4 退職に際して

====前書き====
2020年1月9日、僕は退職願を提出した。
ありがちな引き留めに各種手続き、有給消化を含めると正式な退職はまだ先だが「退職する」という意志を表明した時点で実質的に"この会社の社員"としての僕は終わったと考えている。
なので"退職に際して"というタイトル通り今回は「何故今の会社を選んだのか」「どんな事があったか」「そして何故今退職するのか」といった事を憶えている範囲で書いて行こうと思う。僕自身の気持ちも交えて。
「訊かれた時に口頭で伝えれば良いのでは」とも思うがどうせならそこに至るまでの考えであったりもしっかりと伝えたいと思ったのでここに書くことにした。
半ば自伝と化していて長いので休み休み読んでください。
========

1.何故今の会社を選んだのか
先日、退職へ向けた書類整理の中で研修時代のノートが出てきた。ページをめくっていると1月9日は奇しくも2年前、入社時研修が終わり初めて営業フロアに足を踏み入れた日だった。
1年半遅れで大学を卒業し今の会社に入社、僕が実質的に社会人としてのスタートを切った日。そんな日に社を去る決意表明をしていた事へ運命や縁と言ったものを感じているのが僕らしい。

2017年12月1日、僕は営業研修社員として社の一員となった。
業界は商品先物取引業界。
商品先物取引とは「石油」や「金」といったモノを株やFxの様に売買し利益を上げる投資だ。知名度は低いが日本では江戸時代からの歴史がある。
コレを営業対象である経営者等に勧め契約、以降売買の際に取引所との間へ入り仲介手数料を貰うのが僕らの事業だ。

その中で僕個人が担う役目は新規開拓、所謂新規取り。
やり方はこうだ
業者から購入した名簿やインターネット検索、電話帳等で出てきた企業・個人商店に片っ端から電話する。そして出てきた相手へアポをとって営業しに行き契約を貰う。
至ってシンプル。一日に何百件電話をガチャ切りされても、心無い言葉を浴びせられても折れない心が有れば誰でもできる。
しかし、業界柄誰がやっても良いわけではない。営業活動をするには試験に合格し「外務員」と言う資格を取得しなければならない。
12月から約1カ月の研修期間はコレに合格する為の勉強が主であった。

1-1:帰阪
そもそも何故12月と言うよくわからないタイミングで働き始めたのか?まずはそこからだと思う。
僕は5年半に及んだ大学生活、その最後半年を交際時代の元妻と過ごしていた。
その最中の話は割愛するが最終的に彼女が諸事情で体調を崩した事、それを重く見た僕が会社を退職させ大阪に連れ帰り東京生活は終わった。
急に東京行きを告げ、また急に帰ると言い出した僕を助けてくれた家族には感謝している。

帰阪後スムーズに住む家は見つかった。僕の実家も近く何かあった際に支援を求める事も出来るだろう。
しかし当然と言えば当然だが暮らしていく上での生活費、この問題が直ぐに浮上して来た。
当時僕は学生であったし貯蓄らしい貯蓄は無い。元妻も度重なる引越しやロクな稼ぎの無い僕の面倒を見てくれていたので同じ状態だったのだ。引越し貧乏ここに極まれり。
初期費用は父が建て替えてくれていたから前家賃で1カ月の猶予があるとは言え悠長にしている時間は無い、この期間に仕事を探さねばならなかった。

さて「働こう」と決めたが僕は今まで就活と言うものをした事が無かった。学生時代に同級生が動き出す頃、僕は留年がほぼほぼ決まっていたからだ。
なのでスタートダッシュから行き詰まっていた僕に母があるチラシを渡して来た。それは大阪市だったか府だったか忘れたが役所が主催する「内定エクスプレス」という合同説明会のチラシで、アテも他に無い僕はとりあえずそのイベントへ行くことにした。

1-2:説明会、そして入社
当日、会場に着いた僕はビックリした。
初めての合同説明会で比較しようもない筈だが「思っていたより人が多い」と。
もう10月も半ば、就活も売り手市場と言われ出した時期だったがそこには僕と同世代の人間がかなりの数居た。
各出展企業のブースを廻り、彼らと共に説明を聴いて回る内にすぐ理由はわかった。

彼らは"余り物なのだ"と。

中には留学していた者、内定は持っているが改めて他の業界を見たくなった者も居たがそれらは一目でわかった。オーラが違う。
それ以外は清潔感が無かったり目が死んでいたり或いは言葉遣いであったり「わざわざ雇いたく無い」と思われてもおかしくない者がかなり居た。
最初僕は正直「失敗した」と思った。何故なら「そういった人間でも良いから拾いたい」会社と「条件で足元をみられても良いから働きたい」求職者。
ハローワークと変わりはしない。そしてそこに行くしか無かった、同じように見られている、自分もそうなのかもしれないと自分自身の現状についてもかなり絶望感を覚えていた。
この時、エスポワールに乗船したカイジと自分を重ねていた事をいまだに憶えている。

実際に見て廻ると大手や好条件の企業もある事はあった、しかしそれは大抵「理系の技術職」と言った特別な職種の募集でありそれ以外の職種、総合や販売と言ったところは大体似たような条件だった。
他は人気が無い介護職がものすごく多かった。人が集まらない、断られる事に慣れてしまったのか採用担当ですら「興味ないかもしれませんが…」と力なくビラを配り目も死んで居たので最初から候補には入れなかった。

それ以外は業界研究も特にしていなかったので「収入と勤務時間」ここに絞って会社を見ていた。そうした中で声を掛けられ話を聴く事になったのが今の会社だった。
朝はちと早いが土日祝は休みだし、そしてなにより研修時の給与も悪くない。営業で数字出せば毎月歩合も入る。
「コレはアリかも知れない」と思った僕は面接を受ける事にしたのだった。

一次面接は無難な談笑程度のものですんなり通った。「簡単すぎて怖いな」とは正直思っていた。
しかしあの合同説明会で他に受けていた会社が軒並み翌年1月採用、ココだけは「面接時に応相談」だった。12月から家賃を払わなければならない僕はそんな事を考える余裕が無くなっていたのだ。
以前から先物についてはある程度聞いたことがありイメージはよくなかったが「養う為だ」と自分に言い聞かせ「婚約してる奴を養わなきゃならんのだ、直ぐに雇ってくれ」と実際二次面接でも支店長に熱く詰め寄っていた。
若い頃同じ様な経験をしていた支店長のお陰もあり早々に就活は終わり11月面接、12月1日から勤務という突貫スタートを切る事になった。研修生活のスタートだ。


続く...

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?