入植型植民地主義とその犠牲者について

 先日、読書会でイスラエルについて話し合っていたとき、Nさんが、イスラエルはsettler colonialism(入植型植民地主義)という点で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどと共通しているので、これらの国々は(自国の植民地主義を自己批判しない限り)イスラエルを正面から批判できないのだ、という指摘をされた。それに対して私は、北米やオセアニアにおける入植型植民地主義の話は16・17世紀から19世紀にかけての話で、国際法がまだ存在しないか、未発達な時代のことであるのに対し、イスラエルの入植は20世紀も第2次大戦後のことであり、国際法もそれなりに発達した時代の話であるから、同列に扱うのは違和感がある、という話をした。もちろん、国際法が未発達な時代であったとはいえ、北米やオセアニアに対する白人入植者による植民地主義に問題がなかったなどと言いたいわけではない。実際、カナダやオーストラリアは多文化主義を採用したことにより、先住民に対する植民地政策を自己批判するに至っている。ただ、私が言いたかったのは、これだけ国際法も情報網も発達した現代(第2次大戦後)の世界において、イスラエルが建国前後から堂々とパレスチナ・アラブ人(以下、「パレスチナ人」と略す)を虐殺したり追放したりしつつ、人種主義的アパルトヘイト体制を構築していったという事実に対する驚きであった。
 
 これは、植民地化が行われた時点における国際状況の違いに着目した発言であったが、一方、被害者側の視点に立ってみた場合には、別の共通点も浮かび上がる。それは北米やオセアニアでヨーロッパ人によって植民地化の犠牲となった人々を、今日、包括して「先住民族」と呼んでいるように、パレスチナ人も「先住民族」と呼びうるのではないか、ということである。「先住民族」について、国際的に承認された定義が存在するわけではないが、2007年に国連で採択された先住民族権利宣言によれば、先住民族が植民地化と歴史的不正義の犠牲者であることを強調している。この観点から見れば、パレスチナ人は紛れもなく「先住民族」といってよいであろう。そして、同宣言は、先住民族に属する個人が、国際人権法上のあらゆる自由と人権をいかなる差別もなく享受することと同時に、先住民族が自決権を有し、この権利に基づき自らの政治的地位を自由に決定し、経済的・社会的・文化的発展を自由に追求する権利を有することを明記している。
 
 もちろんこのような国連宣言に法的拘束力はなく、それ以前に、現在イスラエルがガザで実行中の大規模なジェノサイドを直ちにやめさせることが先決問題であることは言うまでもない。ただ、根本的な問題解決のためには、単にイスラエルに戦争犯罪とジェノサイドをやめさせるだけでなく、パレスチナ人の自決権が真に実現されることを保証することが不可欠である。意外に思われるかもしれないが、現在、少数民族の自決権を定めた国際法が存在しない状況では、この先住民族権利宣言をパレスチナ問題解決のための有力な指針のひとつとすることは可能かつ重要であろう。
 

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