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歴史修正主義の30年⑦「吉田証言」

 次に歴史修正主義者が目を付けたのが「吉田証言」である。「吉田証言」とは、戦時中に軍の命令により「済州島で慰安婦狩りを行った」などと語った吉田清治の証言である。吉田は1977年に『朝鮮人慰安婦と日本人』、1983年に『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』という本を出しており、朝日新聞はじめ多くのメディアが吉田証言を取り上げていた。しかし、1992年に秦郁彦が吉田証言に疑問を提起して以降、その証言の信憑性に疑問が持たれるようになり、河野談話やアジア女性基金でもその証言が採用されることはなかった。朝日新聞も1997年3月31日の特集記事で、「吉田証言の真偽は確認できなかった」と報じて以降、吉田証言を取り上げていなかった。ところが、歴史修正主義者たちは、その頃から吉田証言に目を付け、これを慰安婦報道全体を葬り去るための格好のネタと考えていた節がある。安倍晋三はまだ2回生議員だった1997年5月27日、衆院決算委員会で、「そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にむちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております」と発言している。さらに、第2次政権誕生直前の2012年11月には、日本記者クラブ主催の党首討論会で、「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と述べており、「吉田証言=朝日新聞が広めた誤報」という事実を誇張したフレーミングを行っている。言うまでもないが、仮に吉田証言が虚偽だったとしても、そのことによって、慰安婦に関する無数の証言・証拠が否定されるわけではない。にも拘わらず、安倍晋三とその取り巻きの歴史修正主義者たちは、「吉田証言」というたった一人の証言の虚偽性を言い募ることによって、あたかも慰安婦問題全体が虚偽であるかのような印象操作を行い、同時に朝日新聞の信用失墜に結びつけようとしたのである。「批判的記憶から小さな誤りを見つけ、歴史的な真実性に疑問をぶつけることで証言全体に嘘だという印象を抱かせるのも否定論者の常套手段だ」と林志弦は指摘しているが、この、「一点突破、全面展開」ともいうべき常套手段が炸裂したのが、2014年に起きた朝日新聞大バッシングであった。

 しかし、朝日新聞バッシングについて述べる前に、「吉田証言」についてもう少し考えてみたい。「吉田証言」は朝日新聞が2014年8月に出した検証記事で「虚偽だと判断」のうえ、関連記事をすべて取り消したので、「吉田証言=虚偽」、「吉田清治=詐欺師」とのイメージが日本社会に振り撒かれたと言える。前述の通り、仮に吉田証言が虚偽であったとしても、慰安婦問題の事実やそれに対する日本政府の責任が消えるわけでは全くない。しかし、そもそも吉田証言は本当に虚偽であったと断定できるのだろうか。結論から言えば、そのような断定は決してできない。ジャーナリストの今田真人が『吉田証言は生きている』(共栄書房)の中で詳しく検証しているように、朝日新聞の「検証記事」には、吉田証言を「虚偽」と断定できるような根拠はどこにも示されていない。示されているのは、吉田証言を裏づける証拠は発見できなかった、ということだけである。「吉田証言を裏づける根拠が発見できなかった」ということと、「吉田証言は虚偽である」と断定することの間には、決して無視しえない飛躍がある。「被告人の無実を裏づける証拠が発見できなかった」からといって「被告人は有罪である」などと断定することは許されない。その意味で、2014年の朝日新聞の検証記事の内容は、1997年度同紙の特集記事とほとんど変わるところがないにもかかわらず、「真偽は確認できなかった」という97年の結論から、「虚偽である」という2014年の断定へと飛躍が生じた背景には、吉田の死亡という事情が関係しているのかもしれない。もし吉田が生きていれば、名誉棄損訴訟を起こされる心配があるだけでなく、他社やフリーの記者が吉田の再取材に押しかけ、新たにどんな事実が出てくるかわからないかったであろう。

 吉田の生前にインタビューした今田は、吉田の証言は細部はともかく、基本的には自らの体験した事実を語っているに違いないと推測している。吉田は自らの著書で断っているとおり、被害者・加害者双方のプライバシーを保護するため、登場人物にはすべて仮名を用い、地名についても同じ理由からフィクションを交えた部分があると語っている。「細部はともかく」というのはそういう意味である。安倍晋三は上で引用した1997年の衆院予算委での発言で、吉田の著書の内容が「むちゃくちゃ」で「全く根拠がない」ということを、吉見中大教授が認めたかのように発言しているが、これこそ虚偽発言と言うべきものである。吉見が吉田に面会したうえで認めたのは、吉田証言にはあいまいな部分があるため、史料としては使えない、ということだけである。このとき吉田が細部を明確にしなかったのは、当時の資料が散逸していたり記憶があいまいになっていたためなのか、それともプライバシーを守るという原則を固守したためなのかはわからない。いずれにせよ、吉見が判断したのは、史料として使えないということであり、吉田証言が虚偽である、ということではない。

 吉田は『私の戦争犯罪』のあとがきのなかで、「朝鮮民族に、私の非人間的な心と行為を恥じて、謹んで謝罪いたします。(中略)戦前戦後を通じて、私は民族的悪徳をもって一生を送ってきたが、老境にいたって人類共存を願うようになり、人間のすべての「差別」に反対するようになった。/日本の青少年よ、願わくは、私のように老後になって、民族的慚愧の涙にむせぶなかれ」と記している。安倍晋三のような歴史修正主義者たちは、吉田の行為・言動を「売名行為」のための虚言と非難しているが、実際の彼は、著作公刊以後、右翼の脅迫によって生命の危険にもさらされながら、ほとんど孤立無援の状況の中で「証言」を続けていたのであり、とても「売名」目的といった気軽で利己的な理由によってなしうる行為ではなかったであろう、ということだけは少なくとも言えるのではないかと思う。

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