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杉谷直哉氏の「“平和主義者”幣原喜重郎の誕生」

 歴史学者の杉谷直哉氏からご論文「“平和主義者”幣原喜重郎の誕生――憲法第九条「幣原発案説」の言説史」をお送り頂いた。この場を借りて厚く御礼を申し上げたい。
 
 まず、本稿の要旨をまとめておこう。
 「はじめに」では、憲法第九条の発案者は幣原喜重郎であるという「幣原発案説」は、押しつけ憲法論の対抗言説として、特殊な政治的意義を帯びながら今日に至っているが、「現状では「幣原発案説」は認めがたいと言う他ない」との認識を示したあと、問題の所在を指摘する。それは第1に、「幣原発案説」がどのような人物によって、いかなる背景や思想に基づいて論じられ、今日まで引き継がれてきたかを明らかにすること、第2に、「幣原発案説」を支持する言説がどういうメディアによって発信されてきたのかを明らかにすることである。
 第一章「「幣原発案説」の「学説化」の形成と展開」では、まず第一節で、「幣原発案説」が事実として「学説化」していく前提として、当事者である幣原喜重郎とマッカーサーによるそれぞれの回想記――すなわち、幣原が死去した1951年に読売新聞社から刊行された幣原の『外交五十年』と、マッカーサーが死去した1964年に出版された『マッカーサー回想記』――と、1955年に出版された幣原喜重郎の伝記(幣原平和財団『幣原喜重郎』)の3点が重要な資料として存在していることが指摘される。
 第二節では、「「学説化」の形成と展開」として、1960年代から90年代にかけて、高柳賢三(英米法学者)、田畑忍(憲法学者)、深瀬忠一(憲法学者)という3名の学者が展開した主張が紹介される。高柳賢三は1957年に発足した憲法調査会の会長として、日本国憲法の成立過程を調査したことで有名な学者であり、田畑忍は憲法学者としての知名度は今日それほど高くはないかもしれないが、一般にはむしろ土井たか子の学生時代の師匠であり政治家になったあとは「はげます会」の会長として知られているであろう。深瀬忠一は自衛隊の合憲性が問われた恵庭事件や長沼ナイキ訴訟で「平和的生存権」の理論的指導者として活躍した憲法学者である。
 第三節では「「学説化」の現在地」として1990年代から今日にかけて「幣原発案説」を主導した学者として、河上暁弘(憲法学者)、堀尾輝久(教育学者)、笠原十九司(歴史学者)、中野昌宏(経済思想)、寺島俊穂(政治哲学)の5名の主張が紹介される。以上の検討を通じて、「幣原発案説」は改憲への強い危機感や押しつけ憲法論への反論のために主張される傾向が見られるが、実証研究の水準では、史料批判の不十分さや先行研究の整理をめぐる不備など多くの問題があり、「幣原発案説」を証明した内容とは到底言えないと結論づけられる。
 第二章「メディアにおける「幣原発案説」の展開」では、まず第一節でノンフィクション作品において「幣原発案説」を主張する言説として、塩田潮(作家)、堤堯(ジャーナリスト)、大越哲仁(作家・歴史家)の所説が紹介される。このうち堤は、大半の「幣原発案説」論者が護憲論者であるのとは異なり、改憲論者であることが指摘される。
 続く第二節では、「幣原発案説」を支持する有力メディアとして、東京新聞によるキャンペーンが紹介されるが、その内容は「幣原発案説」が「有力」であるとか、「史料が豊富」だから正しいと主張するなど根拠の乏しいもので、実証研究の成果を反映しておらず、事実を正確に伝えるジャーナリズムの役割を果たしていないと批判されている。
 「おわりに」においては、第一に、「幣原発案説」が改憲の動きに対する対抗言説として繰り返し提起されてきたことが確認され、押しつけ憲法論を論拠とする改憲論と表裏一体の存在であったことが示される。第二に、「幣原発案説」においては、「平和外交」を展開し、軍部に抗した「平和主義者」という、伝記が描く理想化された幣原像が史料批判を加えることなくそのまま繰り返し引用されてきた結果、外交史を中心とする先行研究によって明らかにされた幣原像との間に乖離が生じていることが示される。
 以上の検討の結果、「幣原発案説」はそれ自体では憲法9条の正当化根拠とはなりえないこと、憲法9条の思想的根拠を日本史の中に求める試みが挫折したことが明らかにされる。結論として、杉谷氏は、「「幣原発案説」を発展させて、日本の平和思想と憲法第九条を結び付ける営為は、荒唐無稽で無謀な試みであると言わなければなら」ず、「憲法第九条の正当性を、発案者が誰であったかという点に求める議論の出発点自体を見直すべき段階に来ているように思われる」と述べている。
 
 以上、本稿の内容を駆け足で見てきたが、杉谷氏の議論の進め方は極めて手堅く、冷静・公正・客観的な論旨の展開には敬服するほかない。ただ、ほとんどの論文がそうであるように、本稿もその名宛人は研究者、とりわけ杉谷氏と同業の歴史研究者であるため、一般の読者にとっては、少しわかりにくい面があるかもしれない。(言うまでもなく、それはこの論文の欠点ではない。)そこで、私が、僭越ながら(勝手に)素人代表として、本稿の意義と特色について補足してみたい。
 杉谷氏には、本稿でも言及されている最近の有力な「幣原発案説」論者である笠原十九司氏の近著『憲法九条と幣原喜重郎――日本国憲法の原点の解明』(大月書店、2020年)及び『憲法九条論争――幣原喜重郎発案の証明』(平凡社、2023年)に関する詳細な書評(それぞれ『道歴研年報』第22号、2021年及び同第24号、2023年)があり、その中で、笠原氏の「幣原発案説」が非常に厳しく批判されている。したがって、本稿の「はじめに」では「現状では「幣原発案説」は認めがたい」と簡単に触れられているだけだが、それは杉谷氏にとっては、「幣原発案説」の誤りはすでに論証済みの論点だからである。それゆえ、「幣原発案説」は正しいんじゃないの? とか、「幣原発案説」はどうして間違っていると言えるの? といった素朴な疑問をお持ちの方は、本稿で参照指示がなされている諸論文(拙稿にも言及して頂いたのは非常に有難い)を見て下さい、ということで、本稿の直接のテーマにはなっていない。本稿は、そうした誤った言説がなぜ、どのようにして広まっていったのか、という言説史をテーマに論じたものである。
 本稿を読んで、身に染みて感じたことは、私がこれまで思っていた以上に、「幣原発案説」は日本社会、とりわけ護憲派の間に深く広く浸透しているということであり、杉谷氏も指摘しておられる通り、本来、発案者が誰であるかということと憲法9条自体の正当性との間には何ら論理的なつながりがないにも関わらず、あたかも「幣原発案説」を主張することで憲法9条の正当性が論証できるかのような錯覚、逆に言えば憲法9条を擁護したいがために「幣原発案説」を主張するといった倒錯現象があまりにも広く浸透してしまっている、ということである。おかげで、私のように、「幣原発案説」や「幣原発案説」論者を批判しただけで、あたかも改憲派であるかのごとき誤解を受けることが後を絶たないのである。
 私が本稿を読んで、個人的に面白い、というか呆れたのは、田畑忍と深瀬忠一がともに、聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しとなす」を引用し、日本の伝統文化の中に、憲法9条の平和思想の源流を見出し、「押しつけ」否定の根拠にしようとしていた、という指摘である。憲法を習った者なら誰でも、十七条憲法が実質的意味の憲法とは何の関係もないことは当然知っているはずなのに、憲法学者がこうした主張をしていたとは驚きである。しかも「和を以て貴し」というのは、確かに日本の同調圧力文化につながるものだとしても、国際平和とは何の関係もないことは言を俟たないであろう。
 次に、私が興味を惹かれたのは、笠原の幣原発案説に対する堀尾のコメントである。堀尾は笠原の『憲法九条論争』を評して、「歴史学者ならではの資料批判と論証の方法の手堅さに感服した。私自身かねがね幣原発意説を主張してきたが、歴史家である笠原氏のお仕事は強力な同志の出現に思えて、ありがたい」と絶賛するコメントを寄せているのである。これを読んで、私は思わず、故・米原万理氏の名言、「目糞、鼻糞を褒める」を思い出してしまった。もちろん笠原氏や堀尾氏は「目糞、鼻糞」どころかそれぞれ斯界の第一人者である。それだけにお二人とも「幣原発案説」に関してはあまりにもお粗末な議論をされているのは本当に残念である。私は(杉谷氏も言及して下さった)拙稿において、笠原氏の『憲法九条論争』を徹底的に批判したし、杉谷氏も同書の書評において、「著者(笠原氏)は都合の悪い史料には「史料批判」を行うが、他方で自説を「証明」するとみなした史料にはいかなる問題があっても事実であると主張している」、「今一度自身が活用した「史料」の妥当性や背景について再検討する「史料批判」を丁寧にやり直すべきである」と厳しく指摘されている。杉谷氏の指摘はまさしくその通りであり、「歴史学者ならではの資料批判と論証の方法の手堅さ」とは杉谷氏にこそ当てはまる評価であるが、笠原氏にはその真逆の評価しか当てはまらないのである。
 第3に、私が感服したのは、私も購読している東京新聞の「幣原発案説」キャンペーンに対する杉谷氏の批判である。私は東京新聞の護憲の姿勢は評価しているし、相対的に見て良い新聞だと思っている。だからこそ購読しているのであるが、同紙の「幣原発案説」キャンペーンは事実に基づいておらず、全く腹立たしいものである。何度か投書もしたが、すべて無視された。杉谷氏が引用されている2016年12月6日の「歴史に学んでいるか」という記事では、「戦後、当時の幣原喜重郎首相が憲法九条につながる戦争放棄を(……)マッカーサー最高司令官に提案したとの説が強まっているが、奥深い目的には日本が米国による戦争に引きずられないように、という思いも込められていたという」と書かれているという。何ら具体的な根拠も示さないまま、「との説が強まっている」だの「という思いも込められていたという」といった曖昧な表現で読者を間違った歴史認識に導こうとしているのである。「目糞、説教を垂れる」とでも言うのだろうか。杉谷氏の指摘されている通り、ジャーナリズムを逸脱していると言わざるを得ない。
 
 以上、あまりにも断片的な感想の羅列になってしまったが、杉谷氏の所説が広く日本社会に知れ渡ることを祈らずにはいられない。
 

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