原点喪失漂流国家

 丸山眞男は1960年8月号の『世界』に「復初の説」という論説を発表した。もともとは講演記録のようである。この中で丸山は「復性復初」という宋代の中国の儒家がしばしば使っていた言葉を紹介し、それは「ものの本性、つまり本質の立ちかえるということ、また初めにかえるというのは、ものの本源にかえるということだ」と説明し、このことを「今日の時点において特に強調したい」、「なかんずくそれを私は(…)言論機関の方々に希望したいと思う」と述べている。なぜそれが重要か。それを丸山は次のように説明している。

日本には、存在するものはただ存在するがゆえに存在するという俗流哲学がかなり根強いようであります。(……)物事が存在するから存在する、こういう考え方が結局既成事実さえ強引に作ってしまえば、一時はわいわい騒ぐけれども、結局なんとかかんとか既成事実の上に事態が進行していく、また事態が進行していくことを許す。こういう悪例が積み重なっている。(……)この存在するものは存在するという哲学、ここからして、もうできちゃったものは仕方ない、その上に事態の収拾を考えなきゃいけない、いつもこれで満州事変、日華事変、太平洋戦争と、もう仕方がない、事既にここに至るの連続で谷間に落ちてしまったわけであります。

 これは、丸山が「「現実」主義の陥穽」という論文で指摘したことと同じであるが、これは本当に日本の宿痾というか、悲しいまでに日本社会の時代を問わない問題点を指摘しているように思う。例えば、2015年、集団的自衛権を容認した安保法案に対する反対運動が盛り上がり、連日国会周辺を、1960年以来と言われるデモの集団が取り巻いていたとき、安倍晋三は、「(1960年の)安保条約のときも反対運動があったが、調印されてしまえば、今では大半の国民が支持している」と嘯いた。腹の立つ発言ではあるが、バカはバカなりに日本社会の弱点を突いた指摘ではあった。
 
 ところで、丸山が上記論説で「初めにかえれ」と言っている「初め」とはいつかというと、同年(すなわち1960年の)5月20日である。つまり、その前日に岸内閣が国会に警官隊500人を導入して反対派議員を暴力的に排除したあと、日付が変わった午前0時6分、自民党単独で新安保条約など3法案を可決したその日である。参議院ではその後、新安保の議決をできないまま30日が経過した6月19日、憲法60・61条の規定により、新安保条約は自然成立することになる。丸山の講演がなされたのは、なんと衆議院での強行採決から約半月後、新安保の自然成立もまだの時点である。笑ってしまうほどつい最近の「初めにかえれ」と言っているわけであるが、言い換えると、それほど短期間の間に新聞の危機感も批判精神も薄れ、何事もなかったかのような論調に一変してしまった、ということである。
 
 ああ、そうだよな。そういう光景は何十回、何百回も見てきたよな、ということにすぐに思い当たる。なぜそういうことが起こるのか。丸山は、「5月20日の意味をこういうふうに考えますと、さらにそれは8月15日にさかのぼると私は思うのであります」と述べたあと、「私たち一人一人があの時の事態というものを、新鮮なイメージとしていつも脳裏に呼び起こすということ、このことがこの目まぐるしく変る、また今後も変るであろう状況に対して、状況に流されないで、逆に状況の意味というものをつかむためにどうしても必要ではないか。(……)自分自身の存在根拠というものを今日こそあらためて自らに問わねばならない」と指摘している。つまり、「目まぐるしく変る状況に対して、状況に流されないで、逆に状況の意味というものをつかむ」ためには原点となる事態をつねに想起しなければならない、それが8・15であり、5.20なのではないか、と述べているのである。
 
 私はこの提言に賛成ではあるが、日本人は変化する状況に身を委ねて流され続け、原点などとっくの昔に見失って漂流を続けるばかりである、という丸山の現状認識は、丸山の規範的提言など一顧だにせず押し流してしまうほど強力である、という現実を、ただただ確認せざるを得ないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?