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歴史修正主義の30年⑩戦後70年談話(安倍談話)

 2015年には日本政府の歴史認識を巡って2つの大きな出来事があった。ひとつは、安倍首相が8月14日に出した「戦後70年談話」(安倍談話)であり、もうひとつが12月28日の日韓外相会談で発表された「慰安婦」問題をめぐる日韓「合意」である。

 内閣官房に設置された有識者懇談会「21世紀構想懇談会」の報告提出(8月6日)を受けて、安倍首相が8月14日に出した「戦後70年談話」は、文字数こそ3354字と多く、河野談話の約4倍、村山談話の2.6倍の長さであるが、内容は極めて浅薄であり、河野談話や村山談話にあった「反省」や「お詫び」を表明する言葉がどこにもない。例えば、村山談話においては、「わが国は、……植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、……疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを申し上げます」と述べ、植民地支配と侵略の事実を認めたうえで、明確な謝罪の言葉を述べていた。ところが「戦後70年談話」(安倍談話)では、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」という過去の事実を記した言葉だけで、今回、自ら「反省とお詫びの気持ちを表明」するつもりは全くないことを示している。それどころか、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べ、今後二度と再び「謝罪」をしない意向さえ明言しているのである。日本が侵略戦争を行ったという記述はどこにもなく、「「新しい国際秩序」への「挑戦者」」となったと述べているだけである。
 
 日本の加害行為について触れたのは2か所だけで、ひとつは「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」という箇所だが、その直後には、「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」とあり、まるで他人事である。もう1か所は、「日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さん」という部分だが、なぜ「元捕虜」だけなのか。平頂山事件や南京大虐殺、三光作戦など日本軍が民間人に対する無差別大量殺戮を中国各地で繰り広げた事実などまるでなかったかのようである。

 植民地支配については、「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました」と述べているが、日本が120年前から台湾を植民地支配していたことにはまったく触れていない。「植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました」と、まるで西洋諸国だけが行っていたかのような書きぶりである。さらに驚くのは、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」との一文である。日本はまさに日露戦争最中の1904年、「帝国の対韓方針」で韓国の軍事・外交・財政・交通・通信などを日本の監督下に置くことを決定し、「日韓議定書」と「第1次日韓協約」を押し付け、韓国の外交権と財政権に制限を加えたうえ、日露戦争終結後の1905年には「第2次日韓協約」を強要し、韓国統監府を設置している。その後、1907年の「第3次日韓協約」を経て1910年の韓国併合条約へと至るわけだが、韓国の植民地化は1904年にはすでに始まっていたのであり、日露戦争はまさに朝鮮半島の支配権をめぐる戦争だったのである。朝鮮植民地化の第1歩となった日露戦争が「植民地支配のもとにあった……アジアやアフリカの人々を勇気づけた」とは、あまりにも東アジア近代史の知識を欠いた発言である。

 また、「戦争の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と述べ、従軍慰安婦の存在を示唆しているが、誰が「名誉と尊厳を傷つけた」のかには触れていない。おそらく安倍首相の頭の中では、民間業者が勝手にやったことになっているのではないか。韓国については、「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み」という文脈でただ1か所言及があるだけで、北朝鮮については一言の言及すら見られない。結局、植民地支配責任も侵略戦争の責任も一切認めないという安倍政権の歴史修正主義的認識を露呈しただけの文書だったのである。(つづく)

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