【幣原発案説の虚妄(第1回)】はじめに

 「幣原発案説」とは、幣原喜重郎が憲法第9条を発案した、とする説のことであるが、これには大きく分けて2種類ある。「平野文書」に依拠するものとしないものである。「平野文書」の正式名称は「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」で、平野三郎が1964年に憲法調査会事務局に提出したものである。
 
 しかし、日本国憲法の原案はGHQが作成し、1946年2月13日に日本政府に手交されたものであることは今日周知の事実である。日本政府は同月19日、22日、25日、26日の閣議を経て、GHQ草案に基づく日本案の作成を決定、翌日から条文化作業に入ったが、GHQの督促により3月2日に日本案を完成。同月4日から5日にかけて日本側とGHQとで30時間ぶっ通しの翻訳・文言修正を経て、ようやく全文が閣議に配られたのが5日の午後8時、翌日の閣議で最終的に「憲法改正草案要綱」として決定し、公表された。その後、「口語化」作業を経て、6月25日に帝国議会衆議院に上程された憲法改正案がいくつかの修正を経て8月24日に衆議院で可決されて貴族院に送付。貴族院でもいくつかの修正を経て10月6日、貴族院で可決。再び衆議院に回付され、衆議院で憲法改正案が可決成立、11月3日に公布された。以上は確証された歴史的事実であって、今日これを疑う者はいない。
 
 では、「幣原発案説」とは何を主張しているかというと、45年末に風邪をこじらせて肺炎にかかった幣原のために、マッカーサーが当時は貴重だったペニシリンを贈ったのに対し、快復した幣原がペニシリンのお礼に、46年1月24日にマッカーサーを訪問した際、憲法草案に戦争放棄と戦力放棄(軍備全廃)の規定を入れたいと提案し、マッカーサーの同意を得たことが、その後のGHQ草案の8条(現在の9条、戦争放棄と戦力不保持を規定)につながったというのである。
 
 「平野文書」に依拠した幣原発案説以外の幣原発案説は、マッカーサーの証言か回想記、幣原の自伝や伝記に基づいており、いずれも、当時、幣原内閣の下で設置された憲法問題調査委員会(松本烝治委員長、通称・松本委員会)で検討されていた憲法改正案に戦争・戦力放棄条項を入れるという提案だと解される。ところが、実際の事実経過をたどれば、幣原が松本委員会に対して戦争・戦力放棄条項を入れるような提案をした事実もなければ、マッカーサーは日本側の改正案の提出(2月8日)を待つことなく、GHQによる憲法改正草案の作成を決定し、2月3日には民政局員に対し、3原則(マッカーサー・ノート)を示したうえで改正作業を指示している。そうなると、幣原とマッカーサーが意気投合したという話は一体どうなったのか、という疑問がわかざるを得ないだろう。
 
 そこで、そういう疑問を一掃するために登場したのが「平野文書」である。「平野文書」によれば、幣原が提案したのは、日本側で作成中の憲法改正案に戦争・戦力放棄を入れるといった話ではなく、マッカーサーの権力によって、「天皇の人間化」とともに戦争・戦力放棄条項を日本に押しつけてほしい、と頼んだ、というのである。ただし、それがばれると「国賊」扱いされかねないので、幣原は日本側の(平野以外)誰にも真相を語らず、芝居を打っていた、というのである。なんとも呆れた話である。通常、幣原発案説は、9条はアメリカに押しつけられたものではなく、日本側が提案したものだから、押しつけではないんですよ、と、「押しつけ論」を否定するために使われることが多い。しかし、「平野文書」に依拠した幣原発案説とは、アメリカに押しつけを依頼した、という、ある意味「押しつけ論」以上に卑屈で異様な説なのである。
 
 しかし、少し調べればわかるように、平野文書は虚偽文書、すなわち平野の創作した文書である。したがって、幣原発案説のうち、より質が悪いのは「平野文書」に基づく幣原発案説である。これを唱える論者はたくさんいるが、ここではその代表として笠原十九司氏を取り上げたい。周知のように、笠原氏は日中戦争史、とりわけ南京大虐殺の研究で有名な歴史学者であり、私も笠原氏がこの(幣原発案説)問題に関わるまでは、立派な学者として尊敬していたものである。それだけに、この問題で笠原氏を批判することになったのは、私自身意外でもあり残念でもある。しかし、なんといっても、笠原氏はこのテーマに関して、『憲法九条と幣原喜重郎』(大月書店、2020年)と『憲法九条論争』(平凡社、2023年)という2冊の単著まで出しているので、その影響力から言っても、氏が高唱する誤った歴史認識を放置しておいていいわけがない。とりわけ後者はサブタイトルで「幣原喜重郎発案の証明」とまで謳っているのであるから、私は主に同書を取り上げて、それが「平野文書に基づく幣原発案説」虚妄の証明になっていることを論証したい。同書は新書ながら472頁という大部の書物であるが、実は「幣原発案説虚妄の証明」は「はじめに」を検討するだけで論証できてしまうのである。では、はじめよう(第2回に続く)。
 

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