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【幣原発案説の虚妄(第5回)】9条幣原発案説の亡霊(7年前に書いた文章)

<まえおき>
 笠原十九司氏の『憲法九条論争』批判をこの調子で続けていくと、何十回経っても連載が終わりそうにないので、同書への批判はいったんここで脇へ置き、今度は、近年の幣原発案論者のもう一人の重鎮である堀尾輝久氏の近著『地球時代の平和への思想』(本の泉社、2023年)に焦点を当てたい。堀尾氏は「平野文書」に依拠することなく、幣原発案説を主張しているという意味で、むしろ伝統的な幣原発案説の系譜に連なる人である。本書の中には、堀尾氏が『世界』2016年5月号に寄稿した論文「憲法九条と幣原喜重郎――憲法調査会会長高柳賢三・マッカーサー元帥の往復書簡を中心に」も収録されている。
 実は『世界』に前掲論文が掲載されてしばらく経った同年8月12日、東京新聞は一面トップに、「「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記」「「押しつけ憲法」否定の新史料」という大見出しの記事を載せ、3面には堀尾輝久氏のインタビュー記事も掲載した。それを見て驚愕した私は、翌日その記事を批判する文章「9条幣原発案説の亡霊」を書いて東京新聞に送った(が、梨の礫であった)。このテーマに関する当時の私の勉強には詰めが甘いところもあったため、「仮に~~が事実であったと仮定しても・・・は成り立たない」というような、やや弱腰の批判ではあったが(今日では「~~」の部分が虚偽であることは十分論証できる)、今読み返しても、間違った主張はしていないと思うので、7年前に書いた文章ではあるが、再掲してみたい。
 
(なお、このシリーズの一部を有料化させて頂いているのは、7月に刊行予定の拙著の中身と大幅に被る部分があるためです。もちろんそれ以外のものを有料化することはありません。ご寛恕頂ければ幸いです。)

 昨日(2016年8月12日)の東京新聞には驚いた。何と1面トップにでかでかと、憲法9条の発案者が幣原喜重郎であることを示す「新史料」とやらが発見されたという記事が、「「押しつけ憲法」否定の新史料」というタイトルとともに掲載されている。そして、その「新史料」とやらの「発掘者」と名乗る堀尾輝久・東大名誉教授(教育学者)のインタビュー記事が3面に掲載されている。実は、堀尾氏がそのような説を『世界』の5月号でも主張しているらしいということは、耳にしていたが、『世界』の論説は読んでなかったのであるが、今朝の東京新聞を読んで、その主張のあまりの杜撰さに呆れてしまった。

 記事によると、堀尾氏が、9条の発案者が幣原喜重郎であることを示す新史料として挙げているのは、憲法制定過程を調査するため、1958年に訪米した高柳賢三・憲法調査会会長が同年2月10日付でマッカーサーに宛てた書簡に対する、同15日付のマッカーサーからの返信だという。高柳はマッカーサーに、「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と質問したのに対して、マッカーサーは、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と返信したというのである。そして、記事によると、堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」とまで話したそうだが、驚くほかはない。

 実はこの記事でも、ごく簡単にのみ触れられているが、もう少し詳しく述べると、マッカーサーは、GHQ最高司令官を解任されて帰米して間もない1951年5月5日、米上院・軍事外交合同委員会の聴聞会で、「9条の発案者は幣原だ」と証言しているのだから、今回発見されたという書簡は、単に7年前の主張を改めて述べたにすぎず、「新史料」と呼ぶだけの価値はない。堀尾氏は、「書簡発見の意義は」という質問に対して、「マッカーサーは同じような証言を米上院や回想録でもしているが、質問に文書で明確に回答したこの書簡は、重みがある」とも述べているが、「文書」ということなら、マッカーサー自身が執筆した『回想記』(1964年)の中でも同様の主張をしていることは広く知られた事実であるから、この点においても、何の新味もない。幣原発案説に否定的な研究者は、マッカーサーや、幣原自身も(自伝『外交五十年』の中で)幣原発案説を唱えているという事実を踏まえたうえで、その主張自体の怪しさを他の客観的な証拠史料に基づき主張しているのであるから、問題は、このような幣原発案説の真偽を客観的な証拠に基づき検討することでなければならないはずである。にも拘わらず、堀尾氏は、これまでの9条発案者をめぐる研究蓄積を知ってか知らずか、「マッカーサーが幣原が発案していると言っているのだから、幣原が発案したことに間違いない」という、無内容な主張をしているにすぎないのである。

 しかし、以上のような疑問はいったん脇に置いて、今仮に、このマッカーサー書簡で述べられていることが事実だったと仮定してみよう。つまり、幣原が1946年1月24日、マッカーサーと会談した際に、9条の原案をマッカーサーに提案したと仮定するのである。すると、直ちに大きな疑問が浮かび上がる。幣原がそのような考えを抱いていたとするならば、彼はなぜ、そのような憲法案を、明治憲法改正案を起草させるために自らが設置した憲法問題調査委員会(松本委員会)のメンバーに対して提案するのではなく、マッカーサーに対して述べたのか、という疑問である。憲法問題調査委員会はその前年の1945年10月25日に設置され、12月8日には委員長の松本烝治が衆院予算委で、「天皇が統治権の総覧者であること」、「議会の権限強化」、「国務大臣の責任強化」、「人民の権利の保護の強化」という「憲法改正4原則」を表明しているが、言うまでもなく、このどこにも戦争放棄や戦力不保持といった9条の基になるような提案はない。そして、幣原がマッカーサーと46年1月24日に会談して以後、毎日新聞が憲法問題調査委員会の試案をスクープするのは2月1日であり、それを受けてマッカーサーが民政局に憲法改正案の作成を指示するのが2月3日、GHQが日本政府代表にGHQ草案を手交するのは2月13日のことである。この間、幣原から9条の基になるような提案を聞いたという日本人の証言はない。

 仮に幣原が戦争放棄と戦力不保持という原理(以下、「9条原理」と呼ぶことにする)を新憲法(もしくは改正憲法)に入れるという考えを持っていたとしたならば、その考えを自ら設置した憲法問題調査委員会には伝えないで、マッカーサーにのみ伝えたというのは、どう考えても疑問である。自分がその考えをマッカーサーに伝え、マッカーサーが賛成してくれるならば、GHQが9条原理を含む憲法草案を自ら作成したうえで、日本政府の改正案を拒否して、自ら作成した憲法草案を日本政府に押し付けてくれるだろうと予想していたのだろうか? 予言者ではない幣原には、そのような予想を立てることは不可能だろう。しかし、ここにひとつだけ、上記の疑問を解消しうる解釈が存在する。それは、幣原が9条原理を新憲法に入れるような大胆な提案は、憲法問題調査委員会には決して受け入れられないだろうと考えたうえで、それならマッカーサーの同意を得た上で、マッカーサーに頼んで、GHQから9条原理を含む憲法草案を日本政府に対して押し付けてもらおうと考え、それを実行した、というものである。これはまさに、平野三郎が憲法調査局に提出した文書「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(鉄筆編『日本国憲法 9条に込められた魂』鉄筆文庫所収)(以下「平野文書」と記す)の中で、幣原自身が語ったと述べている事柄である。この平野文書の中身については、私は平野自身の創作であると確信しており、その理由については、すでに別の論考(「護憲派のガセ本」)において詳述したので、ここでは繰り返さない。ただ一点だけ、そこでは触れなかったもう一つの疑問点を述べておきたい。それは、仮に、マッカーサーが9条原理を憲法に入れたいという幣原の提案に賛同したと仮定した場合に生じる疑問である。その場合、普通に考えれば、マッカーサーは幣原に対し、「それならば、今まさに明治憲法改正案を作成中の松本委員会に、9条原理を入れるよう、自分で提案してはどうか」と言うのが自然ではないだろうか。仮にここで幣原が、「いや、あの連中は頭が固くて、とても9条原理など受け入れる見込みがないので、どうかGHQの方で憲法草案を作って下さい」と頼んだとしても、だからと言って、マッカーサーが、「わかった。それならいっそのこと憲法全文の草案を我が方で作成してあなた方の政府に押し付けてあげましょう」などというだろうか? GHQが憲法草案を作って日本政府に押し付けるなどという決断は、そうしなければ、昭和天皇不起訴・天皇制維持という占領政策の基本方針が崩れてしまう危険性があるというマッカーサーの主体的な判断抜きでなしうるものではなく、幣原に頼まれたからといって、おいそれとできるようなものではあり得ないだろう。

 しかし、ここではあえて、平野文書が事実であると仮定してみよう。そうすると、果たして一部の「護憲派」が主張しているごとく、「押しつけ憲法論」は否定されるのであろうか? 残念ながら、決してそうはならない。「押しつけ憲法」論者が主張していることは、現憲法はGHQが短期間で作成した草案を日本政府に押し付け、(帝国議会で部分修正されたとはいえ)それを基に現憲法が制定されたという事実であって、9条の発案者が誰かということではない。そして、その事実は、平野文書が真実であったとしても、少しも変わることはなく、ただ、押し付けの原因に幣原の教唆ないし依頼があったということだけである。「押しつけ憲法論」の基本的主張は少しも揺るがず、そこに、幣原はGHQに「押しつけ」を頼んだ“売国奴”である、という主張が加わるだけであろう。

 さらに根本的な問題点は、「押しつけ」か否かという問題を、9条の発案者は誰かという全く別の問題にすり替えたうえで、さらにその発案者が「日本人かアメリカ人(GHQ)か」という問題に矮小化し、発案者が日本人(幣原喜重郎)であったと主張することによって、民族主義的自尊心を満足させて「押しつけ憲法論」を否定したつもりになって自己満足に浸るという心的態度にこそ求められるべきであろう。

【念のための注記】
 7年前に私が書いた文章、とりわけその末尾の「仮に平野文書が事実であったとしても、それによって「押しつけ憲法」論を否定したことにはならない」という個所を読んで、私が「押しつけ憲法」論を採っているかの如く誤解した人も、ひょっとしているかもしれないが、決してそうではない。私が言いたかったのは、幣原発案説を唱える人が、そのことによってあたかも「押しつけ憲法」論を否定できるかのように考えているのは間違いだ、ということにすぎない。私の立場は(当時も今も)、憲法が押しつけであるか否かは9条の発案者が誰であるかとは全く別次元の問題であり、日本国民は9条を主体的に制定したとは決して言えないが、嫌なものを無理やり押しつけられて迷惑しているというような「押しつけ」論も成り立たない、いわば与えられたものを非主体的に受け取った、という立場である。

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