【幣原発案説の虚妄(第16回)】幣原「芝居」説の虚妄(2)

 笠原氏は『憲法九条論争』第8章第1節で、入江俊郎の「日本国憲法制定の経緯」から、座談会における以下の入江の発言を引用している。

 戦争放棄の条項は誰が発案者かということが最近問題になっておりまして、特にあれはマッカーサーが(昭和)26年の5月5日に上院で証言をしたとき以来、日本では問題になったと思うのです。それまでは大体日本では、あの条項もマッカーサーの初めからの発案であると思っておったのですけれども、あれによって、あるいはそうでなく、幣原さんの発案なのかというような疑問を持つに至ったわけなんです。そこで私はあの当時『時の法令』の51号、すなわち昭和27年の3月3日の号に、短文を書きました。それは、幣原さんの思い出を書いたのですが、その中に、あの条項は結局幣原さんがマッカーサーと懇談をしているうちに、幣原さんからのあの思想を強く言い出して、これに対してマッカーサーが、またこれも彼の多年抱懐する思想であるということで、大いに共鳴して、そこでマッカーサーは、日本の憲法の草案にこれを入れるということを決意し、司令部側の案に入っておったのではないか。すなわち実質的の発案者は幣原さんなので、マッカーサーはいずれかといえば形式的(……)に発案者になったのではないかという見方を書いたわけです。(以下略)

 入江はここで、(幣原死去後の)1951年5月の米上院におけるマッカーサー証言を聞いて初めて、9条は、あるいは「幣原さんの発案なのかというような疑問を持つに至ったわけなんです」と述べている。この文章の主題は「大体日本では」となっているが、その中に入江自身も含まれていると見て間違いないだろう。幣原の存命中に彼が「芝居をしている」などとは思いもよらなかったことであろう。マッカーサーの証言を聞いて、それなら幣原が「実質的発案者」なのかもしれないと思った、というのである。笠原氏は、「以上にみた入江俊郎の憲法9条幣原発案説は、法制局次長の立場からの証言であり、(……)幣原の発案であることをさらに決定づける証言記録である」と述べているが、「法制局次長」という立場は何らその考えの正しさを「決定づける」証拠とは言えない。さらに、(笠原氏は引用していないが)この発言の少し後で、憲法学者の宮沢俊義が、幣原は憲法条文化まで提案したわけではないでしょうと突っ込むと、途端に入江の発言はぐらつきだすのである。その部分を引用してみよう。

宮沢 今のようなお話だと、考えられる可能性というのは、幣原さんがそういう持論を述べた、マッカーサーがそれに賛成した、それでそのときマッカーサーのノートにそれを書き入れた。それで、その条項の入った案がこっちへ来たと一応考えらえるけれども、そうすると、マッカーサーのあの証言の中で、幣原さんが、これこれを憲法に入れることにしたと言って来たと書いてあるでしょう。(……)それはあなたが賛成されるとは思わないけれどもぜひ入れたいと思って来たということは、若干修飾があるわけですね。

入江 だからマッカーサーも何年か経っていますので、やはり幾分その辺の記憶がはっきりしない。おまけにあの証言によれば幣原さんは「現在われわれがドラフティングしつつある憲法に、こういう条項を入れたい」といったように書いてあるでしょう。1月の中ごろだと、憲法問題調査委員会ではやっておったことはやっておりましたが、幣原さんが、その委員会で立案中の案を頭において、右のような言葉を使ったかどうか、疑問なんですね。

(中略)

入江 マッカーサーの改正案は2月13日に示されたでしょう。そうすると、日本政府は驚倒し、その案を全体的にどうしようか、こうしようかと議論して、結局とてもこれではしようがないというので、幣原さんが2月21日にマッカーサーに会いに行ったら、そこで、いろいろ言われたんでしょう。(……)9条についても閣議で論じられたことはありましたが、1条と9条とは、絶対に手をふれてはいけないといわれたので、よしあしを論議するひまもないというのが実状でした。だから幣原さんが腹の中であれはいいと思っても、とにかく当時としては(……)第9条について、特に幣原さん自身の意見を申し出るいとまも余地もなかったんですな。しかし、あの案が確定してからは、かなり熱意をもって幣原さんは9条を支持しているんですよ。

 なんのことはない。憲法条文化をしたのはマッカーサーであって、幣原がそこまで提案わけではないことを、入江も認めているのである。日本政府がGHQ草案を手交された後初めて開かれた閣議では議論がまとまらないので、幣原がマッカーサーに会いに行った2月21日、「そこで、いろいろ言われ」、「1条と9条とは、絶対に手をふれてはいけないといわれ」、幣原は「自身の意見を申し出るいとまも余地もなかった」のである。このような入江の発言をもって、幣原発案説を「決定づける証言」などと評せないことは明らかであろう(第17回に続く)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?