People believe nothing but what they want to believe, right or wrong.

 (正邪を問わず、人は己が信じたいものだけを信じる)
 
 まあ、こんな諺があってもおかしくはないだろう。人間には自分の意見を裏付ける情報やデータばかりを求めてしまう傾向があり、心理学の世界では、このことは「確証バイアス」という言葉でよく知られている。人には、自分の気に入らない意見には耳を貸さず、都合の良いことばかり受け入れる傾向がある、ということだ。身近なところでは、自分の見解を支持する記事は注意深く読むが、別の考え方を示すリンクはクリックもしない、ということであり、これは私自身にも大いに当てはまることなので、自分が「確証バイアス」に陥っていないかどうか、常に自戒しなければならないと思っている。
 
 しかし、驚くべきは、自分の信念に反する事実や証拠を突きつけられても、それを平然と無視する人が少なくないことである。認知神経学者のターリ・シャーロットによれば、事実や論理は人の意見を変える最強のツールではない、ということだ(『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』)。彼女によれば、分析能力の高い人の方が、そうでない人よりも情報を積極的に歪めやすく、認知能力が優れている人ほど、情報を合理化して都合の良いように解釈する能力も高くなり、ひいては自分の意見に合わせて巧みにデータを歪めてしまう、というのだから、始末が悪い。何かを正しいと信じる強い動機の前では、決定的な反対証拠さえ役に立たない、ということだ。
 
 実は私自身、こういう事例に直面して、唖然としたことがある。2016年のことである。この年の3月、鉄筆編『日本国憲法 9条に込められた魂』(鉄筆文庫)という本が出版された。奥付を見ると、「2016年3月18日 初版第一刷発行」となっており、その前日、3月17日の新聞の広告欄でこの本のことを知った私はすぐさまアマゾンで注文し、その日のうちに読了した。といっても、この本の中身は実質、「平野文書」だけであり、それ以外は憲法と年表、ポツダム宣言、非核三原則、武器輸出三原則などの資料集にすぎない。「平野文書」とは、1949年から51年にかけて、当時衆議院議長であった幣原喜重郎の秘書のようなこと(正式な秘書ではない)をしていた平野三郎(当時は衆議院議員)が、1964年に憲法調査会事務局に提出した、「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」と題する文書のことで、憲法9条は、幣原が1946年1月にマッカーサーと会談した際、マッカーサーに憲法条文として押し付けてくれるよう依頼した結果実現したという、極めて特異な「憲法9条幣原発案説」を唱えたものである。
 
 一読して私は、これが虚偽文書であると確信したが、それはかつて私が、憲法制定史研究の第一人者である古関彰一氏の『日本国憲法の誕生』を一日ごとの年表(日表?)を作りながら熟読していたおかげである。改めて同書および日本国憲法制定に関連する文書を再読し、やはり「平野文書」が虚偽であると再確信した私は、「護憲派のガセ本」というA4で8枚ほどにまとめた文章を書いたが、当時はブログもやっていない時期で、発表する場もなかったので、メールに添付したり、プリントアウトした文章を数人の知人に配った程度であった。その一人は元高校教師で社会科を教えていた人だったが、私の文章を読んで、「実に論理的で説得力がある。素晴らしい」と褒めてくれた。ところが、それから数カ月経ったある日、その人が「平野文書」に基づく9条幣原発案説を主張していることを知った。驚いた私は、その人に何か私の意見を覆すような証拠でもあるのかと詰め寄ったが、それは何もないことがわかった。
 
 結局、その人は幣原発案説を信じたかっただけなのである。その強い願望の前では、私の示した証拠や論理は何の力も持ちえなかった、ということなのだろう。その人はその後、憲法擁護の本を出版したが、その冒頭と最終章において、1946年8月27日の貴族院本会議における幣原喜重郎の演説を引用し、憲法9条が幣原の精神であると強調しているのである。
 
 しかし、私がさらに驚いたのは、その後、「平野文書」をそのまま信じて「幣原発案説」を唱える学者やメディアが次々に現れたことである。東京新聞や週刊金曜日には何度も間違いを指摘する投書をしたが、すべて無視された。ついには、「平野文書」を決定的に重要な第一級の史料とまで持ち上げ、それに全面的に依拠して「幣原喜重郎発案の証明」なるサブタイトルを持つ本まで出版された。
 
 このnoteでは、「平野文書」がいかに虚偽に満ちた文書であるか、それにまんまと騙されて9条幣原発案説を唱えている人がどれほど悲しい謬説を唱えているか、今後、【幣原発案説の虚妄】と題してシリーズ化していきたい。もっともいかな事実と論理も、幣原発案説を信じたい人の前では無力だろうが(笑)。

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