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歴史修正主義の30年⑧朝日新聞バッシング

 朝日新聞は2014年8月5日と6日の2日間にわたり、「慰安婦問題を考える(上・下)」という検証記事を掲載し、その中で吉田証言を「虚偽だと判断」し、関連記事を取り消した。すると、それを待っていたかのように、右翼系の新聞や雑誌は一斉に狂ったような朝日バッシングを繰り広げ、「国賊」「売国」「亡国」「反日」といった言葉が飛び交い、戦中もかくやと思わせるような異様な言論風景が展開された。新聞広告に踊った雑誌の見出しのごく一部を挙げると、「『国賊メディア』朝日新聞への弔辞」(『アサヒ芸能』8月28日号)、「朝日新聞炎上」「廃刊せよ!消えぬ反日報道の大罪」(『正論』10月号)、「朝日新聞『売国のDNA』」(『週刊文春』9月4日号)、「朝日新聞の断末魔」(『週刊文春』9月11日号)、「朝日が支えた「河野談話」を潰せ」(『週刊新潮』9月11日号)、「世界に広まった「従軍慰安婦」大誤報。失われた国益を取り戻すために」(『文藝春秋』10月号)、「朝日新聞が死んだ日」(『週刊文春』9月18日号)…といった具合である。しかもこの後、「吉田証言」取り消しの際に謝罪の言葉がなかったことを批判した池上彰のコラムの掲載を朝日新聞が拒否するなど、朝日新聞上層部のあまりにもお粗末な対応が重なり、ついに9月11日には、朝日新聞の木村伊量社長が謝罪会見を行うという事態にまで追い込まれたのである。
これを機に、右翼メディアの朝日叩きが一層ヒートアップしただけでなく、安倍首相は木村社長の謝罪会見当日のラジオ番組で、「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言っていい」と発言し、10月3日には衆院予算委で、「国ぐるみで(女性らを)性奴隷にしたとの言われなき中傷が世界で行われている」と発言するなど、あたかも慰安婦問題自体が朝日新聞のでっち上げた虚構であったかのような発言を続けたのである。飯田哲也は、「安倍政権と右派メディアの見事なまでの一連の連係プレーを見るかぎり、双方に何らかの思惑とシナリオがあったと考える方が自然だろう」(「ネトウヨ政治が生んだ21世紀の「マッカーシズム」鎌田慧ほか編『いいがかり』七つ森書館)と述べているが、全く同感である。朝日の検証記事自体は、吉田証言を「虚偽」と断定したこと以外は、特に間違ったことを書いているわけではない。しかし、朝日新聞が「吉田証言」を取り消せばそれを機に総攻撃を仕掛けようと、安倍政権と右翼メディアが手ぐすね引いているところに、「飛んで火にいる夏の虫」よろしく、まんまと飛び込んでいったのはなぜだったのか。

 第2次安倍政権の成立以降、安倍首相がマスコミ幹部とたびたび会食を繰り返していたことは周知の事実であり、朝日の木村社長も何度も安倍と会食をしていたので、安倍が木村に「朝日は吉田証言を取り消さないのか」と圧力をかけていたであろうことは容易に想像がつく。元朝日新聞記者の鮫島浩によれば、2012年に社長に就任した木村は、慰安婦問題へのこだわり(嫌悪感)の強い安倍政権と接触し、「吉田証言」に関する記事取り消しの根回しを進めていたということである。木村の思惑としては、これで慰安婦問題にケリをつけるつもりでいたのだろうが、「吉田証言」の取り消しを契機に朝日新聞に総攻撃を仕掛け、慰安婦問題自体の抹殺を狙っていた安倍政権と右翼メディアの仕掛けた罠にまんまと嵌ってしまったのである。安倍政権と右翼メディアが一体となって繰り広げた朝日新聞バッシングの結果、あたかも慰安婦問題全体が誤報であったかのような印象が生み出された。

 ここで重大な問題は、国民の多くが右派の主張をそのまま信じてしまったか否かではない。数カ月にわたって政治家と右翼メディアが一体となった「慰安婦報道」批判キャンペーンが繰り広げられたことによって、もともと「慰安婦」問題にさほど関心のなかった層のなかには、なんとなくこれまでの「慰安婦」報道全体が間違っていたかのようなイメージが広がり、何が真実なのかわからなくなってしまった人が多いのではないだろうか。だとすれば、歴史修正主義者のキャンペーンは大成功だったことになる。『歴史修正主義』の著者・武井彩佳は、「否定論の目的は絶対的な信者を獲得することではない。むしろ、史実に対して認識の揺らぎを呼び覚ますことである。……事実ではないかもしれないと人が疑念を抱いた時点で、目標は達成される。それは歴史の不安定化につながる」と喝破している。
 

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