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歴史修正主義の30年⑤拉致問題ヒステリー

 このように自民党極右グループの中では特異な存在感を示していた安倍晋三であったが、彼を一挙に有力政治家へと押し上げるきっかけとなったのは、2002年の小泉訪朝によって明らかとなった拉致問題だった。この年9月17日、小泉首相が訪朝し、金正日国防委員長との間で史上初の日朝首脳会談を行い、日朝平壌宣言に署名した。平壌宣言は第一項で、両国が国交正常化に向けて取り組むこと、第二項で、日本が過去の植民地支配に対する「痛切な反省とお詫びの気持ちを表明」し、日本側が経済協力を実施すること、第三項で、北朝鮮側が「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」(拉致問題)について再発防止措置をとること、第四項で、北東アジアの平和と安全を強化するため互いに協力することを確認し、北朝鮮はミサイル発射のモラトリアムを翌年以降も延長する意向を表明した。この宣言は、日本が35年にわたる植民地支配を行いながら、戦後いかなる補償も行っていないばかりか、日本が国交を持たない唯一の国という不正常な関係に終止符を打つための第一歩となるはずのものであった。賠償の代わりに経済協力で済まそうとする点では、日韓基本条約と同様の問題を抱えているとはいえ、国交正常化に向けた糸口を作り出した点では重要な成果となるはずだった。2001年9月から約30回の秘密交渉を積み上げ、平壌宣言の署名に至った過程は、日本外交には珍しい成功事例だったと言えよう。

 この会談で、北朝鮮は13人の日本人を拉致したことを認めて謝罪し、そのうち5人は生存、8人は死亡したと発表した。死亡とされた拉致被害者のご家族には誠にお気の毒ではあるが、北朝鮮が初めて拉致の事実を認め、生存者に関する情報を出してきたことは、拉致問題の解決に向けても第一歩となるはずであった。ところが、この直後、日本社会に信じられない逆流が生じ、日朝関係は一転して最悪の状態に至る。

 9月19日、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)が北朝鮮の提出した安否情報は「全く根拠がない」「死亡とされた8人は生きている可能性が高い」という根拠のない声明を発表すると、大手メディアもそれをそのまま報道し、週刊誌は一斉に小泉訪朝と北朝鮮を非難するキャンペーンを始めた。「愚かなり小泉訪朝」(『週刊文春』9月19日号)、「小泉、平壌に死す」(『週刊現代』9月21日号)、「笑顔の金正日に騙されるな」(『週刊文春』9月26日号)などといった煽情的な見出しが躍った。「救う会」の佐藤勝巳会長は国会での証言や講演会などで、金正日政権は「話し合いの対象ではなく、あらゆる方法で倒さなければならない」と主張して回ったが、救う会の佐藤会長、西岡力副会長、荒木和博事務局長は、90年代から日朝国交正常化に反対し続けた「現代コリア」グループ(それぞれ現代コリア研究所の所長、編集長、研究部長)であった。このように北朝鮮との外交を否定し、金正日体制の打倒を目標に掲げる「救う会」が「家族会」の後ろ盾となり、「拉致議連」と一体となって強硬路線を主張し、それをメディアが拡散した結果、日本中が北朝鮮バッシング一色となった。小泉首相は「拉致問題の解決なしに日朝間の国交正常化はありえない」と発言するまでに追い込まれ、口先で強硬論を唱えるだけの安倍官房副長官がメディアに持ち上げられた結果、平壌宣言で合意された国交交渉は棚上げされ、日本の植民地支配に対する反省や経済協力の約束は忘却されてしまった。拉致問題では、生存者5人とその家族が帰国した以外は全く進展がなく、「拉致問題の解決を内閣の最重要課題」と位置づける安倍政権の8年9カ月においても何の進展も見られなかったことを周知の通りである。拉致問題がいかに非道な北朝鮮の国家犯罪であったとはいえ、それとは比較にならない規模で、朝鮮人強制連行や慰安婦問題を引き起こした自国の国家犯罪を完全に没却して、あまりにも一方的で常軌を逸した北朝鮮バッシングを繰り返した日本のメディアは、日本人の歪んだ歴史認識を反映したものであったと同時に、その歪みをさらに助長した。

 いずれにせよ、この事件がなければ、2003年に安倍晋三が自民党幹事長に取り立てられることもなく、閣僚経験すらない安倍が小泉の後継者として2006年に首相になることもなかったであろう。そして、2002年に起きたこの集団ヒステリーとも言うべき異常な北朝鮮バッシングは、安倍極右政権を誕生させただけでなく、日本が過去に行った植民地支配とその下での朝鮮人強制連行などの加害責任を忘却させ、歴史修正主義と排外主義をさらに蔓延させる要因ともなった。

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