見出し画像

【幣原発案説の虚妄(第14回)】1946年3月5日の幣原発言

 憲法9条幣原発案説には、同説の主唱者たちが触れたがらない、都合の悪い証言がいくつもある。日本政府がGHQ草案に基く「憲法改正草案要綱」を発表したのは1946年3月6日であるが、その前日の夜9時過ぎ、長い閣議が終わった直後の様子を芦田均厚生大臣(当時)が次のように日記に記している。

米国案のPreamble〔前文〕は今一応安倍文相の手で修辞を改めることとし、第3章は法制局の再検討を期待して午後9時15分閣議を終った。閣議終了の直前に総理は次の意味を述べられた。
 「斯る憲法草案を受諾することは極めて重大の責任であり、恐らく子々孫々に至る迄の責任である。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、又一部の者は沈黙を守るであろうけれども心中深く吾々の態度に対して憤激するに違いない。然し今日の場合、大局の上からこの外に行くべき途はない」。
 此言葉を聞いて私は涙ぐんだ。胸一杯の気持で急いで外套を引被って官邸を出た。

(『芦田均日記 第1巻』90-91頁)

 幣原はこれに先立つ同年2月21日、憲法改正に関するGHQ側の意向を確認するためマッカーサーを訪問し、そこでマッカーサーから天皇制存続のためには象徴天皇制と戦争放棄に関する条項は不可避だと説得されて一旦は納得したものの、いざ憲法改正案を確定する段階で、このような発言を行っているのである。もし幣原が戦争放棄条項の提案者であったならば決して出てくるはずのない発言であろう。幣原が憲法改正草案に必ずしも納得していなかったことは、幣原の釜山領事館勤務時代(1901~03年)から親交のあった紫垣隆が『憲法研究』第4号(1965年)に寄せた「幣原元首相は売国奴の非ず」の中の次の一節からも窺える。

この趣旨構想(引用者注:宮崎民蔵・滔天兄弟の追悼祭の構想)を述べて、賛同助力を求めた時、幣原氏は、「貴君の心事はよく解る。宮崎兄弟は友人でもあったし趣旨には大賛成である。しかし、今はその時期でない。占領軍よりいかなる誤解を受けるやも測り難い危険がある。今度の憲法改正も、陛下の詔勅にある如く、耐え難きを耐え、忍ぶべからざるを忍び、他日の再起を期して屈辱に甘んずるわけだ。これこそ敗者の悲しみというものだ」(傍点は原文)
としみじみと語り(以下略)

紫垣が幣原からこの話を聞いたのは1946年の初めとあるが、実際の状況から推測すれば、憲法改正草案要綱が公表された同年3月6日以降のことだろう。ところで、紫垣がこの文章を書いた動機が面白い。1964年1月22日のRKKテレビ(熊本)で、「憲法草案はマッカーサー司令部の押しつけでも、強要でもなく、幣原首相独自の考案起草に基く」という「憲法制定の真相」を平野三郎が「初めて世界に公開した」と報道したのを見て、「幣原氏とは辱知の間柄であり、その人格識見に敬意を払っていた老生として、故人の名誉を傷つくるも甚だしきものと直感」し、非常な驚きと憤りを覚えたのがきっかけである。紫垣は平野のことを「故幣原喜重郎氏の秘書であったと嘘をつく平野三郎なる男」と表現し、その「証言」を暴露趣味的売名行為と呼んでいるが、幣原の元秘書官であった岸倉松も「平野なる秘書は存在しないと証言」している。紫垣は先に引用した幣原との会話を紹介した後、「もし幣原氏が占領下の憲法改正に、平野某が言う如く、自発的に情熱を傾け、「象徴天皇」や「戦争放棄」を進んで創案したものであるとすれば、このような悲哀の言を吐くわけもな」いと指摘しているが、もっともであろう。ただし、幣原は46年3月20日、枢密院において、次のような発言を行っているところから見れば、「象徴天皇」については、ある程度納得していたように思われ、冒頭に掲げた引用文は主に「戦争・戦力放棄」条項を念頭においてのものだったように思われる。

極東委員会(…)の第1回会議は2月26日ワシントンに開催され其の際日本憲法改正問題に関する論議があり、日本皇室を護持せんとするマ司令官の方針に対し容喙の形勢が見えたのではないかと想像せらる。マ司令官は之に先んじて既成の事実を作り上げんが為に急に憲法草案の発表を急ぐことになったものの如く、マ司令官は極めて秘密裡に此の草案の取り纏めが進行し全く外部に洩れることなく成案を発表し得るに至ったことを非常に喜んで居る旨を聞いた。此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあったように思われ危機一髪とも云うべきものであったと思うのである。

 もっとも、冒頭に掲げた引用文に見られる幣原の言動は、本心を隠すための幣原の「芝居」だったという説が幣原発案論者から唱えられることがある。ところが、これが幣原の「芝居」であったことを示す証拠は(当然のことながら)どこにも存在しない。それがあたかも存在しているかのように言う笠原氏の主張がいかに誤りであるか、次回(以降)で検証する(第15回へ続く)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?