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【幣原発案説の虚妄(第2回)】『憲法九条論争』「はじめに」第1の引用文

 笠原十九司氏の『憲法九条論争』(平凡社)には多くの史料が引用されているが、それは同氏が「史料をして語らしめる」という史料中心主義をとっているからだという(同書442頁。以下、同書から引用は頁数のみ示す)。私も氏の用いる史料を精査することによって「幣原発案説の虚妄」が証明されると思うので、煩雑をいとわず、再引用させて頂くことをお断りしておきた。
 
 笠原氏は「はじめに」において、憲法9条は幣原喜重郎が発案し、マッカーサーが同意し、昭和天皇(以下、天皇)が承認を与えたので、この3人が「当事者」であると主張する。そして、天皇が3人の当事者の一人であることを証明するため、と称して、天皇とマッカーサーの第3回会見(46年10月16日)での2人のやりとりを引用している(14-15頁)。同書における最初の引用文であるが、その一部を再引用してみよう。

陛下 (……)この憲法成立に際し貴将軍に於て一方ならぬ御指導を与えられた事に感謝いたします。
元帥 陛下の御蔭にて憲法は出来上ったのであります。(……)
陛下 戦争放棄の大理想を掲げた新憲法に日本は何処までも忠実でありましょう。世界の国際情勢を注視しますと、この理想よりは未だに遠い様であります。その国際情勢の下に、戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらさせる事のない様な世界の到来を、一日も早く見られる様に念願せずに居れません。
元帥 (……)戦争は最早不可能であります。戦争を無くすには、戦争を放棄する以外には方法はありませぬ。それを日本が実行されました。

 以上の会見から、笠原氏は、「昭和天皇にとっては、改憲論者が主張するような、憲法九条ならびに日本国憲法はマッカーサーとGHQ(……)からの「押しつけ論」とは無縁であったことが理解されよう」と述べたうえで、この会見を紹介したのは、「天皇が大日本帝国憲法改正の経緯に深く関与しており、(……)「三人の当事者」の一人であったことを証明するためであった」と述べている。
 
 この会話から、天皇が9条に承認を与えた「当事者」であったことが証明されたと考えるのは、笠原氏一人であろう。どこをどう解釈すれば、天皇が9条に「承認」を与えた当事者であると証明されたと考えることができるのか、筆者には全く理解不能である。また、笠原氏はこの会話を、天皇が9条を歓迎しているからGHQによる「押しつけ論」を否定できる根拠と考えたようであるが、二重の意味で誤りである。第一に、この会話を天皇が9条を歓迎している証拠と解することはできない。むしろ、「戦争放棄を実行決意する日本が危険にさらさせる事にない様」という言葉から窺えるように、天皇の本音は軍備撤廃による不安にこそあった。その証拠に、天皇は、憲法施行3日後の47年5月6日に行われたマッカーサーとの第4回会見においても、米軍による日本の安全保障の確保を要請しているのである。さらにその4か月後、講和条約締結後に米軍が撤退して日本が非武装になることを強く恐れていた天皇は、芦田外相を通じて、一時帰米するロバート・アイケルバーガー第8軍司令官に、米軍に軍事基地を提供する代わりに日本の安全保障を米国に依頼したい旨の書面をワシントンに伝えているのである。当時、講和後の米軍駐留に反対していたマッカーサーの目を盗むために、あえてアイケルバーガーを通じて米本国に米軍駐留の希望を伝えているのである。新憲法で一切の政治的権能を失ったことなど何一つ意に介せず、日本統治の最高責任者であったマッカーサーをバイパスしてまで自らの政治的影響力を行使しようとしたのである。天皇が安全保障や憲法についてどう考えていたのかがよくわかる行動である。
 
 第3回会見で天皇がマッカーサーに謝意を表したのは、憲法成立に果たした役割に対してであり、それによって自らの地位が安泰となったことに感謝したのである。実際、GHQが日本政府にGHQ草案を受け入れるよう説得した際、ホイットニーは、「最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力、この圧力は次第に強くなりつつありますが、このような圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持しています。……しかしみなさん、最高司令官といえども、万能ではありません。けれども最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇は安泰になると考えています」と述べ、いわば天皇制護持を、草案を受け入れさせるための切り札とした使ったのである。幣原も3月20日に枢密院で行った報告において、「(極東委員会)の第1回会議は2月26日ワシントンに開催され其の際日本憲法改正問題に関する論議があり、日本皇室を護持せんとするマ司令官の方針に対し容喙の形勢が見えたのではないかと想像せらる。マ司令官は之に先んじて既成の事実を作り上げんが為に急に憲法草案の発表を急ぐことになったものの如く、(……)秘密裡に此の草案の取り纏めが進行し全く外部に洩れることなく成案を発表し得るに至ったことを非常に喜んで居る旨を聞いた。此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあったように思われ危機一髪とも云うべきものであったと思う」と述べ、憲法改正が皇室安泰のために不可欠であったとの認識を示している。天皇もこうした情勢は聞いていたはずであり、皇室と自身の安泰のためにマッカーサーが果たした役割に感謝するのは当然すぎるほど当然であっただろう。
 
 第二に、笠原氏は「押しつけ」の意味を誤解しているようである。憲法が「押しつけ」であるか否かは、日本国民が押しつけられたか否かが問題なのであって、天皇が「押しつけ」と感じたか否かは問題ではない。憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣(……)その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ」と規定しており、天皇は「その他の公務員」と並んで、この憲法を尊重擁護する義務を負う存在、すなわち、憲法を押しつけられる側の人間なのである。もちろん、GHQが押しつけたのか、国民が押しつけたのかというのは大きな論点ではあるが、天皇が押しつけられたか否かは、「押しつけ論」にとってはどうでもいいことである。その意味では、当時の日本政府が「押しつけ」られたか否かも本質的にはどうでもいい問題である。「押しつけられた」と感じた者(例えば松本烝治)もいたであろうし、自らの保身のために計算ずくで受け入れた者(例えば芦田均)もいたであろう。それは受け止め方の相違であるが、権力者がどう感じたかは「押しつけ」か否かにとってはどうでもいい問題なのである。問題は、日本国民が「押しつけ」られたか否かである。この点では、嫌なものを無理やり押しつけられたという解釈は成り立たない。もしそうであれば、日本が独立を回復してから70年以上にわたって、一度も憲法が改正されなかったという事実が、多くの日本国民が改正を必要と感じてこなかったことの証左だからである。その一方で、憲法が前文で謳っているように、日本国民自身が自ら主体的に憲法を制定したとも言えない。真相は、押しつけと主体的制定者の中間、いわば非主体的に与えられたものを受け取った、というところであろう。
 
 いずれにせよ、この第1の引用文で重要なことは、ここから天皇が9条に承認を与えた「当事者」であったことが証明されたという笠原氏の主張は到底成り立たない、ということである。(第3回に続く)

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