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長田区でのこと

 ビルが横たわっている。
 
 鹿児島から神戸市長田区の系列病院の応援で派遣されていた。応援は全国から来ており一番乗りは沖縄からで震災翌日の18日には出発。遅れて1週間位後に鹿児島からも出発。志願者が多く、自分の出番は3月下旬となった。
 
 先発組の話では長田区の病院は「地獄絵」の惨状で、院内には亡骸が何体もそのままに残されており、敷地内のプレハブの安置場もあふれていたらしい。僕たち男性応援者の宿泊所はその安置場跡のプレハブだった。

 僕の担当業務は全国から駆けつけるボランティアの受け入れ事務局。受付してエクセルに入力。ボランティア内容を説明し本人の希望と現場の手数を考慮して行き先を決めていた。

 「洗髪隊」ははっきり覚えているが、他にもいくつかの隊に分かれていた。公園でテント避難の方も多かったので、炊き出し隊や入浴隊(自衛隊のテント風呂)病院内のこともあったかもしれない。

 ボランティアは高校生から高齢の方まで男女様々で、色々な人生を背景に「ここ」に来ていた。強烈だったのは甲子園を目指していた元ピッチャー。同じプレハブで寝起きを共にしたが、「監督すみません!監督すみません!僕が悪いんです!すみません!」と寝汗いっぱいで寝言を叫んでいた。

 2週間弱の滞在だったが、期間中に長田区のアーケードにある銭湯が震災後初めて再開された。僕たちはシャワーも無かったので駆けつけたが、浴場でシャワーの順番を待つことになった。湯船は片足を入れる隙間が無いほど、裸の男たちでぎゅうぎゅう詰めだった。子ども、高齢者、若者……震災後、初めての入浴だったのだと思う。

 1月17日。今朝、こんなことを思い出した。
 
 

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