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アーケード版ボーダーブレイクが終わる

思えば私の人生の中で1つの物事に対し10年も続けられた物事なんてあっただろうか。
新しい物好きで飽き性な私が10年 そしてこれからも付き合って行くことになるボーダーブレイクというゲームは何なのだろうか。                     
そんな事を思うことになったのは先日そのゲームが終わると公式アナウンスがあったからだ。                              

私とこのゲームとの出会いは10年以上前。社会人になり暫く 空いた時間と自分で稼いだ金の使い方が漸くわかってきた頃、ユーチューブか何かの動画サイトで見た新作ゲームのデモムービーが最初だった。
あのバーチャロンを生み出したSEGAの何年振りかになるアーケード向けのロボットゲーム?これは期待が持てる。
コンセプトはハイスピードロボットアクション? そこに映るのは当時流行っていたパソコンゲームのFPSで確立された各種兵科システム(突撃兵 衛生兵 支援兵 狙撃兵等)をロボットに転用したTPSだった。
メカデザもヒロイックだけどどこか武骨な、そしてどんなロボットにも似ていない正直カッコイイ
 そしてプレイムービーが映し出された。ふむふむアーマードコアみたいに頭部胴体腕部脚部各種武器が変更可能と・・・ 強襲兵装は・・・オーソドックスな兵科と アサルトチャージャーが中々新しい機動力を上げる装備はあまり聞いたことが無い 支援兵装・・・所謂メディックって奴だな 武器も使いにくそうで罠?そんな簡単にハマってくれる奴なんて居ないだろ レーダーは面白いな 狙撃兵装・・・そのまんまか 盾を置いて狙撃とかもう一方的じゃないか!! 最高じゃん!!!(この辺で結構ときめいてた)最後に重火兵装・・・・持ってる武器は男の子なら憧れないわけがないガトリングガン!! そして何より榴弾!? BF2だと司令官しか使えなかった榴弾を個人携行!?なにそれなにそれ!? 私の心が大きく揺さぶられた瞬間だった。
ムービーを見終わり中々面白そうなゲームが出来るんだなーそんな程度に思っていた。当時の私はそこまでゲームセンターとかに行く習慣もなく 気が向いた時にギルティーギアやクイズマジックアカデミーをしに行く位だったのでロケテや正式稼働のアナウンスがされてもわざわざ大型店や大阪まで足を運ぶことはなかった。

それから数ヶ月経った頃 私は初めてプレイすることになる、次の年の正月だった。
あの当時をよく覚えている。今もある神戸の新開地にあるラウンドワン新開地店
正月だから特に人も居なくマジックアカデミーでもしようとエスカレーターで2階だか3階に行くと誰も座っていないボーダーブレイクの筐体があった。ほーこれがボーダーブレイク カッコいいコントローラだなとコントローラを握る。とてもしっくりきた。
せっかくだからやってみるかと ゲームカードを買いコインを入れ名前を登録(昔から使っているハンドルネーム)チュートリアルをする。
んんんんんんんん!?思いのほかイメージより重い!?スピード???これがハイスピードなのか???

ムービーである程度のゲームスピードを知っていたつもりだったが実際やってみると何割も遅く感じた。
ダッシュはすぐ止まるしそこまで早いわけでもないしゲージはすぐカラになってダッシュできなくなる
全然ハイスピードじゃないじゃないか!?
でもタッチパネル操作は今までになく凄く未来的な遊びしてる!!! 
コントローラカッコいい!ほしい!!初プレイの印象がソレであった。

CPU戦をすすめどんどん慣れていくと自分の操作への不慣れと機体と装備の重量バランスの不備 初期機体故の低性能が原因だとわかった。
機体が解放され 対人戦が始まると どんどんゲームスピードが上がってくるのを感じた。
地形に合わせて移動し跳ねまわる自機、
こちらの弾を避け撃ち返して来たり照準を混乱させ視覚から切りかかってくる敵機
目まぐるしく変わる戦況に飛び交う情報 
まさしく売り文句の通りのハイスピードロボットバトルがそこにあった。 

多少慣れ全国大戦でもそこそこ動けるようになってきた頃私のボーダーブレイク人生に無くてはならないモノと出会った。
画像掲示板 「ふたばちゃんねる」のボーダーブレイクスレだった。
ふたばちゃんねる自体は前から知っていてゲームのスレやアニメのスレを時々覗いてボーダーブレイクのスレも存在は知っていた。
が、なにやら赤い牛の画像が貼られたり住人と言われるユーザーがボーダーブレイクとはあまり関係なくアバターを弄り合ったりして遊んでいるスレだった。
正直混乱したがよくよく見るとそのスレではちゃんと質問にも答えてくれるし時報と称しある時間に同時接続することによってその住人同士が全国大戦で任意マッチをして楽しんでいた。
スレで挨拶を行いテンプレートを作った。そして住人との交流が始まった。わからないことがあれば分かりやすく冗談を交え教えてくれ、
ランクが上がればお祝いをしてくれる、アバの絵を描いてくれる人も居る自分のキャラを愛し他の人のキャラを愛する人もいる1つの武器 パーツを愛用し続ける人が居る
自分のキャラを愛し他の人のキャラを愛する人がいる
色んなポリシーを持った人が居る 
いつしか私も絵を描くようになり色んな人のアバ画像を自分なりに頑張って描いた。とてもとても楽しいからだ。時報も楽しかった。
10対10の身内だけでする全国大会やクラン対抗戦でもうやりたい放題だ

こっちが川の中で死んだら川の中まで入ってきてキルアピールしてくれる人   コアへ向かっているのに決闘を受けてくれる人
当然血で血を洗うガチ試合もある
相手も自分もどういう動きをするかがわかっているので張り詰めた真剣勝負にもなった
言葉では表せられない楽しい光景が広がっていた。

時報が終わればスレに報告  お互いの健闘?を称えあった。
そんな事を1年2年としていると実際の自分の生活も色々変わる物で
休日は家でのんびりしてたのが毎週必ず外に出るようになった。
お金が無いと何もできないのでその分週一の楽しみのために仕事を頑張った。
病気で入院した時は病院を抜け出してゲーセンに行ったり
出張先ではゲーセンを探し暇を見つけては通ったり 
転職してゲーセンが近くなって毎日通ったりそのゲーセンが潰れて反対に通わなくなったり、
エアコンの潰れたゲーセンで真夏に汗だくになりながら全国対戦したのもいい思い出だ。
1人暮らしを始め時間を気にせずボーダーブレイクができるようになった
大晦日で年越し時報マッチなんてのもした

そんなこんなでスレの皆と仲良くなりオフ会にも参加した 所謂コミュ障な
私には凄く勇気が必要だったが、会ってみればどうということはなく、
ほぼ同年齢の同じ趣味の集まり楽しくないわけがない。
地元神戸でも地元のプレイヤー数人で飯を食いに行ったり
他県のプレイヤーが来て有馬温泉に入りに行ったりしたこともあったが
大体大阪、東京が多かったと思う。特に東京は特別だった。
大型連休に合わせて向かうのでオフ会が何日にも渡って行われた。
皆と秋葉原のクラブセガ新館で集まり遊んで呑みに行って 一度解散して夜を明かし また翌朝セガ新館に集まる。クラブセガ新館が私にとってはボーダーブレイクの聖地だった。
何十人とボーダーブレイクの為に並び開店を待った 待つ時間も楽しかった。
 皆で出る時報マッチはとても楽しく幸せだった。
東京から帰るときは本当に日常にもどるのが嫌で嫌で仕方なかった。

こんなかけがえのないアーケード版ボーダーブレイクがサービスを終了する。
とても寂しい事だが仕方ない。 決まってしまったものはどうしようもない。実際家庭用ボーダーブレイクが発表された時嬉しさと同時にアーケード版の終焉も近いと感じていた。
その時がついにきてしまったのだ。
アーケードが終わっても家庭用ボーダーブレイクは始まったばかりだしアーケード版ボーダーブレイクで出来たコミュニティが一緒に消えるわけもない
ただその日が来たら今までの感謝を込めてありがとう!!と言いたい。

幸せな時間をありがとう。











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