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ともだちのはなし




社会人になってから、大学生の頃よりも友達と会う回数が減った。
というのも、私には大学時代を共に過ごした東京の友達が多いのだけれど、今は地元にUターンして働いている。
そんなわけなので友達と会う予定を立てるのは難しい。それでも次から次へと会いたい友達の顔が浮かんできて困ってしまう。


もちろん、仕事で疲れるからひとりでのんびりするお休みも大切にしたい。
けれど、気の合う友達と会ってどうでもいいような話をしたり、お互いの好きを共有したりする時間はたまらなく愛おしく、私にとってなくてはならないものだ。



つい先週、1ヶ月前ぐらいから予定を合わせて東京に行き、元バイト先(ドトール)の友達と、古くからの親友と会ってきた。
この休みを楽しみに仕事を頑張れたと言っても過言ではないくらいわくわくしていたけれど、直前になると「久しぶりに会うからちょっと緊張するな」とか「私と過ごす時間を楽しんでもらえるかな?」とか、一抹の不安が顔を出す。
昔からそう。相手も自分も楽しんでいる、その空間を共有することが好きだからこその不安なんだと思う。あと、人に気を遣いすぎてほんの少しだけ距離をとってしまいがちなところも影響しているのかな。



そんな私だけど、友人達はよく「今日は会えて元気でた」「すてきな1日になったよ」「だいすき」と言葉で気持ちを伝えてくれる。
だからほっとするし、私も愛の言葉を惜しみなく伝えていこうと思える。
ドトールの子たちとの時間は本当にあっという間で、嬉しさと寂しさどちらも連れてきた。
大学時代にドトールで過ごした時間は宝物のようだった。けれどもう、その頃の私たちに戻ることはできない。みんな次のライフステージで悩みを抱えながらもたくましく生きている。
ひとりひとり違った輝きを持っていて、私の生活に彩りを与えてくれるドトールのお友達。
毎日必然のように会える関係が終わっても、こうやって繋がり続けられるといいな。


密かに「私たち、赤毛のアンに出てくるアンとダイアナみたい」と思っている、1番古くからのお友達とも会ってきた。
彼女はとても頑張り屋さんで、音楽と旅が好きで、ふわっと笑う笑顔がかわいい人。
価値観や好きなものは全然違う私たちなのに、どうしてこんなにも仲がいいんだろう。きっと、一緒に過ごした長い時間が2人の間に雪のように積もって、安心感をもたらしてくれるんだろう。
彼女の結婚式でのスピーチを頼まれた時は、小躍りするくらいには嬉しかった。気が早すぎるけれど、このお願いが現実となりますように。


来月も東京に行く予定があって、その時ももちろん大好きな友達に会う。
その子は私にとって、頼れる後輩でもあり、かわいい妹でもあり、大好きな友達でもある。
妖精のようにふわふわとしていて、何とも言えないかわいらしさがある人。それと同時に、どんな壁に挫かれようとまた立ち上がる強さも持っている。
彼女は私のことをとても慕ってくれているけれど、私も同じかそれ以上に彼女を尊敬しているし大切に思っている。そんな気持ちに気づいているかな。





こんなふうに友達のことを書いていると、過去に送った手紙の内容を思い出す。
大体いつも、その人の素敵だな、好きだなと思うところを綴ってしまう。そして終わりはいつでも、「おばあちゃんになってもよろしくね」「ずっとだいすき」と締め括っているような気がする。これは、できるだけ長くつながり続けられますようにという私の切なる願い。



人生で出会う人との交わり方は2種類あると思う。
ひとつは、点の関わり。ある一定期間人生が交錯して、その後は離れていく。こっちの方が圧倒的に多い。でもそれでいいんだとも思う。
そんな人たちとの交わりは、私を作る一部になってゆくのだから。
けれど私は、友達とはできれば線の関わりをしながら生きていきたい。離れてはまた巡り合い、人生の一部分を共有していくような。


だからね、もし私の友達がこれを読んでいたらこう伝えたい。
離れていても、なかなか会えなくても、なるべく長く繋がり続けましょう。
そして、私と出会ってくれてありがとう。


またここにあなたのことを書くかもしれないけれど、許してね。
見つけてほしいような、恥ずかしいからそのままでもいいような、複雑な気持ち。


見つけてくれたら、私の心の内を綴ったこの場所でまた会えたら嬉しいです。


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