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消息不明のGⅠ馬まとめ

こんにちは、こんばんは。印度孔雀です。23時丁度に投稿したかったつもりが、誤って22時59分のうちに投稿してしまいました...。

今回の記事では、2022年現在消息の判明していないGⅠ・JpnⅠ馬たちについてまとめていこうと思います。まあ80年代の馬になればそもそも寿命的に存命可能性が限りなく低くなる馬も多くなりますが、2歳(旧3歳)GⅠ馬の扱いはなかなかに良くない印象ですね。しかも、この記事を執筆中にもあるGⅠ馬が行方不明になったとTwitterで騒がれ始め、大きな議論を巻き起こしているところです、

なお、最初に断っておきますが、この記事における「行方不明(消息不明)」とは、一概に「屠畜された」ことの隠語を指すわけではありません。もしかすれば、どこかの個人で繋養されている可能性もあります。今回の記事においては、「ネット上で所在を確認できない」ことを「行方不明」の定義とさせていただきます。この記事を読んで、「〇〇は馬肉になったんだ!処分されたんだ!」などと思い込まれることのないようにお願いいたします。また、その馬の行方を詮索することを推奨するものでもございませんので、最終繋養先などの関係各所に連絡を入れたりすることもないようにお願いします。

取り扱う競走について

この記事では、中央競馬については1984年のグレード制導入後のGⅠ・JpnⅠ競走の勝ち馬に関して取り扱って行きます。それ以前は八大競走とそれ以外みたいな感じで色々曖昧になってしまうんですよね。ですから、該当馬は以下に示した期間のレース勝ち馬について記載させていただきました。

優駿牝馬・菊花賞・エリザベス女王杯・阪神3歳ステークス(1990年まで)・朝日杯3歳ステークス(2000年まで)
1984以降

スプリンターズステークス
1990年以降

中山グランドジャンプ・中山大障害
1999年以降

地方競馬に関しては、創設および重賞もしくはGⅡからの昇格年からとなります。

東京大賞典・ダービーグランプリ(2006年まで)・マイルチャンピオンシップ南部杯
1997年以降

川崎記念
1998年以降

JBCスプリント
2001年以降

全日本2歳優駿
2002年以降

「〇〇がいない」などと思われた時は、その馬が勝った時点でそのレースはまだGⅠ・JpnⅠで無かったために今回の記事では取り扱っていない、といった事がありますのでご留意ください。

では、以下より記していきます。馬名は五十音順です。

JRA・GⅠ(障害含む) 勝ち馬

アップトゥデイト

勝ち鞍
2015年中山グランドジャンプ中山大障害、ほか障害重賞4勝

最終状況
京都競馬場、または宇都宮馬事公苑?

初っ端から行方不明というには少し違う馬ですね。この馬のnetkeibaの掲示板を見ていただければよく分かりますが、現在情報が錯綜している状況なんですよね。今確認できる情報が、一般人が電話で確認して聞いたという情報しかなく、さらに居場所とされているのが現在入ることの出来ない馬事公苑と京都競馬場ということもあって、完全に所在が分からないといった状況です。亡くなったという書き込みに関してはデマな気がしますね。どちらも見学が出来るようになれば消息が明らかになることでしょう。

オサイチジョージ

勝ち鞍
1990年宝塚記念、1989年神戸新聞杯、他GⅢ3勝

最終状況
1999年9月2日用途変更

「行方不明のGⅠ馬」と言われた時、真っ先に挙げられる馬の1頭なのではないでしょうか。宝塚記念ではあのオグリキャップを破って勝利したものの、それ以降は成績が低迷。種牡馬入りしたものの、地方重賞を制した馬が僅かに出し、1999年に種牡馬を引退してからの消息は分かりません。

カツラギハイデン

勝ち鞍
1985年阪神3歳ステークス

最終状況
引退後は乗馬に?(出典なし)

netkeibaの掲示板では「最弱のGⅠ馬」呼ばわりされてしまっている1985年の阪神3歳S勝ち馬です。4歳になると全敗、どうやらGⅠ馬なのに条件馬という不思議な身分のまま引退してしまったようです。引退後、どこの乗馬クラブに行ったかなど、当時の優駿などの競馬雑誌に掲載されていないのでしょうか。

キョウエイタップ

勝ち鞍
1990年エリザベス女王杯、サンスポ賞4歳牝馬特別

最終状況
2008年10月30日用途変更

横山典弘Jの初GⅠ制覇の相棒として有名ですね。ゴール前からガッツポーズ。繁殖牝馬としては残念ながら大成せず、牝駒もいずれも繁殖入りしなかったため、その血脈は途絶えてしまっています。そんな彼女は繁殖引退後の足取りがなく、結局行方不明となっています。

ギルデッドエージ

勝ち鞍
2002年中山大障害

最終状況
馬事公苑?(乗馬登録は確認)

2002年の中山大障害を、外国人女性騎手と共に制したギルデッドエージ。引退後はNHKの土曜ドラマ「チャンス」にも出演し、2010年の馬事公苑のブログにも登場しているのが確認できます。ただし、ここ10年近くは近況がnetkeibaの掲示板等にも書き込まれておらず、調べた限りではどうしているのかが分かりませんでした。まだ馬事公苑にいるのでしょうか。

コガネタイフウ

勝ち鞍
1989年阪神3歳ステークス

最終状況
地方抹消後、動向不明

阪神3歳ステークスではダイタクヘリオスをアタマ差交わして優勝、翌年の皐月賞でも4着と健闘しましたが、その後は93年に入障して1勝するまでは勝利からずっと見放されていました。最終的には北関東、高知と地方を転々としましたが勝つことはなく、抹消されたあとの動向は分かりません。乗馬になったという情報もないようです。

スクラムダイナ

勝ち鞍
1989年朝日杯3歳ステークス

最終状況
1992年11月25日用途変更

故障さえなければ、90年クラシック世代の名馬としてもっと活躍できたと思う馬ですね。3歳時は無敗、4歳になってもスプリングS2着、皐月賞2着、ダービー3着と生涯馬券を外すことはありませんでした。残念ながら骨折のためダービーで引退となってしまい、種牡馬入りしましたが、これといった産駒も現れず用途変更後の消息は分かりません。社台SS荻伏で種牡馬になった馬なので、種牡馬引退後はどこかで乗馬にはなったのでしょうが...

ソングオブウインド

勝ち鞍
2006年菊花賞

最終状況
2022年1月頃に茨城県水戸市の乗馬クラブを退厩

この記事を制作中、TwitterとInstagramでこの馬のことが騒がれたんですよ。ソングオブウインドは種牡馬引退後、1度故郷の追分ファームに戻りましたが、まだ若かったこともあって茨城県の某所で乗馬となりました。しかし、ちょうど今年になってそこを退厩、現在の繋養先は非公開ということとなっています。まあ高確率で元気にしてると思いますし、来年の引退名馬繋養展示事業の新規助成対象馬に追加されてるんじゃないかなー、と思ってます。所在が不明ということで、このリストにも追加させていただきました。

ダイゴトツゲキ

勝ち鞍
1984年阪神3歳ステークス

最終状況
引退後は乗馬に?(出典なし)

この馬も例によって、3歳時がピークで4歳になるとサッパリ...(きさらぎ賞では3着ですが)という馬ですね。この馬も乗馬になったらしく、どうやらGⅠを勝った牡馬で種牡馬入りできなかった初の例となるようです。ただし、どこで乗馬になったかなどの情報は見つかりませんでした。

ダイシンフブキ

勝ち鞍
1985年朝日杯3歳ステークス、京成杯3歳ステークス、1986年弥生賞

最終状況
2003年~2004年に地興牧場を出される?

朝日杯を勝つだけでなく、クラシック期においても無敗で弥生賞を勝つなど活躍した馬です。皐月賞でレース中に骨折、7着に敗れるとそのまま種牡馬入り。しかし、ナスルーラ3×4の濃いクロスの影響で繁殖牝馬が思うように集まらず1995年に種牡馬を引退しました。その後は地興牧場に繋養されていたようですが、どうやら移動してしまったようで、その後の消息は不明です。

参考:地興牧場にいた時のダイシンフブキの写真を見れるサイト

ダイタクヤマト

勝ち鞍
2000年スプリンターズステークス、スワンステークス、2001年阪急杯

最終状況
2011年頃に千葉県佐倉市の乗馬クラブを退厩し北海道へ?

2000年のスプリンターズステークスを最低人気で制した超穴馬。父はマイルCS2連覇の名馬ダイタクヘリオス。スプリンターズS後も重賞を2勝しその実力を示しました。引退後は種牡馬入りしたものの目立った活躍馬は現れず、千葉県で乗馬となりました。しかし、1年もしないうちに牧場から出され、その後は北海道に向かったとされていますが、詳細は分かりません。

テイエムドラゴン

勝ち鞍
2005年中山大障害、京都ハイジャンプ、2006年阪神スプリングジャンプ、2007年京都ハイジャンプ

最終状況
神戸乗馬倶楽部に(少なくとも)2016年までは在籍?

2005年中山大障害など、障害重賞を4勝した名馬です。引退後は乗馬となり、流鏑馬などにも出場していたようです。netkeibaの掲示板を見た限り、神戸乗馬倶楽部の繋養馬のリストに2016年までは載っていたようですが、現在の繋養馬の一覧に彼らしき馬を見つけることは出来ませんでした。

マルカラスカル

勝ち鞍
2006年中山大障害、2008年中山グランドジャンプ

最終状況
金勝牧場→?

障害GⅠを2勝し、2006年のJRA賞最優秀障害馬に選ばれたマルカラスカル。近親にスクリーンヒーローがいるほか、牝系はマジックゴティスから続く活躍馬を多く輩出している名牝系です。そんなマルカラスカルは、2010年の中山大障害で左前浅屈腱不全断裂を発症し引退。栗東市の金勝牧場で乗馬となりました。しかし、同牧場に繋養されていたという愛知杯勝ち馬・カゼニフカレテのnetkeibaの掲示板にて「金勝牧場は今はありません」との記述があります。調べてみてもマルカラスカルの近況の情報はほとんどなく、現在どうしているかを知ることは現時点ではできませんでした。

ミヤマポピー

勝ち鞍
1988年エリザベス女王杯

最終状況
三石橋本牧場→青森県へ移動?

半兄には名馬タマモクロス、自身もエリザベス女王杯を制した名牝です。引退後は繁殖牝馬となり、ゼンノカルナックがオープン馬となって2002年クラシックでそこそこ善戦しました。2014年11月に繁殖牝馬を引退(といっても、種付けは2011年を最後に行ってませんでしたが)したあとは青森県に移動したという旨の情報がnetkeibaの掲示板に書かれていますが、その詳細は分からなかったようです。

ラッキーゲラン

勝ち鞍
1988年阪神3歳ステークス、1990年毎日王冠、函館記念

最終状況
つま恋乗馬クラブ

阪神3歳ステークスを制したものの故障でクラシックに参戦できず。しかし実力は衰えることはなく、古馬になってからも毎日王冠と函館記念を制覇。8歳まで走り続けました。引退後は残念ながら種牡馬にはなれず、静岡県のつま恋乗馬クラブで乗馬となりました。そこからどこかに移動したのか、そこで生涯を終えたのか、その詳細は分かりませんが、個人的にはずっとそこの乗馬クラブに居たんじゃないかなと思います。行方不明というよりは没年不詳という感じですかね。

レオダーバン

勝ち鞍
1991年菊花賞

最終状況
2001年8月用途変更

この年の二冠馬、トウカイテイオー不出走の菊花賞を勝った名馬です。4歳時までは掲示板を外さない堅実な走りを見せていましたが、菊花賞を最後に長期休養。その後の2戦では目立った成績を残せませんでした。引退後は種牡馬入りし地方競馬の重賞勝ち馬を数頭出しましたが、2001年に種牡馬を引退した後の消息は伝わっていません。

レディパステル

勝ち鞍
2001年優駿牝馬、2003年中山牝馬ステークス、府中牝馬ステークス

最終状況
2019年10月2日用途変更

2001年のオークス馬。古馬になってからも重賞を勝ち、生涯21戦して掲示板を外すことはありませんでした。引退後はケイアイファームで繁殖牝馬となりましたが、直仔からは活躍馬が現れず(2021年に孫から重賞馬が出ましたが)、2019年に繁殖を引退しました。しかし現在、ふるさと案内所で確認できる限りはケイアイファームでは繋養されておらず、所在が分かりません。非公開なだけで変わらずケイアイファームに繋養され、リードホースなどに転身している、といった感じあれば良いのですが。

JpnⅠ(地方GⅠ)勝ち馬

アドマイヤホープ

勝ち鞍
2003年全日本2歳優駿、北海道2歳優駿

最終状況
地方抹消後、動向不明

全日本2歳優駿を勝ち、2歳ダートチャンピオンになったもののしばらく成績が低迷。しかし、2005年に芝のオープン戦を10番人気で制しました。その後は障害転向→地方転厩、しかし移籍後は1戦したのみでそのまま抹消、その後の消息は分からなくなってしまいました。

インテリパワー

勝ち鞍
2000年川崎記念、1999年浦和記念、2002年ダイオライト記念、ほか大井重賞4勝

最終状況
2006年12月21日用途変更

2000年の川崎記念など重賞7勝を挙げた、ルションの代表産駒となる馬でしょう。引退後はなんと広島県で種牡馬となりましたが、繋養先が生産部門を畳んでしまったことで引退を余儀なくされ、その後の消息についての情報はありません。産駒として1頭の牝馬を残しましたが、その馬も結局勝ち上がることは出来ませんでした。

エスプリシーズ

勝ち鞍
2004年川崎記念、ほか南関東重賞4勝

最終状況
2012年12月25日用途変更

2004年の川崎記念をレコード勝ちした馬です。母の母父はハイセイコーの半弟アアセイコーというなかなかのマイナー血統。引退後は種牡馬入りし、26頭の産駒を残しました。2012年に種牡馬を引退しましたが、それ以降の動向は不明です。

サマーウインド

勝ち鞍
2010年JBCスプリント、東京盃、クラスターカップ

最終状況
地方抹消後、動向不明

中央競馬に再転入している出戻り馬で、2010年にダートグレード競走をJpnⅢ、JpnⅡと順を追って勝ち、そのままJpnⅠのJBCスプリントを制覇しました。母のシンウインドはスワンステークスと京王杯スプリングカップの重賞2勝で良血ではあったものの、種牡馬入りは叶わず、地方抹消後の消息は分かりません。

スーニ

勝ち鞍
2008年全日本2歳優駿、兵庫ジュニアグランプリ、2009年JBCスプリント、2011年JBCスプリント、東京盃、ほかJpnⅢ4勝

最終状況
2016年頃にノーザンホースパークを退厩

ここで取り上げている馬の中では最も多くグレード制重賞を制している(8勝)馬ですね。JpnⅠ3勝なんてすごい成績なのに、種牡馬入りさせなかったのは何故なのでしょうか。血統的にも繁殖を集めやすいと思うんですけどね。7歳まで走り続けた彼は、引退後はノーザンホースパークで乗馬となりましたが、2016年に移動した模様。その移動先については、調べたところ情報が見つかりませんでした。重賞8勝の名馬、ぞんざいに扱われているということはないとは思いますが...

タイキシャーロック

勝ち鞍
1997年マイルチャンピオンシップ南部杯、1998年浦和記念、エルムステークス

最終状況
日高スタリオンステーション→?

横山典弘騎手を背に、1997年の南部杯を制したタイキシャーロック。1999年のフェブラリーステークスでもメイセイオペラの3着に入っています。引退後は日高スタリオンステーションで種牡馬となり、地方重賞勝ち馬を出しました。その後、種牡馬も引退し功労馬となり、引き続き日高SSに繋養されていましたが、2015年末に同地が閉鎖されると、タイキシャーロックもそのまま消息がわからなくなってしまいました。

タイキヘラクレス

勝ち鞍
1999年ダービーグランプリ、名古屋優駿

最終状況
藤沢乗馬クラブに(少なくとも)2013年までは在籍?

ダートで善戦していた競走馬。2000年末頃より故障に悩まされ長期戦線離脱が増え、後に入障し1勝したものの、最終的に2005年に引退しました。引退後は神奈川県の藤沢乗馬クラブに来たようですが、同クラブのブログでタイキヘラクレスの姿が確認できるのは2013年までで、ここ9年の動向が分かりません。

トーヨーシアトル

勝ち鞍
1997年東京大賞典、東海菊花賞、平安ステークス、1996年ウインターステークス

最終状況
2008年6月用途変更

松永昌博騎手の唯一のGⅠ制覇時の相棒で、ラストランの98年ウインターステークスで藤田伸二騎手に乗り替わるまでは28戦を共に戦っていました。引退後は種牡馬入りし、中央で新馬勝ちした後に岩手の重賞を勝った馬を出しましたが、それ以外の産駒は目立った活躍を挙げられず、2008年に種牡馬を引退。それ以降の動向は分かっていません。

パーソナルラッシュ

勝ち鞍
2004年ダービーグランプリ、エルムステークス、2005年ダイオライト記念、エルムステークス

最終状況
2016年7月31日転売不明

ダート重賞で4勝を挙げ、ブリーダーズカップクラシックにも出走し6着。エルムステークスは連覇を果たしました。引退後は種牡馬入りし、牝駒のスマートアレンジがJRAで4勝、そして水沢競馬場の重賞を制しました。パーソナルラッシュ自身は2016年に転売不明となってしまい、以降の情報がありません。しかしスマートアレンジが繁殖牝馬となったので、直系ではありませんがその血は受け継がれていくこととなりました。

プライドキム

勝ち鞍
2004年全日本2歳優駿、兵庫ジュニアグランプリ、2008年クラスターカップ、ほか船橋重賞2勝

最終状況
地方抹消後、動向不明

2004年の全日本2歳優駿を制し、古馬になってからもクラスターカップを勝つなど活躍しました。2010年に8歳で引退しましたが、それ以降の消息は不明です。馬主さんを悪く言うのは避けたいのですが、このオーナーさんの馬は重賞を勝っても行方不明になってしまう馬が多い印象です。前述のパーソナルラッシュも中央所属時はこのオーナーの所有馬ですし、他にもラントゥザフリーズ(2003年共同通信杯)、ダブルウェッジ(2009年アーリントンカップ)なども消息不明です。

マンオブパーサー

勝ち鞍
2006年ダービーグランプリ、ほか地方重賞4勝

最終状況
地方抹消後、動向不明

タヤスツヨシの代表産駒。44戦14勝、2着6回3着9回と堅実な走りを見せてくれた馬です。競走生活晩年も重賞を勝ち、8歳まで現役を続けていましたが、2011年に引退した後の動向は分かっていません。関係ないけどタヤスツヨシの産駒ほとんどダートの馬なんですよね

おわりに

こんな長々とした記事を書きましたが、意外とこういう記事は見られがちなんですよね。以前Wikipediaに立項した「行方不明の著名な競走馬」の記事が私が執筆したものの中で1、2を争うほど閲覧されているくらいですし。

そんな「行方不明の~」ですが、現在削除依頼を出しているところなどで近いうちに消されると思います...。ということもあって、今回noteにGⅠ馬だけでもまとめた次第であります。

今回の記事の中での馬では、記事中でも書いているようにアップトゥデイトやソングオブウインドなんかは生きてると思いますし、行方不明といっても希望が全く無いわけではないと思っています。所在が分からなくても、結局は幸せに暮らしていればそれで良いんですよね。ただし、分からないということは「死んでいるかもしれない」という可能性も付随してしまうわけですが。

それでは、次の記事でお会いしましょう。印度孔雀でした。

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