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Wikipediaに書くまでもない馬主列伝:丸井正貴氏

こんにちは、印度孔雀です。

前回に引き続き、Wikipediaに書くまでもない馬主列伝をお届けします。今回は、1999年の高松宮記念を制したマサラッキのオーナー、丸井正貴さん。

丸井 正貴(まるい まさき)
1931年頃生、2012年頃に死去?

本業について

兵庫県尼崎市に本社を置く丸井工業株式会社の創業者。同社はプラント配管の設備工事などを手がける。平成2年(1990年)には既に会長に就任。

馬主になったきっかけ

1974年頃に馬主となる。そのきっかけは、競馬ファンであったという取引先の人物に観戦に誘われた際に、座れる席がなかったこと。「馬を買って馬主になれば席がある」という話を聞き、馬主となった。最初の所有馬には丸井の出身地・広島にちなみに「安芸国」から「アキ」を冠に用いて「アキノコトブキ」と名付けた。

馬主として

験担ぎのため、ちょくちょく冠名を変更していたという。「アキ」の次は、占いで決めた「ルックス」、その次は「明るく前向きに」という意味で「タイヨウ」を、さらにその次は「タイヨウ」冠をつけて5勝したブルータイヨウより「ブルー」。ブルーメモリでは菊花賞にも出走した。その後、最後にするつもりで自身の名前より「マサ」を冠名とした。マサラッキは、この冠名を使い始めて2年目の所有馬であった。ちなみに「ラッキ」は、欧字名からも分かるように「Lucky」に由来するが、その由縁を丸井はこう語っている。

「当歳の時に牧場で見て胸にグッとくるもんがあった馬やったわ。(中略)それでも気に入ったのは、母が3連勝したあと、骨折して肌馬になったということ。見た目に加えてそこにも魅力を感じたんや。なかなか3連勝なんかできへん。きっと運をもっている馬に違いないと。(中略)ラッキーと語尾を伸ばすより、ラッキで止めた方が力強い印象を与えるから"ラッキ"。」
丸井正貴(競馬の達人 1999年11月号 P119)

「ラッキ」の語尾が伸ばさない理由が長年謎だった方も多いのではないだろうか?筆者も、このインタビューで初めて知りました。

1999年に高松宮記念を制したマサラッキ。しかし丸井オーナーは法事のため、残念ながら口取りには参加出来なかったという。その後、重賞を勝つことはないまま、2012年2月の淀ジャンプステークス(マサライトで2着)を最後に丸井正貴氏から丸井サカミ氏に名義変更、服色も引き継がれた。2012年2月で推定82歳という年齢を年齢を考えれば、お亡くなりになられた可能性も高いが、詳細は不明。

主な所有馬

  • マサラッキ(1997年函館スプリントステークス、1998年阪急杯、CBC賞、1999年高松宮記念)

  • マサライト(2012年小倉サマージャンプ3着、名義変更後2014年中山新春ジャンプステークス、2015年京都ハイジャンプ2着)

参考文献

  • 『FLASH臨時増刊 競馬の達人』1999年11月号「ナニワのユニーク馬主INTERVIEW 8 "マサ"にラッキーな馬主 マサラッキの丸井正貴オーナー」

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