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友達ができないのは打算的だからである

"り"です。今日2週間ぶりに大学院に行きました。今の今まで中間発表に向けて研究進めましたが、3時間やって成果ゼロです。やっぱり研究嫌いだなって思いました。今回は友達ができない人について自分なりの見解を書きたいと思います。

まず結論から言うと、友達ができないのはその人が打算的だからです。例えば幼稚園児は老若男女、誰とでも仲良くすることができると思います。それは邪気がないからです。小学生低学年も誰とでも仲良くなれる環境であると言えるでしょう。でも、小学校高学年ぐらいからクラス内のヒエラルキーが形成され始め、いじめなどの発生から、付き合う相手を考えるようになる頃だと思います。中学生になるとよりこのヒエラルキーが顕著になり、高校になると彼氏・彼女の関係を意識し始めるため、男女の噂話からより付き合う相手を選ぶようになります。大学生になるとバイト先などで社交辞令のような話をすることも増え始め、社会人になるとより社交辞令を行う機会が増えると思います。つまり年が経つにつれて、徐々に子供の頃のように無邪気に人付き合いができなくなり、あれこれ物事を考えて打算的に振る舞うようになると言うことです。その結果、お互いに真に心の内側を見せて話す機会がなくなり、友達というものを作ることが難しくなるのではないかと考えています。

これは別に悪いことではないと思います。打算的振る舞うというのは、言い方を変えれば相手を気遣うことができるということです。打算的であるが故に、こういうことをしたら相手に嫌がられるとか、悪い印象を与えてしまうといった思考を巡らすことができると思います。この考えは仕事の場面では有効だと思うので、別に打算的であることは悪いことではない、すなわち友達ができないことは悪いことではないと考えています。

これはなぜ僕が友達少ないのか理由を考えている時に導き出されたものです。まぁでも結局のところ僕が友達少ない理由は、コミュ障・インキャ・人見知りであることが大きな理由ですかね笑。でもこのようにこじつけでもいいのでプラスに物事を考えることは大切なことだと思います。いつか僕も小学生みたいに友達100人作って富士山の上でおにぎり食べたいです。ありがとうございました。

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