失った先に見える世界

その扉の暗証番号は「U. S.H.I.N.A.U」

決して開けたくて開けた訳ではない
その扉は、失った者にしか現れない

それは せめてもの神様からの親心
失う事で、ぽっかり空いた穴を そのままにしては可哀想と、失わない人には与えられない特別な世界が、失った人にだけ特別に見えてくる。


私は、日が暮れかかる高台にいた。
ポツリポツリと見下ろす家々に灯りが付くのを眺めていた。
帰る家がある事の羨ましさ
どんなにすきま風が吹くオンボロな家でも「帰ろう」とする家がある。
普通は、学校が終わり、仕事が終わり、旅行が終わり、一日が終われば自然と帰巣本能で足は家路へと向かおうとする。

けれども、その家がない。
正確には、帰れる家がなかった。

あれから40年。
私には帰る家がある
灯りが灯る家がある
今日のような冷たい雨が降る日は特に、凍えずに濡れずに居られる『贅沢』を ずっと味わえる幸せを手に入れた。



「取りあえず受けとくか」ぐらいの気持ちで毎年行うガン検診を受けていた。
1ヶ月後に郵送される結果も「特に異常なし」の文句は確認として。
しかし、想定外のステータス4
所定の病院で再検査するように…だそうだ

検査結果の紙を両手で開いたまま、心臓が大きくバクバク鳴り続ける。
事の事態が呑み込めない。

自分の死を意識した それからだ
それまでは、視界の後ろに背景としてあったであろう道端のスミレや、屋根の雨どいに止まる雀、一つとして感心を持たなかった一つ一つに、私の目はピントを合わせるようになった
愛おしい。
どれもが一生懸命に「生きる」事だけに生きている。
これまでに 私は生きる為に生きてきたのだろうか…と、この小さな命から大切な物を頂けた。
結局は様子見として1年後また検査。
この1年は、特に 見えない世界が沢山感じられた1年だった。
-異常なし-
あれから数年経った
あの時ほどは見えなくなったけれども、それでも私のピントは、スポットライトを浴びるその後ろにうっすらと暗がりから見えるそれにピントを合わせている私がいる。



可愛い子には旅をさせろ
と昔の人は言いましたが、本当にそのとおり。
昔の人の諺に間違いはありませんが、それに納得するには人生経験が必要です。

毎朝、目覚ましがあるのに母親に起こされて、『早くして』を何度言われることか
起こさずにいれば、『何で起こしてくれなかったんだ』とボヤき、帰ってくれば温かいご飯が出来ている。
『早く食べなさい』その声を煩わしく聞き流し無視してスマホのゲームに夢中。
結局、冷めてしまったご飯を気にもせず、スマホの画面を見ながら 何を食べているのかさえも気にする事なく食べて、自分の部屋に戻る。
こんな光景、我が家ばかりではないはず。
我が子をかばうつもりはないけれど、これが普通と言いますか、むしろ幸せな家庭なんだと思うのですが、
ある時からこの母親がいなくなったなら、毎朝『起きなさい!』の安眠を妨害するあの声が懐かしく、帰ってきてもご飯はなくその時、帰ってくる時間を見計らって、温かいご飯を用意してくれていた愛情に気付き、それに気づかずゲームなんかに夢中になっていた自分の愚かさを後悔するのだと思うのです。

でも哀しいかな
母親がいる限り、それは気づけない世界なんです。

失う事で大人になり、強くなれるんです。

親は先に逝くのが道理です。
愛する家族と別れる事は辛いですが、別れの先には、それまで感じる事のなかった沢山を身につけ成長出来る我が子が待っています。
そう思うと、親の死は、最期に我が子に贈るプレゼントなのではないでしょうか

親の死と引き換えに、哀しみを乗り越えて 沢山を得て人として成長していく

『失う』は、マイナスではなく、ステップアップする為の必要な扉だと思うのです。

きっと、教祖も、御自身が姿を消した方が、子供たちが大きく成長すると思われたと思うのです。

私も親の端くれ
教祖の子供を思う究極な親心

それは 親になったら分かる変わらぬ親心なのだと思うのです。


神様は、失った分、必ず 足してくださっているはずです。

どうか、失った悲しみの先にある気付きの扉に気づいてください。

それは、目の前から無くなった自分の大切な物からの御礼の贈り物です。

悲しみの中にいる沢山の方々に念じたいです。






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