『無形の世界を楽しむ』続編

以前 5月に出産予定の娘に「おびや どうする?」って聞くと「行くなら産休入ってからかな」と言っていたので4月に入り産休に入ったので、また「おびや どうする?」と聞くと カレンダーを見ながら「15.16.17なら空いてるかな」と言うので、15日は産院の検診の為16.17に決まりました。
そうなると、おびやの願書を頂きに会長さんにお願いに行かなければなりません。
お教会から距離をおいて1年半、自分からは未だに足を運ぼうとは思わないけれども、運ばざるを得ない理由が起きてくる事を考えると、『そうでもしなければ 貴方は参拝しないでしょ?』と 神様の声が聞こえてくるようでした。
娘が会長さんにLINEをすると、「8日の午前中ならおります」との事でした。

(私の心の声)「ゲッ、8日って月次祭前日のひのきしんで、みんながいる時じゃない…」とは思いつつ、娘の為、孫の為
「仕方ないか」
それを察した娘が「お母さん、車で待っててもいいよ」と。
そんな事を言わせてしまった事に反省し、
(心の声)「別に悪い事をした訳でもない、逃げる必要も隠れる必要もないじゃない!」と意を決して参拝する事にしました。
ところが7日の夜、娘からの電話
39℃の熱が出た…と。
産休前から風邪をひいていたけれども薬を控えていたのが、仕事を終えた時点で気が緩んだのか一気に39℃とは…
「コロナ?インフルエンザ?」
とにかくコロナだとまずいので、検査キッドを購入し、調べましたが陰性。
翌日も熱は下がらず、教会の参拝は延期となりました。
産院でインフルエンザとコロナのPCR検査をしましたが どちらも陰性。
ひとまず安心はしたものの、熱は夜になると上がる日が続き、なかなか願書を頂きに行けません。
それどころか、おびやも危ぶまれる事態です。
実は、詰所の宿泊を断り、天理の東横インを予約していました。
キャンセルすべきか…
日にちだけが近づいてきます。
今まで娘は普通に遊びにも行って楽しんでいたのに、何故 今回だけ事がスムーズにいかないのか
さすがに私も考えました
おびやは信じなければ意味がありません
熱の原因を考え、娘に正直な気持ちを聞いてみました
私「おびや許し、本当に貰いたいって思ってる?会長さんやお母さんが言うから貰おうとしてるんじゃないの?」
娘「正直、おびやはどっちでもいいと思ってる。ただ、おぢばに帰りたいし、お母さんだって帰りたいでしょ?」と。

娘は、私が修養科から戻ってから授かった子です
おびやも戴きました
なので、本人よりも私が戴いて貰いたいと願ったようにも思いますし、娘の出産を私が安心する為に戴いて貰いたいと思ったのかもしれないと気づかされました
それでも救いは、おびやはよく分からないけれども、出産前におぢばに帰りたいという娘の気持ちは本物で、こうして娘と久しぶりにおみちの話が出来て良かったですし、そういう事を神様は望まれていたのではないかと思いました。
熱は微熱程度となり、改めて会長さんにご都合を伺うと15日なら いつでも大丈夫との事でしたので、おぢば出発前日でしたが1年半ぶりに教会へ参拝させて頂きました。皆さん 温かく迎えて下さり 無事に願書を頂いて、帰りの途中で新幹線の切符も買い 明日を待つばかりとなりました。

翌16日朝、気がつくと娘からのLINE電話の着信に気づきました。
何事?と思い電話をすると、今朝 結構な量の出血があり、産院に電話をすると、安静にして様子をみて 出血が治まってくれば大丈夫ですが出血が多くなるようなら また連絡くださいとの事。
電車の出発時刻まで2時間
娘は自分の家で横になっている
私は一人 この事態をどうすればいいのか考える が、時間がない。
神様のお試しか
こんな状態でも信じて おぢばに帰ってこれますか?  と。
娘の旦那さんは、出血を知った上で心配の中、仕事に行ったと聞きました
もし、取り返しのつかない事が起きたら…
私は娘と孫を守らなければならない
どれがベストなのか
短い時間の中で一人問答が凄いスピードで頭の中をグルグルと回っていました

私の出した答えは 情だと言われようが、神様に凭れていないと言われようが、
今日のところは おぢばに行かず、明日、私が日帰りで 娘の変わりにおびやを戴いてくる というものでした。
それを自宅で横になっている娘にLINEで伝えました
返事を待っていると娘は我が家に車で来て
「少し治まってるみたい(出血)」と。
私は、お腹の赤ちゃんと娘の身体が心配ですし、主人と娘の旦那さんは天理教の信者ではありません。強行突破して何かあっても理解など程遠く、今後の夫婦間にも問題がおきるのではないか そんな事まで考えて私が明日 行くという考えをまた話しました。
娘は台所に行って私の話を聞いていました。無言です。娘の気持ちは多分、どちらにすべきか本人も揺れているのだと思いました。
それでも 何の返事もないので、無責任のようですが、「貴方が後悔しない選択をするのなら、どっちでもお母さんは協力するから」と言うと
台所で涙で鼻をすすりながら
「行く!」と一言。
「わかった、じゃあ、行けるところまで行こう、これ以上無理だと思ったら引き返すからね、教祖は貴方が帰ろうとした心は受け取られたはずだから例えたどり着けなくてもおびやの理は戴いたと同じだからね」
そう話し、急いで駅に向かい滑り込みで電車に乗り、優先席も妊婦さんや年配者が座っていて席を譲ってとは言えず、そんな中 でも 何とか新幹線に乗り、本人も少し安心したのか駅弁も食べ、無事京都に着き、近鉄で西大寺で乗り換えるという時、「出血した」と。
ここまで来たのに…
どうしよう…
おびや許しの願書には明日の日付が書かれている
明日まで待てない
ここまで来たのだから、今からおびやを戴けないものかと、西大寺のホームで御本部に事の状況を伝えると 大丈夫との事でしたので、ゆっくりだけれども心は急いておぢばへ向かいました。
東横インが 駅前で どんなに有りがたかったか
少し休んでから神殿に向かいました。
一直線で西礼拝場に着くって凄いねって話ながら、親神様に無事に帰ってこれた御礼をし、教祖殿にて 無事におびや許しを頂戴する事が出来ました。
あの おびや許しで話されるお話しを娘にも聞かせたかったのです

何とかたどり着いたという緊張感の中、暖かいお話しが娘の心に沁みたようで、おびや許しを戴いた後、教祖殿で私のおさづけも素直に受けてくれました。
この時、「あぁ、私はこの日の為に おさづけを戴いたのかもしれない」そんな風に思いながらのおさづけでした。
そして、教会活動からは距離を置いてるけれども、おさづけは出来る
それに気付き、また、それをこの教祖殿で教祖が私に気づかせてくださった
そうも思いました。
祖霊殿に参拝する頃には 娘も体調が良くなって、夕づとめまで1時間ほど時間があるので 天スタを食べに行き、久しぶりの御本部の夕づとめを居心地がいいと感じながら勤めさせて頂きました。
夜は体調も落ち着いて出血も少しになり、あとは家に帰るだけなので、私は翌日(17日)の朝づとめと学びもさせて貰い、清々しい気持ちでホテルに戻ると、娘が「10分おきくらいにお腹が痛い」と。
「マジか」と思いながら、直ぐに「戻らなきゃ」と荷物を詰め、朝食を取っている場合でもなく、8時台の電車で京都に向かいたいのに、ラッシュ時間帯で来る電車が満員で とても前駆陣痛を起こしている妊婦を乗せる状況ではなく、泣き泣き見送り、ならば急行は混んでても普通電車(鈍行)なら空いているかも と、時間がかかるけれども座れるならばと、普通電車に乗り込みました。
ありがたい事に優先席に座れました
が、時間を置いて、やってくる痛みに耐えながら、それはそれは長い長い時間でした。
外の景色など今振り返れば何も見てなくて足元と時計だけでした
ホームに降りて 皆が急ぎ足で追い越して行く中を異様にゆっくりと歩く二人。途中立ち止まりながらも 直ぐに乗れる新幹線に乗り、とにかく「大丈夫!大丈夫!」と自分に言い聞かせ、私が落ち着かないと娘も不安になるだろうから、冷静を装い、自宅のある県内に入った辺りには 「もう ここで破水したとしても病院に行ける!」そういた安堵感が緊張をほどきました。
自宅に着く頃には 痛みも落ち着いたようで 良かった良かった と一日が終わったのですが、翌朝早く、LINE電話が鳴り ビックリして取ると娘の旦那さんから、
「今、病院です。子宮口が5センチなので、入院となりました」と。それが朝の3時。
そのまま布団の上で お願い勤めをして、旦那さんに「御供 飲みなさいって伝えてくれますか?」とLINEをし、 次に返ってきたLINEが8時
「生まれました」と。
まだ、36週に入ったばかりでしたので、2500gにも満たない未熟児です。
それでも母子共に元気だと報告を頂いて 
「間に合った」「ありがたい」「よかった」
そんな気持ちでいっぱいでした。
会長さんにも報告しますと、会長さんもこの一連の流れに驚き 親神様に御礼とお願いをさせて頂きますね と…
そうでした
今日は教祖誕生祭で おぢばに入れ違いで帰っておられたのでした。

後から聞いたのですが、私達親子の様子を聞いた自教会の信者さん方が拝殿に集まり お願い勤めをしてくださったのだそうです。
ありがたい事です

ちいちゃく産まれた赤ちゃんですが、入院が長引く心配もなく、普通の赤ちゃんと同じ日数で退院し、今はわが家で 日々 頑張ってミルクを飲んでいます

40ccを完食出来たと大喜びしたり、25ccしか飲まない と、心配したり と、
それでも この子は、産まれる前日におぢばに帰り、ママと共に頑張った子ですので、ゆっくりと成長してくれたらいいと思っています。

今回、『ありがたい』って思う事が沢山ありました。

『ありがたい』って言葉が浮かぶ時というのは『幸せな中にいる時』なのだと思いました。

今回、日記のようにnoteに書こうと思ったのは、この子が誕生する時は こんな風だったんだよ って 色んな思いがあって沢山の方々からの思いもあって そうして無事に産まれたんだよって いづれ読んで貰いたくて残そうと思いました。


で、何故 『続編』と題名を着けたかと言いますと
私の母親の50年祭の年に産まれてくる娘の赤ちゃんは 母親の生まれ変わりに違いない
と信じている と前回書いたので、その切望していた母親の魂の赤ちゃんと対面した時は どんなに感動したか


と思いきや

孫は孫でした。


おびやで戴いた三服を三日で飲んだという慌ただしい出産に 一息入れる間もなく、緊張続きで産まれましたので、
「かぁちゃん やっと逢えたね」と涙ぐむなんて事はなく、「とにかく無事に産まれてよかった」
それだけでした。

そして、思うのです。
孫を抱けるという年齢まで生きてこれた事への感謝、私の母親が叶えられなかった
娘の産後のお世話、孫の沐浴、抱き方等々母親としての情を掛けてあげられる幸せ、そんな当たり前を私が出来ている

それが有りがたく、それをきっと母親も喜んでいるのだと思えたのです。
魂が喜んでいる  と。


最後に、退院して数日たった今、ようやく母親の生まれ変わりと 思えるかというと
残念ながら思えないですね

まぁ、4月に生まれたというのもありますが、一番は
男の子なんですww

たとえ、男の子でも思えるなら思えるのでしょうけど
思えませんねww

なもんで、無理に思い込む必要はないかな
と。
この子はこの子、変にばぁばの思い込みが強く 愛情過多では良くないですからね

現実は こんなもんです。

母親に逢えなくても、この子に逢えたのだから ノープロブレムなんです。

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