おみち あるある なの?

おみち あるある なのかな~

それとも うちらの系列だけなのかな~って思ってた事がありまして

それが おちみの人達が多様に使う『ありがとうございます』です。

一日に何度言うかってくらいに言ってます。

朝、参拝し、『昨日もありがとうございました、本日も宜しくお願いします。』
…これOK。

相談事を先生に話した後に
『ありがとうございました』
…これもOK。

ひのきしん終わって、一緒にやっていた人達に挨拶
『ありがとうございましたー』
…ちょっと微妙。

帰る時 教会の人達に、道ですれ違っても
『ありがとうございました』
…?

この流れでスーパーで買い物してレジのお姉さんにも
『ありがとうございました』
…?? 間違ってはいないけど、「やっちまった」感になる。

聞き流せばいいものを、祭典終了の教会の玄関では、『ありがとうございました』をあちこちで連呼。
会長さんに言うのは流れとして、おかしくないけれども、「さようなら」という意味で使われているのが 私は不思議でならなかった。
自分なりに「さようなら」は切る言葉として使わないようにしているのかな~とか思ってみたり。
でも、言葉は「ありがとうございました」と感謝の言葉だけれども、おみちの人達の使い方を見ていると、「ありがとうございました」は終了の時に使う事が多い。

まぁ、感謝される由縁はないけれども「ありがとうございました」と言われて別れるのは悪い気はしないけれども、会話として成立しているのか、ちょっと変かもと思ってはいながらも、郷に入れば郷に従えで 相手が「ありがとうございました」っていってるのに、「さようなら」とは言えずに「ありがとうございました」と返していました。

私みたいな人は ウザイのかな。

他にも言葉の使い方として どうなの?って思う事 ありました。

にをいがけをして お教会に初参拝をお連れした用木さんには『おめでとうございます』と言います。
この『おめでとうございます』の意味は、にをいがけをされて、御自身の元を教えてくださる方とお出逢い出来て良かったですね「おめでとうございます」なんだと思うのですが

お教会の人達は、営業マンが契約を取れた時の「おめでとうございます」に使われる「おめでとうございます」として言ってるように聞こえて嫌な感じでした。


他には
初席や修養科が決まった人に対しての「おめでとうございます」
本人は 何がめでたいのか と思いますが中身は、生きながらにして生まれ変われる今後に対しての誕生という意味での祝い言葉だと私は思っていますが、

何が違和感に思うか と考えると、意味もなく考えもなく 今は使われている事。

初参拝をお連れして 「おめでとうございます(すごいですね、やりましたね)」
「ありがとうございます」と鼻高々。

こういう空気を感じると
違うな~
営業所か!って思うのです。

信仰は、心を育てないと

形だけの謙虚ではなく、心からの謙虚を持てる人を育てないと

多くをお連れする人、多くをお供えする人、それを誉めてしまう人、勘違いを生み、それを見ている人達が また勘違いしてしまう

教会のトップは分かっていても せざるを得ない組織的立場が そうさせてしまうのか

綺麗事では立ち行かない現実があるのか

なんにせよ そういうの 好きじゃない。

ばか正直で、スポットライトを浴びず影で損を一杯している人

私はそんな人が好きで尊敬出来ました。

そして口ずさむのです

『人が何事 言おうとも神が見ている 気をしずめ』

そして天を仰ぐのです。


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