喜び探し

若い頃は、気持ちさえあれば何でも出来ると思っていた。
身体が限界でも無理はいくらでも出来た。
壊れる事もなかった。

しかし今は、信号が点滅していたら停まる私がいる。
走ろうと思わないのだ。
いつからだろう…
急ぐ時は速足で。

年に一度の校内マラソンは大嫌いだったけど、短距離走は速い方だった。
あんな風に また走れたらいいのに…

どこが悪い訳ではない。
ただ、歳をとっただけ。

階段も自転車も慎重になった。
多分、咄嗟の行動に自信が持てないから自然と慎重になっているのだと思う。

加齢と共に自己防衛が勝手に設定され始めたのだろう。

こんな風に、歳をとる度に、出来ない事が増えてきた。(まぁ、水泳やらマラソンやらスポーツは、歳をとっても有りがたい事に五体満足な身体を頂いてますから、やる気さえあって努力さえすれば出来るのですけどね…)

そう、「やる気」が、若い頃と比べて随分失われてしまったように思う。
若い頃は、思えば緊張と期待の毎日だった。
それはきっと、毎日が初めてな事だらけで先の読めないハラハラドキドキな毎日だったからかもしれない。
今の私には、何かを始めようとしても今までの経験から想像が働き、先が見えてワクワクしない。
だから、平凡な一日で刺激のない一日は早く感じるらしい。

朝起きて、いやいや昨夜から、明日の自分の一日が想像出来るのだ。
そして その通りに一日が過ぎる。

あっという間だ。
新鮮味のない刺激のない計画通りの一日。

孫はというと、走る必要もないのに 常に走って、跳び跳ねている。
危なっかしい。
やる事成す事全てに、興味津々。
きっと、毎日が刺激的に違いない。

それが とても羨ましい。

私にも 勿論 若い頃はあった。
その若い頃の記憶があるがゆえ、若い頃の自分と今の自分を比べてため息が出てしまう。
子供達も自立し、親の役目は終わり、親風吹かす事も めっきりなくなり、逆に労って貰う時もあるほどだ。

これは自然の流れとはいえ、現役引退発表もなく、いつの間にか社会から切り離されている気がする。


と…まぁ

だいぶ、陰気な話を並べ立てましたけど…

本来不安症でマイナス思考の私が、精神科のお世話にならずに生きてこれたのは、おみちのお陰様だと本気で思っている。

完全にINFJに適合している私は、物の捉え方が思えば子供の頃から一般的ではなかった。
人と違う目線で物事を見ていたらしい。
それは自分自身に対しても、自分をもう一人の自分が分析し、それをまた分析する …みたいな
面倒くさいのである。


けれども、天理教へ導かれ、ある意味自由で固定観念のない私が人の役に立つと言って貰い救われた。

INFJは提唱者型。
ある事に対して論じ合う時、別な角度から物を見がちな私は 周りにとっては突拍子もない意見を言う時があるようだ。
それは 例えばこんな時。
このままで終わってしまってはアカンだろう と、空気を乱しても責任感が勝った時と、空気を読んで黙っておこうと思っても指名されたら、正直に話してしまう時。
どっちにしても、空気は完全に読めているけど、自分を誤魔化したくないという心が働く。

談じあう時に、事なかれ、和気あいあい、もしくは、目上に遠慮して言えない、そんな形だけの談じあいに、『◯◯さんがいると、話し合いの幅を広げてくれる』
そう言って貰った時は、自分のいる意味を感じたものだ。
たとえ、それが、変わった性格で自信を失くしている私に対しての励ましの言葉であったとしても。
おみちの人は、95%の負でも5%の正を見つけて語ってくれる。
それは、『陽気ぐらし』を教科書で教えてもらうのではなく、日常の中から学べた。

例えば

『子供が林の中で転んで瞼を◯針縫ったんですよ』
と言うと 
『よかったじゃない、目じゃなくて』
とか
子供が大事故を起こしても
『よかったじゃない 命があったんだから』

常に こうである。

こうして、
『そうか、そういう考え方をすればいいんだ』とINFJであっても、プラス思考が欠けていた私に気づき、しんどい時には、『こんな中にも喜びはあるはず。見つけなければ私が落ちてしまう』
そうやって自分を守る術を知り、努力して喜び探しをしているうちに、探し上手になっていた。

だから、最初に話した陰気な愚痴は、

歳をとって走れなくなってもいいじゃない!歩けるんだから…。要は目的地に自分でたどり着けたら それで十分(^ー^)

思うように動けなくても いいじゃない!
身体の無理がきく時には働いたんだから…。思うように動けなくなったら、これまでの知恵袋があるじゃない。
聞いてあげる、癒してあげる、慰めてあげる…
これは年齢を重ねた人だからこそ使えるアイテムだよ。

平々凡々な一日!
こんな幸せ、ないじゃない!

と、こんな風に、おもいっきり愚痴った後で、喜び探しをして負の気持ちを消去。

以前は、愚痴る自分を反省し、主人の悪口、気の合わない人の悪口 心で思う自分に嫌気がさしてたけど、今は、
『だって 思っちゃうんだもん しょうがないじゃん!』です。
さすが 年の功(^ー^)

そんなのいちいち 自分を反省していたら、自分が嫌いになっちゃう。

思うのは自由。(口に出したらヤバいけど)
好き放題フリートークで愚痴った後で(心で)
正気に戻り、喜び探しを始める。

おみちの人は、「結果オーライ」にしてしまう喜び探しのプロでなければいけない。

勿論、1%の喜びを無理して探してみたところで、前向きになれない事もありますが、どんな状況でも喜びを探そうとする、
そう、「水を飲めば水の味がする」のお言葉のように、喜びを探す先には、普段では水の味など 気にも止めなかったのに、生きていく上で無くてはならない「水の味」を心底 知る事が出来たというのは、どん底だからこその喜び探しだったからだと思うのです。

おみちを信仰したからとて、病気にもなりますし、事故にも合いますし、不幸な出来事も周りと何ら変わらず起こります。
『そら、みろ。信仰してたって このざまだ』そう言われた事もありますが、ならない為に信仰しているのではなく、なっても起き上がれる強い人間になる為に信仰しているのです。

「私は この日の為に信仰してきたんだ」
なんていう そんな事は 起きて欲しくはありませんが、辛い時、喜びを探そうとする自分に変えて頂けた事が、本当に有りがたく、私の中に「身に付いているお守り」として私を守ってくれています。


こんな風に書きながら、阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震、等々
大切な人を失い絶望の中にいる被災者に私がなったとしたら、それでも喜び探し出来ますか?と問うてみた

出来るはずがない。
探しようがない。
探そうとも思わない。
神を恨むかもしれない。

そう…
どんな辛い中でも、喜び探しが出来ると言っている私の「辛いこと」とは、大した事じゃないんです。

それも 凄く 分からせて貰い、愚痴れる日常が有りがたいのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?