おさづけ

私は だいぶ前に、三代真柱様より、おさづけを頂戴しました。
修養科の流れで 頂きましたが、今 思えば 何がなんだか分からないまま、周りが喜んでましたが、何がめでたいのか 分かりませんでした。


 そんな心で戴いていいものだったのか、居眠りしながらでも9席運んだら戴ける『おさづけ』って、そんな軽いものでいいんだろうか

なんて、今更ながらに 思います。

私の周りには せっかく おさづけ持ってるのに、一度も取り次いだ事がないって人がいます。
それでは 勿体ないので、私が体調が悪い時に 取り次いで頂きたいとお願いしましたが、やり方が分からないと断られたり、私なんかのおさづけは効かないとか、おさづけするにあたっての心定めが重いようで こちらが何だか迷惑をかけるみたいで遠慮してしまう有り様。

修養科って 人生をリセットし生まれ変わる為の場であると共に、人だすけの上に必要な『おさづけ』を 3ヶ月かけて お金を払ってまでして人様の救かりの為に戴くっていう ある意味カッコいいなって思ってましたが、それなのに それなのに…

使わないって

どういう事?

って思う人が結構 います。

それならば、本当に頂戴したいって人だけの拝戴でいいんじゃないかな

『お席を9回聞いたから じゃあ貰いましょ』『じゃぁ、せっかくなんで 頂きますか…』っていうもんじゃないですよね

若かりし頃は、おさづけをさせて頂きたくて、身上者や妊婦さんに声を掛けてました。
その時の『おさづけ』の説明を 全く知らない人には、 簡単に分かりやすく説明するのに『おまじない的な…』みたいに話してしまってました。
ちゃんとした用木なら それこそ御丁寧に話すのでしょうが、それをしていると 途中で相手がめんどくさくなって顔を曇らせます。
そうなると、押し売りになっちゃう気がするので、私は御丁寧な口上をしません。

けれども、させて頂く時には、そこが どこであれ、跪いて、神様と交信させて頂き、取り次がせて頂きます。

集中治療室。
入れなければ病室の前の廊下。
ファミレス入り口。
公園。
玄関先。
相手が了承してくださり、相手が人目を気にしないと仰る時には、私はどこでもさせて頂きます。
相手次第です。

何て言うんでしょう

その時だけは、相手と私との空間がベール?で被われてる?
守られてる?
そんな感じです。

とにかく 私にとっては とても神聖なものです。


おさづけ頂いた若い頃、取り次ぐ前の言上に、相手の住所と名前と年齢と身上を入れるって 誰に教えて貰ったんだっけな~、それとも、添い願いして聞いてる内に覚えたのかな~

今となっては おさづけ前に言う正しい口上?ってあるの?って、聞くに聞けない話だけれども、

私は そういう形式っていうか、台詞みたいに気持ちがこもってないようなのは好きじゃないので、お名前と御守護頂きたい身上の状態を、親神様教祖にお伝えしますけど
あとはその時に浮かぶ言葉でお願いさせて頂くんです。

それと、おさづけは、人間だけって教えて貰ってますが

私は 動物でも命あるものは 願いがあればさせて頂きます。

何故って

動物に おさづけをお願いするのは その動物を大切に思っている人間ですよね

おさづけを取り次ぐ事によって、その飼い主の心が 少しでも癒されるのなら するべきだと思うし、『動物は出来ないんです』なんて言葉は 私には言えません。

おさづけは、お互いの心が 感じ合える状況が 神様の望まれる事なのではないかと思うのです。

その想いが、手のひらに乗り患部に当てると温かい。
それが相手に伝わり、心へと伝わり、細胞へと伝わる。



大切な人が大病を患ったとする

自分に何が出来るのか と考える時に
医者なら現実的に精一杯出来る限りの治療が施せるのかもしれないが、普通は

そんな時に 神頼みとなり、『神』というものが頭に浮かぶはず。

人が絶体絶命の時に出る言葉は

『神様…』と『お母さん…』なのではないでしょうか…

残念な事に『おとうさーん』のパーセンテージは非常に少ないと思います。

私はね 大病を患っている人に何にも出来なくて 心を痛めるだけじゃなくて、私には おさづけがある。
お医者様と同じに渡り合える程の力を持つ おさづけを 取り次げる事がありがたい。
おさづけには それほどの不思議な力があると信じている。

神様との仲介人である事が誇りです。

自己満足だろうが なんだろうが それでも おさづけは、
我が身には出来なくて、人様の救かりの為だけのものだから
それを持っている私は、純粋な心を持つ限り おさづけのパワーは消える事はないと信じている。

色々あるけど、これからも取り次ぎ人として身上の救かり、心の救かりを願える人で ずっとありたい。




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