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トラウマのリセット〜ないフェスを終えて〜

POOLOフェスで気づいたことがある。

いたずら、楽しくない?

さきとの電話で「いたずら好きなところがまさきけんと合いそう」って言われた時、心外だと思った。

いたずらが好きだなんてことはありえない。
いたずらからは卒業していたはずだ、と。

にも関わらず、POOLOフェスの虫取り網でPOOLO生の頭に網を被せている写真が記録されてしまっている。
みくにんのnoteにも書いてあった。

めっちゃいたずらするじゃん…


POOLOフェスは何かの間違い。
いたずら卒業歴18年のはずなのだから。




いたずらとの決別は、小4のときに突如訪れた。

「やめて」

いたずらが通用しなくなった。

特に女の子から、本気で拒否され始めた。

数か月前まで、じゃれ合っていなかった?

男の子は相変わらず女の子にいたずらを仕掛け続けても、自分のように拒否されたりはしていなかった(ように見えた)。

むしろすごく楽しそうだった。いたずらし合っていた。

自分は、いたずらの矛先を失い、双方向コミュニケーションとして矛を向けられることもなくなった。

いたずらが異性コミュニケーションに変容したことを受け入れ、いたずらを卒業した。

当時は同性からのいたずらは嫌がられるのか、と結論付けていた(ので一旦ジェンダークラッシュしているというのは置いておいて)。
その点は一理あるものの、今となっては単純にいたずらをし合うほどに仲良くなかったんだとわかる。
そして、嫌だと思わせるようなことをしていたことを反省したい。



いたずらの本意は「仲よくしよう」だからだ。

小さいときは、言葉にできなくてどうしていいかわからなくて、いたずらするしかなかった。

いまはさすがに大人になったので、言葉も多少は使えるようになっている。
それでもいたずらをするのは、言葉にはない表現としての魅力があるから。

いたずらをすると、相手は戸惑ったり、驚いたりする。

張り詰めていた気が抜けて、自然と笑えてくる。

嫌がられたらおしまいなので大きなリスクも背負うことになるが、この瞬間的なゆとりが好き。

(嫌がられたらそれは嫌がらせになってしまうので、土下座するしかなくなるけど。)

いたずらの許容範囲は関係性や相手の許容度次第で、必ずしも良い反応になるとは限らない。

拒否されるのをビビりながら、嫌がらないでくださいと祈りながらいたずらしている気がする。特に自分の場合は過去に拒否されたことがトラウマのようなものになっているので、くだらないいたずらくらいしかできない。(激しいいたずらを見ると怖いなぁって良くできるなぁって思う。)

そう思うと、そんなリスクを積極的に負う精神状況がおかしく思えてきた。

さっき、言葉は使えるけど言葉にない表現だから~とか余裕をかましていたけど、結局、そんなリスクを背負ってまでするってことは、それしか手の打ちようがなくなっているんだろう。頭で考えて戦略的に仕掛けるようなことじゃないし。

POOLOフェスの虫取り網いたずらに関しても、それしかやること思いつかなかったんだよなぁ。

無意識につかんでいた虫取り網、人を捕まえる以外に使い道が思い当たらなかった。(手放せばいいだけなんだけど汗)

ただ、予想外にPOOLO生の変態ぶりがわかり、おもしろかった。

網をかぶせられたひとたちは思ったよりも拒否しなかった(嫌だったよ、ふざけんなという声が聞こえなくもない)。

・自ら頭を差し出す人(なんで?)
・歩いて捕まえられに来たひと(いつから網屋になった?)
・一回捕まえたのにまた捕まえられに来る人もいた。(がつがつ来られるともはや怖い。)

つまり、POOLO生は変態だということがわかった。

うそです。

仲よくしよう!をくみ取ってくれる、心の広い猛者たちだということがわかった。

ほんとうにありがたい。

無邪気にいたずらできるというありのままを許してくれ、つながりを拒絶しない場所であったことの証明だと思う。

網をかぶせた人の中にははじめましての挨拶すらしていない人もいて(主に4期かな)、「はじめまして仲良くしてね」と言えない自分の未熟さを和やかに受け止めてくれた。

この場を借りて感謝申し上げたい。

ないフェス、愛しかない。ありがとう。

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