未熟なぼくらはデートする


わたしたち夫婦はよくデートをする。幼子がいると2人きりの時間を作るのは容易いことではないのだが、それでもわたしたちはそれはもう隙あらばデートをする。

まずは深夜の密会。次に退勤後の待ち合わせ。そして、月に1、2回の本気デート。それら全てをデートと呼ばない人もいるだろう。しかしながら、世の中のほとんどの事柄は呼んだもん勝ちなので、わたしはこれらをデートと呼ぶ。よって、デートなのである。


しかし、わたしたちがいくらデートしたがりとはいえ、先程も申し上げたように、幼子がいる家庭はとにかく自由な時間がない。世界で一番自由な生き物と生活しているので無理もないだろう。彼女は世界で一番自由で、そして、世界で一番の成長を見せてくれる。いろんな意味で目が離せない。つまり、誰かに彼女を預けられなければ、デートが出来ない月もある。

そう!今回!わたしたちは1ヶ月半も本気デートが出来ていない状態だったのだ!

わたしたちが1ヶ月以上本気デートをしないでいると、どうなるのか。
愛は消えて無くなるのか、それとも想いが募るのか。イライラするのかハラハラするのか、はたまたムラムラするのか。似ているようで全く違うオノマトペ…。


結論から申し上げると、どうにもならなかった。喧嘩をすることも、不仲になることもなかった。少しわたしが太ったことは否めないが、デートをしなかったせいだとは言い切れない。何故なら今は新米の季節…ごはんに関する詩を書くほどにごはんが大好きなので、気になる方は是非わたしの作品を読んでください。

本題に戻ろう。デートをしなくても問題がないのなら、面倒くさがりのわたしたちはもうデートをしなくなるのではないか。答えはNOだ。しろくまに小豆がないと味気ないように、わたしたちの日常にデートは不可欠である。久々のデートを終えた今、強くそう思う。


では振り返ってみよう。


10月某日、久しぶりのデートは、みなとみらいで行われた。横浜みなとみらい。独断と偏見のみで申し上げるならば、そこはもう恋人たちがデートをする為の街である。わたしたちはクイーンズスクエアでウインドウショッピングをし、グランモール公園を練り歩き、冗談を言い笑い合いながら、久々のデートを謳歌した。もちろんわたしはいつもよりうんとお洒落をして、いつもよりしっかりとメイクをし、いつもより背筋が伸びていた。本気である。

そして1時間ほど経った頃、意を決してわたしは言った。


「次何かしたいことある?」


夫はにこやかな表情のまま少し思考を巡らせ、控えめに空を仰いでこう言った。


「みんなデートって何してんの…?」

「たぶん、ほら、なんか…いろいろよ。」

「いろいろ…色々って何?デートって…何?」


……お分かりだろうか。もう何百回もデートをしてきたふたりが、デートそのものの概念すらわからなくなってしまったのだ。たった1ヶ月半で。由々しき事態である。

わたしたちは道端のベンチに腰掛け、スマホで検索した。【横浜 デート】【みなとみらい デート】そうしてGoogleが導いてくれるのは数々のデート名所だけで、デートの内容まではわからない。恋人たちはそこへ行き、何をするというのだ。


「おしゃべりじゃない?恋人たちはとにかく何処へ行ってもおしゃべりをするんじゃない?とにかく相手のことが知りたくて知りたくてたまらないのよ。」

「それだったら家族は365日デートをしていることになる。家でだけど。」


結論は出なかった。とはいえ折角義父母が娘を預かってくれているので、とにかくデートっぽいことをしたかった。欲望は膨れ上がったものの、中身はまるで無色透明無味無臭で、わたしたちはこの風船のような気持ちをどうしようかと、強く抱きかかえたままうんうん唸った。

そんなわたしたちを尻目に、ハロウィンの仮装をした(させられた?)犬たちと妖怪のような格好をした貴婦人方が何匹も何人も楽しそうに通り過ぎていった。

「犬好き?」

「どういった用途で?」

「鑑賞」

「芝犬に魅力を感じる」


ついつい検索する手を止め、そんな会話を挟むと、わたしたちはひとつの結論に至った。何かに刺激されることで会話は生まれるのだ。

そうして、目的地も定まらないまま、わたしたちは未だ見ぬ何かを探しに行くことにした。


広い道では手を繋ぎ、人混みでは腕を組み歩いた。道中、フリーマーケットに遭遇しては「恋人たちはフリーマーケットに行っているのではないか」と話し、中華街をぶらつけば「恋人たちは食べ歩きをしているのではないか」と話した。何度もしたはずの好きな食べ物の話をして、ところどころ忘れかけている昔話をお互いに補完し合い、ふと立ち止まって、面白い形の雲が浮かぶ空の写真を撮った。寒さに震えながら店員一押しのタピオカドリンクをもちゃもちゃと飲み、また冗談を言って笑い合った。

そうこうしているうちにいつの間にかすっかり調子を取り戻し、横浜駅に辿り着いた頃にはもう「デートとは何か」を口にすることもなく、わたしたちはその場の勢いだけでゲームセンターに入った。紙幣が何枚か硬貨に変わり、更に景品に替わったらよかったがそれは叶わず、ルールもよくわからない娯楽は硬貨を飲み込んではわたしたちの笑顔と会話を生んだ。







「デートどうだった?」


日が暮れ、待ち合わせ場所で待っていた義父母に尋ねられた。娘はすっかり遊び疲れて、買ってもらったお菓子をむんずと握りしめたまま義父の腕の中で眠っていた。


「すごく楽しかった!ありがとう!」

「そう、よかったね。何したの?」


わたし達は何をしたか説明する言葉がすぐに出ず、思わず笑って、こう答えた。


「なんかいろいろ!」


未熟なわたしたちはデートの仕方を忘れても、何度だってデートをするのだ。





読んでいただきありがとうございました。とってもうれしいです。またね。