エクストリーム日本史(戦国時代〜江戸時代編①)

中田敦彦のYouTube大学を観て、うわ〜めちゃめちゃ面白いなーて満足感に浸るも、思ったほど内容を理解できていない…
かといってもう一度動画を見直す時間もなかなか取れない…(どんどん新しい動画がupされていくから次の動画観たいし‼︎)

そのような思いから動画内容を更に要約し、ピンポイントで動画を見直せるよう項目ごとに再生時間の目安をまとめました😆

今回の動画では、2人の人物に焦点を当てて構成されていました👇

《人物》
①織田信長
②豊臣秀吉

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記とリンク
○全動画時間→18分19秒
①→3分35秒から
②→11分10秒から

《織田信長の物語》
織田信長という人物を一言で表すと「バイオレンス&イノベーションの人」。暴力的ではありましたがやることなすことが新しかった。
 バイオレンスな部分は多々ありますが、その中でも有名なのが仏教弾圧です。武装化した仏教徒達を比叡山延暦寺もろとも焼き払ってしまいました。
 イノベーションとしては大きく2つの分野で改革を起こしました。一つめは軍事改革です。新兵器となる鉄砲を戦いに導入。そして傭兵というシステムを生み出しました。今までは農業をしていた者達を集め兵士としていたので農業の繁忙期には兵が集まりませんでした。(その為に戦が行われる時は農業の閑散期が多かったそうです)それを戦闘専門部隊を金で雇いいつでも兵力を集められるようにしました。
 二つめは合理的人事です。古参であっても実績を出せなければ上に上がることができない成果主義を取り入れました。その為に豊臣秀吉のように成果を上げる者は生まれ家柄に関係なくどんどん出世していきました。そうして実力で出世していったうちの1人である明智光秀に本能寺で討たれてしまったのが日本史上最大の下克上である本能寺の変です。

《豊臣秀吉の物語》
豊臣秀吉という人物を一言で表すと「スピード&コミュニケーションの人」。農民出身から登り詰めた人物です。
 その判断スピードは群をぬきます。織田信長が討たれた時には山口の毛利氏を攻めていましたが、織田信長の仇を討つ為に信長の死を隠して和睦交渉をまとめ、わすが5日で岡山〜京都まで戻り誰よりも早く光秀と戦い、仇討ちを果たしました。(この驚異的な早さの大移動を中国大返しと言います)
 そして、信長の後継者を決める清洲会議では秀吉のコミュニケーション力が発揮されます。後継者候補として上がっていたのは信長の次男と柴田勝家の推す三男で争っていました。(長男は既に亡くなっていた為)実力では三男の方が上だった為に三男が有力かと思われていましたが、清洲会議の裏で根回ししていた秀吉は長男の子供(三法師)が正当な後継者だと言いました。そうして、秀吉は三法師を抱いて皆の前に現れます。皆は三法師に頭を下げるものの、その絵柄は秀吉に頭を下げているように写り、柴田勝家にとってはこのうえない屈辱でした。これにより秀吉側と柴田側での派閥争いが過熱していくのでした。

【中田敦彦のYouTube大学】ついに戦国〜江戸時代編に突入!中田敦彦のエクストリーム授業!織田信長・豊臣秀吉が登場!

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