エクストリーム日本史(鎌倉時代〜室町時代完結編)

中田敦彦のYouTube大学を観て、うわ〜めちゃめちゃ面白いなーて満足感に浸るも、思ったほど内容を理解できていない…
かといってもう一度動画を見直す時間もなかなか取れない…(どんどん新しい動画がupされていくから次の動画観たいし‼︎)

そのような思いから動画内容を更に要約し、ピンポイントで動画を見直せるよう項目ごとに再生時間の目安をまとめました😆

今回の動画(後編)では、3つのカテゴリーに焦点を当てて構成されていました👇

《カテゴリー・人物》
①楠木正成
②足利尊氏
③足利義満
④足利義政

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記とリンク
○全動画時間→20分00秒
①→0分00秒から
②→3分00秒から 
③→6分15秒から
④→13分40秒から

《楠木正成の物語》
幕府に属さない侍である悪党、楠木正成は幕府からその首に懸賞金を掛けられていました。
 そうして千早城にて楠木軍と幕府軍の戦いが始まります。人数で圧倒していた幕府軍は楠木正成の奇策に翻弄され全く城に攻め込めず兵を失っていきました。
 篭城すること数ヶ月、各地で倒幕の動きが活発になり(楠木正成の思惑通りと言われている)幕府軍は撤退し、楠木軍の勝利となります。

《足利尊氏の物語》
足利尊氏は六波羅探題を攻め抑え、新田義貞は関東を攻め北条一味を集団自決にまで追い込みました。
 そんななか、後醍醐天皇が建武の新政を断行するも武士達が抵抗し、その抵抗した武士達が足利尊氏のもとに集まり室町時代の幕開けとなる南北朝分裂が起こります。60年もの間戦いが続きますがその争いが終わらぬまま、後醍醐天皇が死に、足利尊氏も死んでしまいました。

《足利義満の物語》
南北朝を合体させ争いを止めたのが足利義満です。そして南北両側にいた天皇を交代で即位するようにしました。また、明(中国)との日明貿易を始めたのも義満です。この貿易は明側から倭寇(ワコウ=海賊)の取締りを依頼され、その代わりに貿易をさせて欲しいという交渉の末に成立しました。そしてこの貿易がキッカケで文化が花開きます。
 元々、関東にいた武士達が京都に近いところで室町幕府を開いたことで武家の無骨な流れと朝廷の優雅な流れが融合し新しい文化が生まれました。その代表格が金閣寺です。また、「能」を大成させた観阿弥・世阿弥を後押しをするなど、義満は文化発展に大きく貢献しました。(北山文化)

(足利義政の物語)
義政の時代には農民の組織的な一揆や堺の商人達が堀を作って刀を持っている者などを入れないようにする自衛都市が現れました。
 義政は政治よりも芸術の方に関心が大きく銀閣寺を作るなど文化の発展に力を入れました。
 そんな義政ですが妻である、日野富子との間に子供が出来なかった為に義政の弟の子を次期将軍にする約束をしていました。しかし、その約束をした後、皮肉にも日野富子は義政との子を授かり男の子を産みます。日野富子は約束を放棄し、自分達の子を将軍に就かせる為に有力な武将達を味方につけます。そして、それに反対する武将達との代理戦争が「応仁の乱」です。母の愛が国を乱してしまったのです。この戦いが戦国時代という乱世への幕開けとなりました。

【中田敦彦のYouTube大学】鎌倉〜室町時代完結篇!足利尊氏vs後醍醐天皇・芸術芸能の発展・母の愛が日本を揺るがす大事件「応仁の乱」・そしてついに戦国時代へ

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