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Inahouse 2011 ~秘密基地~

 初めてのInahouseの制作、制作というよりは子供のころに秘密基地を作るような感覚だった。その頃は今のようにInahouseと銘打って始めたわけでも、このまま2050年まで小屋を作り続けると決めたわけでもなかった。ただ大学の野外音楽堂という広場の片隅に居つくところから始まった。
 ボクが学部時代を過ごした横浜国立大学は森に囲まれて自然は割と豊かな場所だった。大学に入学した年の夏の初め、カブトムシでもいないかと構内を散策しているときにこの秘密基地を作った場所に出会った。残念ながらカブトムシはいなかったが、昼間から羽化している、青白く光るセミがいた。「あぁこれは神聖な場所だ。」こんな場所を見つけられてラッキーだと思った。
 大学の食堂というのは、昼休みの時間になると混雑して、入学したてのボクは困っていた。そこで晴れた日はセミが羽化していたその空間で昼食を食べることにした。ものを食べるには机がいる。椅子がいる。そういった具合にゴミ捨て場やその辺に落ちているものを拾ってきては有効に使わせていただいた。はじめのうちは自分だけが見つけた特別な場所という感覚が少なからずあり、大学構内に自分の場所を持てることが、安心であった。
 しばらくすると不思議なもので、いい場所を見つけると、開拓していくと、他人にも教えたくなるもので、大学の友人を呼んできてはその場所を紹介した。みんなでご飯を食べたり、その辺の枝を使って棚を作ったり、段ボールと模造紙で作ったキャンバスでお絵かき大会をしたり、食器や靴やコンクリートブロックなど器になりそうなものを持ってきて種をまいて野菜を育てたりもした。友人たちが持ってきた週刊誌やお菓子やペットボトルなんかが蓄積されていくのが、部活動の部室のようで面白かった。
 大学のオープンキャンパスが開かれるときには、他のクラスメイトと協力して、写真と、先の段ボール絵画の展示をし、お菓子を用意して、受験を考える高校生やその親御さんを招き相談会をした。
 そんなこんなとしているうちに季節が過ぎ、種をまいたサニーレタスやシソも育ち、秋が来て冬が来て、寒くなると少しずつこの秘密基地に通う頻度が落ちてきたころ、置いてあったガスコンロが危険だということで大学事務から撤去の命令をもらった。これはいけないと反省をしながら撤収を開始し、簡単に撤去できるような小屋の構想を練りながら、Inahouse 2011は幕をとじた。

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