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踏切_XIII

私の記憶もどうかしているが、とりあえずは書いておこうと思うのだ。改変された記憶だろうが知ったことか、「事実じゃない」だろうが知ったことか、その事実はいったい何処にあるのだろう。

もうずっと以前のことだ。母が倒れて入院し、いろいろあって脳に損傷を負い寝たきりになった母を父がたぶん強引に退院させて実家で暫く面倒を見ていた。母とのコミュニケーションは難しかった。その父が斃れて入院した時、私は実家でそのメモを見つけた。
母はエンシュアで生きていた。大量のエンシュアの空き缶が台所にあった。それはうんざりする程の量だった。その頃、私はまだエンシュアの名前を知らなかった。つまり父が入院したので母の面倒をみる人がいなくなり、しかたなく母もまた入院することになった。
そのメモは茶の間に無造作に置いてあり、最近まで何度か改変された痕があった、線で消されたり新たに文字が追加されたり、寺の名前が羅列してあった。それが何を意味するのか私にはすぐ分かった、四国八十八ヶ所の寺の名前だと思った、実際そうだった。父は行こうとしていたのだな、私はそう思った。

病院で意識を戻した父に私は聞いた。「行ってる間、母さんはどうするのさ?」。父は何でも無いことのように、何を言っているのだお前は?的な口振りでこう応えた。
「一緒に行くのさ。」
そうか、そうだったのか、そうだよな。私は驚愕したが自分を恥じた、何も分かっちゃいない、私は何ひとつ分かっていないのだ。

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