見出し画像

正解って何だよ、

 風呂に入りながら、ふと考えたことを書く。私は、バイトで学校の勉強を教えているのだが、よく、「こんなん勉強する意味ないわ」とか「これを頑張って理解するより、外で遊んだ方がええ」といって、授業を放り出したくなる時が来る。というのも、どうも、今の勉強というのは、不自由で、そしてどこを向いているのかがよく分からないからだ。これは別に、批判をしたいわけではない。勉強は、結構好きだし、今でも、いろんなことを勉強しようと机に向かうことはある。しかし、私の思う勉強と世間での勉強はその本質が違うように思えてならない。
 


 世間での勉強というと、テストの点数を取るであったり、資格を取るであったり、推薦を得ることが主眼に置かれることが多い。それらの理由を突き詰めていくと、そこには、「良い収入を得るため」「大企業に入るため」という肩書や物質的なものを追い求める欲求が見え隠れする。こういった欲求は、おそらく、ほとんどの現代人が持つものであるだろうし、もちろん、私にもある。
 しかし、こういった物資的なものは、人に何かしてくれるわけではない。札束の山を築こうが、大企業の社長になろうが、結局のところ、それは、何かを始めるための道具である。つまり、物質的なもので得た自由をもとに、何がしたいのかが重要だ。そして、そういったその人間の思想に関する部分を、学校の勉強というのは、全く教えてはくれない。

 「何のために勉強するのか」という疑問のは、おそらく、ほとんどの人が通ってきた道だと思う。実際に、バイト中に生徒によく言われる質問である。多分、大多数の人は、この疑問に対する明確な答えを得られないまま、学校を卒業するだろう。そして、受験を乗り越えるために、とりあえずのところ、「大学に行くため」とか「みんなやっているから」とかそういう理由を考える。そうして行き着くのが、物質的な欲求である。

 これとは別に、不思議なことを経験したことがある。それは、飲み会で、失礼な奴に「お前、彼女おらんの?」と茶化された時だ。最初のうちは、おもん無い冗談をいうやつやな、と適当にあしらっていたのだが、そのうち、その相手に対して、一種の虚しさというか悲しさを感じ始めた。というのも、彼の中には、「彼女がいるのかどうか」は、一種のステータスなのだと気づいたのだ。本来、恋人がいるかどうかは、個人の自由であり、恋人という存在は、なくても良いものである。それでも、「恋人がいる」ということ自体が目的化することは確かに多い。「好きな人がいないけど欲しい」なんていう状況はまさにその典型だ。私が高校生の頃は、恋人がいる状態を、リア充(リアルが充実)といったものだった。今になって思うと、これは異常で、完全に、恋人がいるかどうかが人生を分けるステータスであると考える表現だ。
 それ以外にも、現代では、SNSアプリが流行していて、友達がOO人、というふうに、数字で表されるようになっている。こういう友達が何人いるのかを表示するのは、ステータス化の表れなのではないか。または、ツイートや、投稿にいいねが何個着いたのかが表示されたりする(余談だが、いいねが欲しくて、SNSを見たり、投稿したりするのは、心理学では、オペラント 条件付けと分類される。これは、ラットがエサ欲しさに、レバーを押すのと、原理は同じだ。私もよくラット のようにSNSを開く時がある)。あるいは、Youtubeを見ていると、出会い系アプリの広告が大量に流れるようになった。我々の世代は今大流行で、とにかく、こういった広告が出るたびに、そのしつこさにイラッとくる(笑)。こういった、アプリも、何となく人と繋がりたい、人気者になりたいというステータス欲求からくるのだろう。

 こういった、「物質的な欲求のために勉強する」とか、「対人関係がステータス化」するという考えが生まれるのは、その根底に、共通の理由がある気がしてならない。それは、自分が何をやりたいのかを深く考えなかったからではないだろうか。バイトで勉強を教えていると、どの問題にも、当然だが、答えが存在する。しかし、この答えがあるというのが曲者で、それを通して、どんなものにも、絶対的な正解があるという考えを、刷り込んでいるように感じる時がある。そんな状態で学校生活を過ごすと、みんなの指示を集めている(みんなの人気者)であることが素晴らしいという考えが生まれ、その結果、対人関係のステータス化が起きるようにも思われる。 

 今の社会は、コロナ の流行で社会の暗闇の中にある。しかも、そんな流れとは別に、10年前は聞いたこともないような仕事が現れている。ゲームが好きでYoutubeでプロゲーマーの配信を見ることがあるが、すごいペースで、稼いでいる時がある。私が小学生だった頃は、ゲームをやるというのは、とにかく何にも繋がらないことだったが、今や、それで、生活している人がいるぐらいだ。20代の私ですら、そう感じるのだから、社会全体の変化する早さというのは凄まじいだろう。

 そう考えると、「大学行って、就活して・・・」という常識も、古くなる日が来るのだろうか。こないかもしれないし、起業してどうのこうのと言いたいわけでもない。何をするにしろ、自分の精神的な部分に、耳を傾けていくことが最も重要だろうと、湯船の中、夜の静けさの中、思ったのだった。

よかった点や悪かった点をコメントしてくれるとありがたいです。いいねも

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?