football-max顛末

 2021年1月末をもってfootball-maxは閉店することになりました。
2003年の1月創生から、18年間、終わりまでやってきた店主、敗軍の将としてfootball-maxの歴史を書き残しておきたいとおもいます。

 1998年に前職を退職し、2000年に起業し、最初のビジネスが泣かず飛ばずで、生きていくために、ECの会社の受託開発などをやりはじめていた、2002年の秋頃、銀座のオフィスをサポートしてもらっていたQBハウスの会長が、シンガポールで面白い子がいるから紹介したいとのことで、I君を紹介してもらいました。
 I君は、シンガポールでアルビレックス新潟シンガポールの立ち上げをやっており、サッカー留学の商売もしておりました。I君から、「シンガポールでは日本よりサッカーのユニフォームが安く売っているから輸入して日本で売ったら売れるんじゃないの?」といわれ、そのころECが流行りはじめていて、なにか商材があればECやりたいとおもっていた私と意気投合して、一緒にECサイトでサッカーのユニフォームの販売を始めることになりました。
日韓ワールドカップでサッカーが一番盛り上がっている時期でした。
 その当時、ユニフォーム日本で8千円程度の商品が、為替もあって、シンガポールで4-5千円で売っていました。20%引きで1枚売れたら、2000円くらい儲かるね。。なんてしょうもない計算で。。

 店名のfootball-max のmaxは I君と私の趣味で、アイドルグループのmaxからとりました。(本家はまだあるようです。)

 早速、35万円ずつお金を出し合って70万円の日本円とトランクを抱え、シンガポールに飛びました。

 インド人街で、レートの良い交換所でさらに交渉をして、70万円をシンガポールドルに変え、すごい札束持って怪しいサッカーショップへ。目利きのI君が、適当にユニフォームあさって、怪しげなインド人に、「こんだけ買うから、負けてくれませんかな?」とおねがいしたら、OK、リスト書け!と紙わたされて、たくさん書いて、70万円分ユニフォームかってトランクにつめて、帰国。

 ECサイトは、他人の書いた簡単なphpのカート使って、あとはHTMLをゴリゴリかいて、ささっとつくることに。。1週間くらいでつくった気がします。

 まずは集客が大事だということで、チラシをつくって1000枚コピーして高校選手権の決勝の地、国立競技場へ。競技場前で、ササッと撒いて終了。

市船vs国見 カレン・ロバートと平山相太がいました。決勝を見たあと、都内の大学を回って、掲示板にチラシを貼って回りました。

 そして、サイト公開翌日から、ユニフォームは売れ始めました。ACミラン(H)6990円!安い! クロネコヤマトに値段交渉して、発送開始。

 またたく間に、全部売れたとおもいます。シンガポールにいるI君にユニフォームを送ってもらって、自転車操業のはじまり。

ユニフォームは売れます。楽しい。。HTMLでサイトつくってられないので、ECshopという韓国のカートシステムに変更。後にこれをGMOが買収して、Makeshopになりました。

 順調になってきたので求人開始。M君という子が、はいってくれました。
M君優秀なので、任せきり。全部やってくれました。 でも、あまりにも大変で、M君途中で退職。ところがM君の次の職場がもっとブラックだったおかげで、M君帰ってきました。

 どんどん売れるユニフォーム。次第にシンガポールだけでは足りなくなってきたので、国内の仕入先を探して連絡。S社と取引が開始できました。

このころ、I君とそりがあわなくなって、最初の出資の何倍かを払って共同経営を解消しました。

 そして、膨れ上がる在庫!小さなオフィスがパンクして次のオフィスに移転。それでも在庫でパンパン。そのころは展示即売回ということで、事務所に買いにに来てくれる子もたくさんいました。万引事件もありました。

人も徐々に、雇うことができ、3人体制に。
在庫が溜まってお金が尽きること多数。銀行の残高を集めまわって、一番残高が低いときで、会社の月末残高8万円くらいになったことも。。

そこで、お金を借りることを学び、はじめての借金。
親に保証人になってもらい1000万借りました。

 楽天やYahooショッピングなどのモールに出さない代わりに、広告にはお金をつかいました。ワールドサッカーダイジェストには広告がだせないので最初は、ワールドサッカーダイジェストエクストラという雑誌の白黒広告を10万円で出稿。その後ワールドサッカーダイジェストに出せる用になったときは、感動しました。最盛期は憧れの、雑誌Numberの表3にも出せました。

 徐々に競合他社からもマークされ、S社との取引がとまってNikeが仕入れられないピンチにも陥りました。M社にひろってもらい、一息つけることができました。S社とこのころからつづけていられれば、シューズなどもできたのにと、悔やまれます。

 シンガポールのインド人とも、仲良くなって、買いかけで商品を買えるようにもなってきました。 1年に1回程度シンガポールに仕入れ&挨拶にいっていたのですが、ある時、さんざん接待してもらったあとで、「おいユニフォーム1万枚買え!」と凄まれました。「ガクブル・1万枚は買えまへん。」といいましたが。「1枚20ドルで5年払いで買え!」 と言われ。。ちょこっと電卓叩いて、まぁいっか、払えなかったら、ごめんねといって、仕入れることに。 送られてきた1万枚のユニフォーム、120箱 置き場所ありまへん。。横浜の友達に連絡して工場に一時おいてもらうことに。
 無事に売り切ってお金も払いきって、シンガポールのインド人の、3人のご子息の結婚式に3回招待してもらい、自分の結婚式にもきてもらえるような仲になりました。今はそのご子息が代表。

 印象にのこっているのは4年に1度のワールドカップ商戦と年末の福袋です。ワールドカップでは勝ったチームがうれるので、勝つチームを予想して事前に仕込んでおいたものが売れまくると、テンションが相当あがりました。2006年のイタリア代表を当てたのが、今でも印象的です。2010年のスペインも当てたかな。麻薬ですね。逆に仕込んでおいたものが負けると悲惨ですが、これらは見て見ぬ振りをしてしまったかもしれません。
 予想外のチームが勝ったりすると非常に困りました。ユーロでギリシャが勝ったときは電話がなりやみませんでした。

 福袋は、溜まった在庫をさばく年に一度の最大のチャンス、バカ売れして最初のころは夜中まで作業しないと発送しきれない状態がつづきました。1万枚購入したユニフォームのおかげでお客さんに笑顔をとどれられていたと思います。

 在庫と戦い続け、2010年ころに新川の70坪のオフィスに移転。
これで置き場解消。更に売上も、社員もふえていきます。
 そのころ、部活などのチーム向けのECサイト、teammaxを開始しました。これがすごい勢いで伸びていき、football-maxとおなじくらいの規模になっていきました。

 国内には無い、より面白いユニフォームを仕入れることでもっと売れると考え、シンガポールの成功体験をもとに、アメリカはカルフォルニアにいって、同じように仕入れ。。往復3万円の大韓航空のチケットでいって、一泊20ドルの宿に泊まって、コスト10万円。10万円以上の差益をだすために50万円以上は仕入れるなど。南米のユニフォームは売れました。

 それから、イタリアにも飛びました。ドイツにも。イギリスにもスペインにも。香港にも。イタリアには、中田ヒデやデル・ピエロなどの選手着用のものがたくさんありました。
 インザーギやカカー、ガットゥーゾのいた、ミランvs中田が出たフィオレンティーナ戦も見に行けました。ドイツではバイエルンvs内田のでてたシャルケの試合とか。イギリスでもトットナムの試合も見ることができ、欧州のサッカー文化を肌で感じることができました。

 2014年頃、あっというまに、新川も狭くなってきて、東陽町180坪に移転。更に在庫がもてるように、なってしまいました。

 2017年ころ、絶大な信頼をおいていたM君が退職。そこからfootballmaxは転げ落ちていきました。

 小さな頃は、メーカーさんも多様な売り方に目をつぶってくれていましたが、大きくなってくると、競合店からもマークされいろいろと売り方にも注文がつくようになってしまい、お店の魅力が減っていったこと、また海外からの安い商品の仕入れも減って、他のお店との差別化ができなくなり、以前より売上は伸び悩んでいました。
  それに加え。エースのM君の中にあった在庫さばきの術は、属人化しており、他にもスーパーだった、M君の働き方をできる人はだれもいませんでした。レプリカユニフォームの値段の高騰、市場自体の低迷もあったかもしれません。
 チームユニフォームが売れていたこともあって、プレイヤーの商材に手を出したのも間違いでした。仕入れの勘がないのに仕入れてしまい、在庫ばかりためてしまいました。商品が、腐るものでないので、期ごとに商品を消してく意識が低すぎました。

 迷走するfootballmaxの売上は落ち続け、赤字は増え続け、2019年footballmax存続するかどうか?判断することになりました。結論は、運営チームを小さくして損益分岐点を下げて継続でした。11月から新チームで、海外物を中心の販売に、順調に進めていた矢先、コロナ騒動が始まりました。

 2016年ころにはじめた、屋台骨となっていたteammaxの売上もコロナで激減し、さすがにこのままでは、会社が潰れるとと判断し、2021年の1月に閉店することを、決断いたしました。

 私としては、非常に思い入れのある祖業に近い事業であり、そもそも毎年新しいユニフォームを仕入れて売るのは、楽しいことであったので、なんとしてでも続けたい事業でしたが、ここに力尽きました。

 オールド・ユニフォームファンの方にしか、わからないかもしれませんが、思えば一斉を風靡したワールドスポーツプラザがなくなり、ベストがなくなって、フットサークルがなくなり、スクデットがなくなり、ついにはfootball-maxがということになりました。
 今後football-maxのお客さんの皆様のユニフォーム購入は、KAMOさん、FcFAさん、SWSさん、キシスポさんにお願いするしかありません。同業他社の皆さんには、ユニフォームファン達の希望を叶え続けてほしいです。
 そういえば、本文にでてきて、一緒に立ち上げて、途中で袂を別れたI君は、ドンバロンという、超レアなユニフォームのお店を、今頑張ってやっていて、成功しています。

 長い間、football-maxでユニフォームを買ってくれた皆様には恩しかございません。始めた、その日から終わりの日まで1枚も売れなかった日はございません。一緒に立ち上げたI君。ほぼゼロから、football-maxを大きくしてくれたM君をはじめ、今も銀座時代から働いてくれている当社社員、途中で入って頑張って働いてくれ、やめていってしまった社員、アルバイトの皆様、最後のバトンを力強く振り続け有終の美を飾ろうとしてくれている責任者N君率いる現チームたち。メーカーの皆様、シンガポールのインド人、卸各社の皆様、本当に、感謝いたしております。ろくでもない店主、社長だったとは思いますが、いつか許してもらえるよう、頑張ってまいります。

 なお、footballmaxは2021年1月末をもって一旦終了しますが、当社ディライトフルはチームユニフォームのteammaxを、今後サッカーショップKAMO様と共同運営を開始し、KAMOteammaxとして引き続き、日本中のお客様に笑顔を届けるべく、やってまいります。今の所なにも決まってませんが、footballmaxが、復活する日が、くるかもしれません。

 また、当社のSaaS事業の、める配くんが好調ですので、これも拡大してまいります。footballmaxは一旦なくなりますが、footballmaxの魂をもった、チームディライトフルは引き続き、今回の反省も糧にして、前向きに考えながら、がんばってまいりますので、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

またこれを書いている時点で1/31日まで閉店セールやっているので、間に合えば絶対原価割れで安いので覗いてみてください。

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