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才能って青い鳥やユートピアみたいに語られませんか? でも、「適性があり人より抜きん出ていること」なら、皆んなの日常にあります。

才能は様々な人が別々の定義で扱っている気がします。結論を言うと、仮にイチローほどの能力と実績のある方でも、甲子園・日本のプロ野球・メジャーリーグが存在しなければ、実績を出せません。機会と環境が無いし、評価は他人がするものだから、

僕は専門家ではないので、遺伝と環境が才能にどの程度関係するかを、データを元に説明することは出来ません。代わりに、私の人生経験から、発言します。

まず、幼い子を観察すると、向き不向きがありますよね。体を動かすことが好きな子は、どのジャンルか分からないけれど、スポーツに向いている可能性があります。対して、ピアノのお稽古に通っている9歳の小学生が、お家で言われなくても自主的にピアノの練習が出来るなら、ピアノ向いてますよね。絶対音感があるなら、なおいい。

だけど、スポーツを野球で考えてみると、少年野球のエースなのか、甲子園を目指せるのか、甲子園で活躍したのか、プロリーグにスカウトされるのか、メジャーリーグで活躍出来るのかは、能力と競争相手と市場の規模が関係しますよね。才能があるか、挑戦してみないと分からないのはこの部分。

イチローは野球が向いていて、能力も突出して高く、競争をしても勝てるし、野球の市場は観客も多いし競技人口も多いです。もしも、イチローと同程度の能力の選手が、どのチームにも何人もいたとしたら、競争で勝つのは難しいでしょう。また、野球の人気が全くなくて、テレビもネットも競技を放送しないし競技人口も少ないとしたら、あれだけの実績を出すのは難しいと思います。環境がないのだから。

ピアノも同じで、音大に入ることも大変だけど、世界的なピアニストになることが出来る人は限られますよね。

才能は「向いていることを積み重ねてどうなったか」に関する様々な要素を含んで語られることが多いです。

向いていないことでも目標を達成するには、やるしかないことはあります。大学受験とか、資格試験とか。対して、目標を立てるなら、自分の向き不向きや適性は考えた方がいいです。体を動かすことが好きなのに、デスクワーク中心の仕事を選ぶのは、向いていないかもしれません。あるいは私のように、もともと聴覚が鋭くて、電話で拾える情報量が高いため、お客様窓口の業務は向いていますし成績もいいけれど、ストレスに弱い個性を生まれつき持っているのと、聴覚過敏の症状が出たため、役割を変えた方がいいケースもあります。

悩ましいのは、メジャーリーグへ行きたくても、趣味の草野球が上手くいかないのなら、現実的ではないということ。言葉に関する才能や能力は、とくに評価が難しいと思います。純文学の世界だけでなく、noteのユーザーを含めて、読者より表現したい人が多い逆転現象が起きていると思うから。「そこそこ上手い」人がいくらでもいる状況で、どう競争して実績を出すのでしょう。

市場と例に出しましたが、市場が全てではないことは、宮沢賢治やゴッホが証明しています。だけど、時代の先を行きすぎているだけで、次の世代は追いついてくると信じられるとしたら、それこそ「才能」かもしれませんね。

「才能」というと天才しか持っていない気がするけれど、例えばコールセンターで,人の3倍対応出来る人とか、激怒するなど感情的なお客様を刺激せずにお話を聴くことが出来る人とか、とにかく人が好きで不機嫌なお客様が機嫌良くなって帰るくらい「機嫌の良さ」に巻き込むのが上手い人とか、天才と呼ばれないけど、仕事に向いている人、適性のある人は沢山います。どれも教えて出来ることでは無いので(訓練すれば、近いことは出来るけど、別物です)、「才能」だと思います。

実績を出す場所も機会もあるけど、残念ながら、どんなに接客が上手くて「よくぞうちに来てくれた」と思うような人材であっても、メジャーリーガーのような経済的成功も名誉も得られません。これは、「市場」が無いだけでは無いでしょうか。「市場」を開拓して、講師やコンサルタントになる道は、あると思います。

以上のことから、才能は誰でも持っているし研鑽することも出来るけど、個性の一部のようなものだから、絶望的に野球には向いていないけど絶対音感があるからピアノなど音楽の道は向いているけど、本人は野球が好きとか、「片思い」が起きるのも人生ですね。

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