星の舞う夜に/ミナトシリーズ

7月7日、星舞いの夜。ミナトはここ、明かり採り《あかりとり》名所【銀の谷】に来た。
 目的は明かり採りでも観光でもない。明かり採りの名人で幼なじみの七夕(しちゆう)が、すごいものを見せてやるから来いと言うので、来た。理由を聞いても内緒の一点張りで、行かないといえばしょげる。けっきょく、ミナトは七夕に負けて誘い出されたようなものだった。
「まあいいけどね」
 釣り竿を持って明かり採りに来た人たちの間を、ミナトは手ぶらで進んでいく。明かり採りはしたことがあっても、ここははじめて来た所だし、しばらく会っていない旧友の顔も見たかった。それだけでも来た甲斐があるというものだ。

 にぎやかな屋台通りが途切れてしばらく歩いた所に、中央窓口があった。採り具屋店主の言ったとおり、確かに大きすぎる看板を背負って申し訳なさそうにロッジが建っている。
 ロッジの窓口前でふたりの地上種(ちじょうしゅ)が話し込んでいた。彼らの足元にはそれぞれ小さめのクーラーボックスと投網をおいてあり、明かり採りのプロだとわかる。投網を使う明かり採りはアマチュアにはむずかしすぎるからだ。プロの片方はパンダうさぎの頭をしており、片方はぼさぼさ頭にバンダナを巻き年季の入ったアウトドアジャケットを着て、こちらに背を向けて立っていた。
 このバンダナ男が七夕だとミナトはすぐわかった。きっと今も自分のトレードマークだとか言いながら無精髭を生やしているに違いない。同い年の自分と並んでも5つは老けて見られている彼をまたひやかしてやろうと、ミナトはわざと昔の呼び名で声をかけた。
「しっちゃん」
 パンダうさぎ氏が耳を動かし、七夕がふりむく。
 その顔にミナトは驚きの声を上げた。
「ああっ!!」
 旧友は太い眉とくっきりした目元を持ち、髭を剃りおとして、こざっぱりとしていた。顔のラインをふちどっていた髭がないおかげでより昔の面影を浮かばせて、顔をくしゃくしゃにして笑う所なんかあの頃のままだ。
「ようミナト、ひさしぶりっ。まがいモノ買わされなかったか?」
「しっちゃん! ひげ! ひげ!」
 七夕は挨拶を聞いていないミナトをにらむ。
「んだよ、ひさしぶりだってのに」
「剃った! 剃ってる!!」
「どいつもこいつも髭が無ぇって騒いで。たかが髭だろ」
 むっとする七夕に、パンダうさぎ氏も口をもごもご動かして笑う。
「そりゃ七夕、無理だよ。七夕を知ってるヤツだったらみんな驚くって」
 ミナトは身を乗り出した。
「いきなりどうしたのさ。理由は? 彼女できたの?」
 七夕はとぼけて見せた。
「さあね。ホラ早く行くぞ。時間が無ぇ」

 パンダうさぎ氏と別れ、ふたりは西口から谷の奥へ入った。草一本生えていない谷は思いのほか深く、まだ100メートルも歩いていないというのに、灰色の岩壁を見上げると空は小さく切り取られたように遠く、湿気と冷気もすこしずつ濃くなっていった。
「しっちゃん。さっきのうさぎの人って、うわあっ!!」
 ミナトは足を滑らせ、とっさに手すり代わりのロープを取った。湿気で靴底が滑ったらしい。足場は平らな岩盤だから、転んだらすり傷だけじゃ済まされないだろう。
 2メートルくらい先にいる七夕が足を止めて言った。
「気ぃつけろや。けっこう固い岩盤だから、こけただけでホネにヒビ入るぞ。いけるか?」
 片手を上げて平気だと答える。しかし精いっぱいだ。慣れない道を滑らないように歩くことばかり集中し、ミナトは七夕に追いつくどころか追うのがやっと。
 しかし七夕はケロリとしてこんなことを言った。
「でも、もうちぃっとペース上がらねぇ?」
 ついにミナトは頭に来た。
「無茶言うなよ! こっちは初めて来たんだから!」
 大体、呼び出したのは七夕だ。来させたヤツに早く来いはないだろう。
 むっつりして言い返すミナトに、七夕は頭を掻きつつ謝った。
「悪い悪い。いつも俺ひとりだからよ。ちぃっとペースきつかったか」
「きついもなにも早いって。プロのしっちゃんと違ってこっちは初心者なんだから。七夕が有名人だなんて信じられないよ、まったく」
 そこまで言ったところで、ミナトはやっと七夕に追いついた。七夕は腕を組んで眉間にシワを寄せている。
「そうかなあ。うさ尾のほうがずっとモテるし、俺はただの明かり採り師だぞ」
「有名だよ。惑星種の友達も名前は知ってた。七夕って名前が今はブランド名になってるんだ」
「へぇ。そりゃすごいな。でも俺はなにもしてないぜ。好きな時に明かり採りして、売ってるだけだ」
「だからだよ」
 七夕は元々明かり採りが趣味で、趣味が高じて明かり採り師になったのだ。独学で明かり採りのノウハウを身につけ、独自の方法で明かり採りをしているらしい。月光を採るんじゃない、‘狩る’んだ、と七夕はよく話していた。
 そのせいか七夕の採った月光は、色が濃かったり星の混ざり具合のバランスが良いなど名品が多く、市場で‘七夕の月光’と言えばマニアが飛びつくほどだ。それだけ腕のある七夕なのだが、多量に採りたがらない。そのため市場に出回る数は少なく価値も自然と上がり、人気はうなぎのぼりになっている。
「商売にすりゃいいのに。僕だったら稼ぎまくるところだよ」
 ミナトの言葉に明かり採り師は笑った。
「ばか。商売なんかしてなにがおもしろいんだよ。採り分はほどほどで、本来は月見を楽しむもんなんだぜ。ほら見ろよ、今夜もいい月だ」
 見上げると、狭い天からふりそそぐ月明かりが、谷と自分たちをやさしく照らしていた。やさしいあまり、どこかさびしくもなってくる。自分と月だけの世界にいるような、孤独な風が吹いた。井戸の底から見上げる天上はこんな感じだろうか。

「喋ってたあいつ、うさ尾っていうんだ。イイヤツでさ」
 今度の七夕はミナトのペースで歩きだした。
「今夜は星舞いの夜だろ」
「うん」
 うさ尾と星舞いの夜がどう関係あるのか、ミナトはあえてここでつっこまずに相づちをうつ。話の続きが聞きたかった。
「星が舞ったり跳ねたり暴れる日の月光って、星の光がやたら混じって質が落ちるんだ。だから今日は人が少ないと思ったんだが、けっこういたよな。だから今日は星の子供がはりきってるなってうさ尾と話してたんだ」
「星の子供ねえ。惑星種に子供なんて聞いたことないけど……」
 首をかしげるミナトに気づき、七夕はあわてて説明する。
「星の子供のこと、言ってなかったっけ。星の子供はあの屋台通りが好きみたいで、人通りが多いとやってきていたずらしていくんだ。月見草に色を塗ったり、月光飴を全部食っちまったり、かわいいもんだが。俺も一度やられたよ。釣り糸でリリアン編んでいきやがった。これがまた綺麗な出来だったから今も持ってるけどよ。星の子供といっても惑星種と思ったら大間違いでな。見たやつはみんな月光色の肌をした地上人みたいだって言っ」
 七夕が言葉を切り、視線を泳がせた。
「ミナト。ちょい見てみろ」
 七夕にうながされ、あたりの岩盤を見渡した。
 岩盤は月の明かりに照らされてきらきらと光沢を放ち、まさしく銀色の岩石に様変わりしていた。光沢がふりそそぐような感覚にミナトは息を呑む。
 まさしく銀色の谷。
 目を輝かせるミナトに七夕が声をかけた。
「ミナトはこんなモノとか好きかなと思って」
「すごいよ、しっちゃん!! しっちゃんが見せたいものってコレ?」
「違う。でもミナトは絶対好きだと思う」
「どんなのだよ」
「これよりもっと綺麗で、めずらしいモノ。こっちだ」
 七夕は不器用なウィンクをすると、道をそれてロープもない所を降りていった。ミナトもはやる心を抑えながら、滑らないよう慎重に七夕を追った。

「ここだ。間に合ったな」
 七夕が荷物を下ろした場所は岩盤が出っ張っていて、平らな谷底を一望できる、ちょっとした岬になっていた。天上からふりそそぐ月光は滝のように流れ落ち、滝壺の部分は谷底の色が見えないくらい濃厚で透明感を持った、ラピスラズリの濃紺といった青――オゾンブルーをたたえていた。いったいどれほどの月光が集まれば、こんな見事な色になるのだろう。
「こんな場所があったんだ」
「俺のとっときの狩り場なんだ。絶対誰にも言うなよ。うさ尾も知らないんだからな」
 念を押す旧友に、ミナトはふくれる。
「言わないよ。第一、先に秘密をバラしてたのはいつもそっちだったし」
 たははと笑いながら、七夕はクーラーボックスから手頃なガラスの小瓶を出して、ヒビが入っていないか透かして確認する。
「去年、偶然ここを見つけてさ。はじめは俺だけだったんだけど、あいつも来るようになったんだ。あいつは俺がつけてたコレが気になって、ここに来たらしいんだな。以来あいつとここで会うようになって」
 あいつとはうさ尾のことだろうか。でもうさ尾は知らないと言っていた。じゃあ誰だろう。
「あいつって」
「これから来る。ホラ、コレだ。あいつも狙ってるけどな。どうだ、きれいだろ」
 七夕がポケットからなにかを出して、ミナトに放ってよこした。
 それは透明なテグス製の、きれいに編まれたリリアンだった。長さは5センチくらいで固く、つららのようにも見える。これが、星の子供のいたずら。
「いいなあ。ほしい」
「だめ。俺の」
「見せるだけかよ。けちんぼ」
 ミナトはしぶしぶ七夕に返した。七夕はほほえむ。
「ミナトにはあとでもっとイイモノやるから。ちぃっと待ってろ」
 なんだよそれ、と言いかけてミナトは、自分たちを照らす月光が揺れたのに気づいた。
 ふたり同時に空を見上げる。
 天上では星舞いがはじまっていた。星という星が上下左右斜めに、ふわりふわりくるくると舞っていた。月は特に変わったようすはない。くるくる舞っている星たちを見守るかのようにじっとしていた。
「来たな」
 七夕のつぶやきに、ミナトは首をかしげた。なにかが来たような感じはない。
「ミナト。できるだけじっとしてろよ。すごいの見せてやるから」
 そう言うと、七夕は岬の先端に立った。明かり採りでもするかと思ったが、投網はおろか月見草も持っていない。ミナトは小首をかしげて見守った。

 その時、天上から月光の波がふたりを打った。月光特有の冷たくするりとした感覚とオゾンのつよい香りが充満し、ふたりは突風を受けたように息を詰まらせる。
 七夕が月から目を逸らしていないことに気づき、ミナトは視線を追って言葉を失った。
 オーロラのカーテンが降りてきたのだ。
 透明で虹色のカーテンが大きく波をうちながら、月光に乗って降りてきた。
 いや。あれは。
 七夕がおもむろに右手を上へ、左手を左へ伸ばした。あれを受け取るようだ。
 あのオーロラを、幼いミナトと七夕で並んで見たことがあった。古く厚い図鑑にひときわ大きく描かれていた姿に何度となくため息をついたものだ。絵の解説は今でも鮮明に思い出せる。
‘長く太めの身体は虹色のウロコに覆われ、すべてのヒレが長い。月光を食べる。地上人が出会うのはかなり稀少だが、悠然とたなびかせながら天上を泳ぐ姿は、一度見たら忘れられないだろう’
 それは、リューグーノツカイと呼ばれている。
 虹色の大きなひれを持つ月光の中で生きる魚を目の当たりにし、ミナトは総毛立った。
 まさか本物が見られるとは。
 リューグーノツカイのやさしい顔がはっきり見えた時、七夕は右手も左へ流した。
 七夕に当たる手前で、リューグーノツカイが左に曲がっていき、風とともに濃いオゾンブルーの波がふたりを巻き込む。
 ミナトはよろめきながらも、おもわず口笛を吹いた。旧友はちらりとこちらを見て笑う。
 七夕が右を指した。
 リューグーノツカイが右へ行った。
 また左へ。右へ。
 今度は下から上へ。斜め上から斜め下へ。
 七夕の指揮に合わせ、リューグーノツカイは月光の中を忠実に泳ぎ回る。
 それはまるで踊っているような、歌っているような、不思議な光景だった。
 七夕の手は次に天上を指し、なにかを包むようにおおきく円を描いた。
 オーロラ色はオゾンブルーの中で鮮やかにひるがえり、月光は次第に一箇所に溜まっていく。
 ああ、そうか。
 ミナトは彼らがなにをしているのか、やっとわかった。
 これは明かり採りだ。
 確かにこれは降り注ぐ月光を月見草に受けて採るんじゃない。一箇所に集め、まとめて狩るんだ。
 七夕が両腕を大きく開いた。
 リューグーノツカイが特に濃いオゾンブルーの中央で竜巻のようにぐるぐると回りだす。
 その輪がこれ以上小さくならない所で、指揮者の手が左右の空を掴んでぐんと手前に引いた。
 リューグーノツカイは自らが中央に抱え込んだ月光の塊をくわえ、七夕の元に運んでくる。
 七夕が差し出した小瓶に、ラピスラズリ以上に濃いオゾンブルーの塊を入れると、役目は終わったとでもいうようにするりと七夕をつつみこんだ。
 オーロラ色に包みこまれたまま七夕は蓋をすばやく閉め、ほほにすり寄る小さな頭をひとなでした。
「ごくろうさん。あとは食べていいぞ」
 間をおいて、リューグーノツカイはまだ濃いオゾンブルーに身を投じた。また大きな月光の波がふたりを襲う。
「海だったらぐしょぬれだよなあ」
 七夕は笑いながらミナトの元へ戻ってくる。
 明かり採りが終わったのだ。

 心の衝撃が強すぎたせいか、まだどこか力が抜けているミナトは、七夕から水筒の月光茶を受け取った。一口飲むと、冷たい月光風味の飲み物がのどをちりちり刺激しながら落ちていく。
 まだどきどきしていて、軽いたちくらみまでする。ちらりと見ると、虹色の目と出会った。七夕に巻きついて肩に頭を乗せ、まんじりとミナトを見ている。
 ミナトは息をついた。ここにいるのはまぎれもなく本物なんだ。
 七夕がリューグーノツカイの顎を掻きながら言った。
「わかったろ。俺が髭剃った理由」
 ミナトはこくりうなずいた。ほほにすり寄るには、髭はただの邪魔者だ。
「わかった」
「すごかったろ」
「すごかった」
「じゃ、これやる」
 七夕は今しがた採ったばかりの月光をミナトに渡した。
 丁度手におさまるほどの小さな瓶には、濃厚でなめらかなオゾンブルー色の液体がなみなみと入っている。
「行く前にどうしてもこいつをお前に見せたくてさ。これは記念というか。ミナトにやるよ。最高級のムーンストーン作りたいって言ってたじゃん。これでできるんじゃねぇか?」
 確かにミナトは月光からムーンストーンを精製するのが好きで、作っては月光が消えるまで飾っていた。だから一生一度でいいから、月光そのもののようなムーンストーンを精製したいと、密かに思っていた。小さい頃、七夕に言ったこともあったかもしれない。今は月光よりも、それを覚えていてくれた旧友がうれしい。
「できるっていうか、できないほうが不思議というか。……七夕、いいのか?」
「ミナトにやりたかったんだ。持ってって作れよ。俺はもうここに来ないし」
 ミナトは驚いて見返した。辞めるという意味だろうか。
 七夕はミナトの疑問を察したのだろう、照れてくしゃくしゃ顔になる。
「明かり採りしながら、俺、こいつと一緒にあちこち回っていろんなモン見てこようと思ってな」
 図鑑や本でしか見たことのない風景を全部生で見る。幼い時、それが七夕の夢だと教えてもらった。でもそれなりに現実を知っている今は、地上、地下、天上、この世界を見ることは生半可なことじゃ実現できない事も知っている。それを実行させるというのだ。
 ミナトは心がふるえた。
「すごいね」
 七夕はきょとんとした。
「そっかあ? すごくないだろ、別に。歩くだけだし。まあそんなわけで、俺は世界のどこかで生きてると思っててくれ」
「手紙出してよ。僕もどんな所か知りたいから」
「わかった」
「いつ、発つ?」
「今。谷の入り口でミナトと別れて、そのまま行く」
 すこし寂しい空気がふたりの間に流れる。
 決別じゃないけれど、いつ会えるかわからない別れは寂しい。
 ミナトは小瓶を揺らし、手の中で光る青を見ながら尋ねた。
「なにか餞別したいんだけど」
「いらねえって言いたいけど、せっかくだからもらうかな」
 七夕はすこし考えて、言った。
「じゃあ、こいつに名前をくれよ。ミナトなら俺よりセンスいいからこいつも喜ぶだろ」
 ミナトはじっと見つめて考えを巡らせた。
 七夕になつくリューグーノツカイ。虹色の衣をまとって、鮮やかに泳ぐ。
 じゃあひとつしか思いつかない。
「織姫」
「ストレートだな」
「ぴったりだと思うんだけど」
 はは、と七夕は笑った。織姫もヒレをひらひらとさせる。
「織姫か、うん。ぴったりかもな。ありがとな、ミナト」
「しっちゃんもね。月光ありがとう。大事にするよ」

 この場所を去る前に、ミナトは七夕に、最後にひとつだけ頼んだ。
 七夕も快くうなずき、勢いよく立ちあがった。
「――織姫、行け!」
 右手を大きく振り上げると、織姫が天上めがけて泳いでいった。
 星が跳ねる夜空の中を悠然と泳ぐリューグーノツカイ。
 今、月光を見事に跳ね上げ、飛沫で月明かりの虹を作った。
 一生忘れない景色を見ながら、ミナトは夜空に祈りをこめる。
 七夕の夢がすべて叶いますよう。
 また旧友と会えますよう。


了 (20040701)