夢と現と。

月に1回は書こうと思っていたブログも、下書きが溜まるだけで10月はとうに過ぎた。好きなアーティストについてだとか、公開できるくらいまで出来上がったものもあるのだけれど、こんな私見や自己満足に誰が興味を持とうか。そう思うと、誰かに見せる前提で書いていたはずが急に無意味な落書きに見えてくる。
なのになぜ今、こうして言葉を吐き出しているのか。ふと考えたことのせいでどうにも眠れなくなったから。といって、いたずらに起床時間を延長するのはどうかと思いつつ、ブルーライトに侵された目は、小刻みに動いては止まる指に一瞥もくれず、入力される活字を追っている。
先程のこと。いつものように電気を消し、今夜見たい夢を念じながら眠りにつこうとしたのだが、どうにも見たい夢が思い浮かばない。そもそもこの毎夜の幼稚な試行自体が、目を閉ざしたくなるような現実からの逃避であるというのに、その逃避の目的地すら思い描けなくては、いよいよ行き場がない。思考は跳んで、小学校の図工の時間。毎週2時間連続で授業があって、他の同級生はその時間内に絵を描き上げているのに、自分は一人教室に何時間も居残っていた。電柱がテーマなら杭の数や電線に停まる鳥。神社がテーマならその柱の数や屋根の色。どれも正確に再現することが絵だと思い込んでいて、良く言えば写実主義的。むしろ芸術表現というものを当時も今もさっぱりわきまえていないと言うべきかな。しまいには見かねた先生が「木はこれくらい適当に絵の具をつけたほうが良いわ」と勝手に塗っていく。それを見て自分は、確かに良いなと思いつつ、なんだか悔しかった。
この記憶が、夢より現実を描きたがる自分の一つの象徴。と言えれば単純だったのに、いつしか現実を直視することもできず夢に逃げ、今夜に至ってはその夢すら思い描けなくなってしまったというわけ。「どこにも行けやしないのに夢見ておやすみ」

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