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思春期の生きづらさを繊細に表現した、芥川賞受賞作品『推し、燃ゆ』(宇佐見りん 著)。

「あるアイドルの追っかけをする女子高生の物語」と、一口にいってしまうと身もフタもないが、現実社会に順応できない息苦しさを感じさせる小説である。
「アイドル=推し」が存在することで、自分を保ってきた少女が、突然のアイドルの芸能界引退によって現実と向き合わざるを得なくなる。
タイトルの『推し、燃ゆ』は、推しが炎上し、燃え尽きたということだろう。

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芥川賞を受賞した本作は、すでに50万部を突破したという。出版不況がいわれて久しいが、やはり賞を取った小説というものには「読んでみたい」と思わせる魅力があるのだろう。ライターという職業柄、50万部という数字に目がくらんでしまう。うらやましい。

ところで、本書の主人公のあかりは、とあるアイドルのおっかけをしている女子高生である。「推し」とは、ひいきにしているアイドルのことだが、ある日、ファンを殴ったという事件を起こし、ネット上で炎上してしまう。
それ以来、人気は急落。結局、芸能界を引退してしまうのだが、あかりは、彼の左手の薬指には指輪が光っているのを見てしまう。彼は普通の人となり、人並みの人生を歩んでいくのだ。

あかりは、現実の社会の荒波をうまく泳ぐことができない。そつなくこなすことができないのだ。家族ともうまく気持ちを通じ合わせることができず、学校生活もうまくいかない。バイト先でも失敗ばかりだ。

それでも、あかりには「推し」がいる。推しがいることで息ができていたのに、その推しが目の前から消えてしまう。生きる支えがいなくなり、あかりの世界も変わっていく。

高校を中退し、亡くなった祖母の家で1人暮らしを始めたあかり。掃除ができず、ゴミ屋敷のようになった部屋で、推しのいない社会を生きていかなければならない。就職するでもなく、進学するでもない。生きづらさを抱えたまま、生きていくしかないのだ。

読み終わって、ため息が出た。水の中に沈み、自分が吐く息が泡となって水中を漂うような息苦しさを感じた。しかし、同時に、それでも人は生きていくのだという諦観のようなものも感じる。きっと、あかりも推しのいない生活に少しずつ順応し、時折、おぼれながらも生きていくのにちがいない。

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