僕のいまから連想してされた事/宝石の国とフォスに関する雑多な散文

今日も後輩たちから指示を賜りやっとこさ皆様から仕事を分けていただいて過ごしている。

何をやっても頭もこんがりやすくて準備をするのにもアレが必要で、アレも必要で、アレは何個ひつようであそこから持ってきて、あっちからもアレをなんこもつてきて、、、??、

頭がいたくなつてきて目が回ってくる。

試しにロキソニンも飲んでみるとかえってボヤッとする感覚がいつもより強くて、せっかくいただいた仕事もいつものり手足が思ったように動かない感覚が強くてとにかく思ったようにできない。

何をやっても自分にガッカリする。何となく頭がスッキリしてパァーンとキリが晴れて色々とアイデアが湧いてくることもあれば。

今日も料理を頑張ったけれど、トマトソースを一部跳ねさせて裾と床をピチャピチャにして、それは何とか拭いたけれど、あとから白い壁にもはねてしまっていてそれに気づかずにいたからか汚れが取れなくなってしまった、

外に出かけるるとそれなりに気晴らしにはなるけれど、どこに行っても疲れ果ててしまい、どこもいかないで何もしないで家で静かにしているほうが楽だとすら思うことも多い。

おじいちゃんおばあちゃんの気持ちもこうなのだろうか。

兎に角、いっそのこと石になってしまえばいいのではないか。と思う瞬間もあるのだ。

ハッと思った。ぼくはフォスフォフィライトだ。つまり、フォスは人生そのものなのだ。
無邪気に周りに憧れ、見よう見まねでやってもうまくできず、失敗し、からだが変容していく。悩み、苦しみ、訝しみ、技術や知恵をつける。他人には理解されず、どうしてこうなってしまったのだろうかと。決定的な決断、むしろ状況あるいは現象を重ねていく姿。
シンシャを含め、序盤から自分と重ねていた。

最後は、石、
人間といわれるところは、つまりそれは、業だ。彼/彼女は意図的にそうされたのかもしれない。

だとしても誰もできないことを成し遂げたかもしれない、それは仕組まれたことかもしれない、しかし友を失い、師を失い、それに本人に救済があるのかと思っていた。違いもあったがシンシャの気持ちを救ったけれど。

彼/彼女は特別になりたかったの。そういうセリフがあるのだけど、慮るという人の優しさとその的を射ているようで外れているような理解されているようで理解されない哀しさ。

新しい出会い。

最後まで読んで、フォスに救いはあったのだろうか、最後は哀しみと寂しさが少しは紛れたのか。元々の仲間とのわだかまりというか、寂しさというか。

石。

最後は…つまり…彼は救われたのだ

こんなぼくでも…きっと…そうなのだ。そうなるのだろう。

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