雑記#002 コミュニティのコスト

※下書きにあったものをそのまま公開する者


 よく分からないけども続いているコミュニティがある。
 大学生の時に「にゃんこ大戦争」というアプリゲームが流行り、経緯はよく覚えていないが、にゃんこ大戦争をやっている3人のLINEグループができあがった。付かずとも離れず、何年も稼働していなくても何ら気にならないけども、頻繁にやり取りするフェーズになっても特にストレスにもならないという距離感が心地よい。
 最近はなぜかエヴァネタで盛り上がり、序破Qを観た上で、シン・エヴァンゲリオンの劇場に(2度)乗り込むくらいの活気を見せている。今は活動期といえる。


 そんな恵まれたコミュニティにあって、自分にしかわからないネタで一人で盛り上がって失敗することがある。
 活動期の中、次の映画を見に行くかという話になった。「ゴジラ対コング」でも観に行こうではないか。どうやら評判がいいらしい。すると、株主優待チケットが3枚あるといった人が「竜とそばかすの姫」が観たいと投稿した。「私は、ゴジラにはあまり興味がない。」
 コングが執拗なカーフキックでゴジラの左足を壊し、角田がレフリーストップするらしいよと言っても特に響かない様子。映画を見に行こうというやりとりは次第にフェードアウトしていった。
竜とそばかすの姫に興味がないとは言っておらず、むしろ細田守作品はだいたい観てきているくらいに好きではあるが、たまたまANNで聴いた話が面白くて、「コングが執拗なカーフキックでゴジラの左足を壊した」といいたいだけの私は、そのリアクションが「竜とそばかす」には興味がないという印象を与えるものだということに気づいていない。
 結果、「大して興味がない映画を一緒に観に行かせるのは悪い」と気を遣われ、映画を観に行く話題は失速したが、そこでも気を遣われていることに気づいていない。


 コミュニティの維持にはコストがかかる。そこにコストをかける価値があるからこそ、コミュニティを維持し、継続する。コミュニティにおけるストレスが高くなれば、コストをかける意欲はわかず自然とフェードアウトしていく。
コミュニティ内で「ストレスにならない距離感」が生まれるためには、それだけ良質な関係性を維持する配慮を誰かがする必要がある。その配慮があったからこそ、なんとなくフェードアウトしたり、突如やり取りがされたりしながら続いていたのだ。ストレスを感じていなかったのは周りの配慮のおかげであって、私はそのコストにタダ乗りしていたかもしれない。カーフキックとか言っている場合ではない。

もっといえば、「ゴジラには興味がない」と言っている人に対して、「コングが執拗なカーフキックでゴジラの左足を壊し、角田がレフリーストップする」といって興味を持つはずがないことに、なぜ投稿する前から気づけなかったのか。
 ナナメに見て突っ込みどころを突いて笑うのが映画だと、勘違いしてはならない。
 一般的な映画観劇とはなんたるかへの理解も欠けてしまったのか。クソ映画の見過ぎで笑いの判断も人として軸もブレてしまっているのか。ブレブレブレブレ。

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