「物語」を生き抜くこと~『ニッポニアニッポン』をめぐって~
17歳の少年鴇谷春生。彼は自らの名前から、「トキ」(学名「ニッポニアニッポン」)に異常な興味を覚える。現在の「トキ」に対する日本国民の態度に怒りを感じた彼は「トキ」のためにそれを密殺することに決め、佐渡島での「トキ」暗殺計画を練る。しかしそれは失敗し、自らの人生の目標を失い絶望する。
その物語に、彼が好意のあまりストーキング行為をした本木桜と、佐渡島で出会う本木桜に似た少女、瀬川文緒との物語が絡む。
この阿部和重の小説、『ニッポニアニッポン』を語ることについて、社会学者である北田暁大の議論を導入するのは無駄でない。
彼の『嗤う日本の「ナショナリズム」』では「2ちゃんねる」に見られる左右両派のバッシングの共存について、それらが「批判的アイロニーとしての機能を喪失し、うちわ空間の《繫がり》のためのコミュニケーションツールとなっている」と語る。左派的/右派的イデオロギーがその中身でなく、そうあることによって他者との繫がりを確保するという状態が見られるのだ。イデオロギーはその中身に関係なく、《繫がり》のための装置でしかない。
なぜ《繫がり》に拘るのか?
その問いに北田は、「「この私」に実存の充実を担保してくれる「何か」」を探すためだと語る。
こうした文脈から言えば、『ニッポニアニッポン』の鴇谷春生は、まさに「2ちゃんねらー」的存在である。(作中で2ちゃんねると思しきBBSを何度も使用していることを思い出してみよう)
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